完璧なマニュアルを手渡した瞬間、後輩のやる気が消えた話。
えー、毎度ばかばかしいお話を一席。
このところ「働き方改革」だの「業務効率化」だのと、世間じゃあれこれ言われておりますが、 今日はですね、親切が仇になったという、ちょいと耳の痛いお話でございます。
ある町工場にね、面倒見のいい先輩がおりました。
後輩が入ってきたってんで、張り切りましてね。
「よし、こいつが絶対に困らないようにしてやろう」
夜な夜な、業務マニュアルを作り始めた。
手順は1から10まで。図解入り。写真付き。 「ここで六角レンチを時計回りに45度」なんてところまで、びっしり書いてある。
もうね、辞書かと思うような分厚さでございます。
で、意気揚々と後輩に手渡した。
「おう、これ読んどけ。全部書いてあるから」
後輩、受け取りましてね。
「あ……ありがとうございます」
……この「あ」が、いけません。
「ありがとうございます」の前につく小さな「あ」。 あれはね、感謝じゃないんです。
諦めの「あ」でございます。
先輩、気づいちゃった。 後輩の目から、スーッと光が引いていくのが見えた。
「あれ? おかしいな。喜ぶと思ったのに」
これね、あたくしも身に覚えがありましてね。
テレビゲームで申しますとね、 最初から正解のルートしか歩けないRPGってのがある。
「次は北の村長に話しかけろ」 「この剣を装備しろ」 「右の扉を開けろ」
画面に出てくる指示の通りにボタンを押すだけ。
これね、冒険じゃございません。 ただの「作業」でございます。
間違える余地がない。 迷う自由もない。
ワクワクなんて、しようがないんですな。
キャンプの火起こしもそうでしょう。
ガスバーナーでボンッとやりゃあ、一発でございます。 効率的。確実。失敗知らず。
でもね、わざわざ小枝を拾ってきて、 煙にむせながら、ふーふーやる。
あの不便さの中に、工夫する余地がある。 「おっ、ついた!」っていう、自分だけの達成感が生まれる。
バーナーで火をつけても、誰も自慢しませんよね。 でも小枝の火起こしは、思わず写真を撮っちゃう。
手間の中にこそ、喜びが宿る。
心理学にね、「心理的リアクタンス」という言葉がございます。
難しく聞こえますがね、要するに、
「自分のことは自分で決めたい!」
という、人間のどうしようもなく強い欲求のことでございます。
これがまた厄介でしてね。 選択の自由を奪われると、人は無意識に反発する。
たとえそれが「失敗させないための親切」であっても、です。
先輩のマニュアルはね、 後輩の「工夫する自由」を奪う、重たい鎖だったんでございます。
「良かれと思って」が裏目に出る。
これはね、あたくしも今でもやっちまいます。
つい先回りして口を出しそうになる。 「あ、それはこうした方が……」って。
で、慌てて言葉を飲み込むんですがね。
飲み込むのが間に合わないことも、正直ございます。
結局のところね、 「完璧なお膳立て」は、相手への信頼の不在なんでございましょう。
「お前にはまだ無理だろう」と言ってるのと同じでしてね。
あえて余白を残す。 相手がどう火を起こすか、見守ってみる。
これがまた、すごく勇気のいることなんですがね。
少しずつ、練習しております。
お後がよろしいようで。
あなたにも、ありませんか。
相手を思うあまり、つい完璧に準備しすぎちゃうこと。
渡したマニュアルの厚みと、 相手のやる気は、反比例するのかもしれません。
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