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「あなたのせいではありませんよ」

手術の朝、自分の部屋に「行ってくるね」と言って足を踏み出す。
少し寝不足。

パンパンに膨らんだスーツケースには、お気に入りの本をたくさん詰めた。歩くたびにガタガタとコンクリートの質感が伝わってくる。

悪い気分ではない。「とうとうこの日が来た」という脱力感にも似たすっきりとした気持ち。

朝もやの青白い空気が、少しずつ黄色い光に包まれていく。

世界は相変わらず綺麗で、「いつもと同じ朝だ」と少し安心した。

病院まで母の隣を歩く。

母は数日前から、私のことを心配するあまり少し混乱しているようだった。
置いたものをすぐ忘れる。
「物忘れが酷くなっちゃってやーねぇ」
と冗談めかして言う母に、私はぐらっとする気持ちをおさえて、気付いていない素振りをした。

家を出て少しするといつものタバコ屋が見えてくる。おばあさんがせわしなくカラフルな箱を並べていた。

今何時だろう…。
ここから病院までは1時間ほどだ。腕時計を忘れてしまった私は母に時間を尋ねた。予約は11時。

「今何時かな」
「11時ちょうどよ」
今11時ならそら大遅刻やんけ!
と思いながら
「10時でしょ」
と笑いながら言ってしまった。

お母さん、私なら大丈夫だよ。
そんなに混乱しないで。

私はこの日、子宮と今生のお別れをする。持病のあまりの激痛に耐え切れなくなり、すぱっと決断したのだ。私の子宮は今までたくさん頑張って来てくれたから、感謝の気持ちこそあれ、手放すことに未練は無かった。

母にはどう見えていたのかな。
私のような清々しい気持ちでは無かったのだろう。
10時を11時だというほどに動揺していた母。
三人の子を育ててきた母の瞳に、私はどう映っていたのだろう。

母が歩んできたような人生から離脱した娘を不憫に思った?不憫に思って、混乱し、10時を11時だと言ったのかな。

いや違う。母が心配をしているのは、「そんな私の人生の行方」よりも「私の心情の行方」の方だ。
似ているようで、とっても違う。
娘だからか、感覚的にわかる。

そのような母と一緒に人生を歩んで来たから、なるようになる、という心持でいることが出来た。

私なら大丈夫だよ。でも今はまだ私も怖いから、甘えたいから、何も分からないような涼しい顔をして歩いた。

重いスーツケースを抱えて電車に乗り込む。
朝の混雑のピーク時を抜けた、少し余裕のある車内。乗客は丸み帯びた柔らかな光を顔面に受け、眠たそうにゆらゆら揺れ、おのおのの世界の中に浸りきっていた。

母がどこかに座れたらいいなと思ったところで、ちょうど良く席がふたつ空いた。

「あっ、お母さん、空いたよ」

と言った瞬間、母は

「どうぞ」

と、小さな男の子連れの若いママに声を掛けた。その途端、男の子は喜んで座席に飛び込み、若いママは可愛く遠慮をして、はにかんだ様子で首を横に振った。

それを見た母は

「ママも疲れるでしょ?座れる時に座った方がいいのよ。どうぞ」

と、我が子にでも言うかのような近しい口調で語りかけた。

若いママは微笑みながら軽くお辞儀をし、男の子の隣へ座ると、小さなその子は嬉しそうにニコニコしてママと母の顔を交互に見た。
母も笑っていた。
世の中にはこんなに可愛い子供がたくさんいるから、うん、私が産まなくても大丈夫だよね、などと、私は何とも無責任なことを考えていた。

と次の瞬間、
母が電車から降りようとした。なんでなんで?
降りるのはまだ先の駅。

「お母さん、まだ着いてないよ」

「あれ!間違えた!」

いつもの母らしくない声だった。
危ない危ない。

目的の駅を降り、病院が近づいて来る。だんだんと肩が強張こわばって来た。やはり生まれて初めての大手術は怖い。足がすくむ。

温かな風と、透明な日差しの中に伸びる淡い桃色が、その下を歩く朝の人々の背中を優しく照らしていた。

「桜、綺麗だね」
と母に伝えた。母は
「そうそう、綺麗よね」と。

桜が若葉に変わる姿を想像し、近い未来に想いを馳せた。

病院へ向かう途中、本屋に入った。何かを探していたわけではない。ただ、まだそこへは着きたくなかった。

積んである絵本を眺め、母とささやかな日常をなぞって、ほんの少しだけ手術のない朝のふりをした。

そうして病院に着くと、静かな個室が待っていた。

看護師が入ってきた。手術のために、良い年してツインテールにしなくてはならないという。長い髪をお下げにし、病室の内装をスマホでパシャパシャ撮り始めた。こんな時でもオタク気質が抜けない。

退院後に頑張った自分を思い返して余韻にひたるために、ツインテールで素早く動き、一心不乱に撮りまくった。

そんな病室カメラ小僧で乗りに乗っていた時、バーンっとスライド式の扉が開いた。

あ、こんな感じで四六時中、誰かが部屋に入ってくるのね…

と我に返る手術2時間前。看護師から手術の説明を受け、オペ開始時刻まで母と病室でじっと待つこととなった。

私はベッドに仰向けで横たわり、窓から見える雲と空を眺めた。

「この手術をきっかけに私は次の人生へ行く。変わる。」

と、強く決心していた。
あの四角い窓のふちと、その中で揺れる空と雲を目に焼き付かせようと、じっと眺めていた。

約一か月前、担当医の羽毛先生から、私の健気な二つの臓器について、

「残すことも出来ますが、残すとリスクがあります。」

と丁寧に優しく説明を受け、

「大丈夫。取ってください」

と即答した。我ながら決断の速さに驚いた。

診察の後、もしかしたら私無理しているかな。泣いたりするのかな?と覚悟して待合室のソファに腰かけたが、涙も全く出ず、なんやこれ。
何事もなかったかのようにスマホをいじり、家族や友達に報告していた。
むしろすっきりとした晴れやかな気持ちだった。

それほどに酷い激痛の日々を終えられるのが嬉しかったことと、そして、あれこれ考える日々にようやく終止符を打てる、これで変われる、という根拠の無い期待感。

この臓器に、人はたくさんの意味を重ねる。
私はきっと、その重さから自由になりたかった。

だって、私の臓器にどんな意味づけをするかは、この私なのだ。自分を犠牲にし、痛みとともに外へ行こうとしている私の子宮は、私の痛みを全て引き受けてくれた幼き頃からの良き友だった。

過去には、子供を授かるために元夫と力を合わせて毎朝この友と向き合った日々もあった。

頑張った。

だからもういいね。

この人生で、君とやれるだけのことはやった。

だからもう、私は行くわ。

強く生きるわ。

君の分まで。

頑張るから、空から応援して。

ゆっくり流れていく雲ひとつひとつを見送った。

広い海の真ん中からオールで強く漕ぎ出し小舟を出発させる、というような、爽やかな気持ち。

手術の日は新しい人生が始まる嬉しい門出の日だった。

看護師がノックをして入って来る。ついに来た。

「じゃあ行って来るね」

と母に告げた。母は椅子に座ったまま

「うん」

と。小さなリアクションだったように思う。




深い眠りから起こされた。

「気分どうですか?痛いところありますか?」

と優しく聞かれ、呂律が回らないのが自分でも分かる話し方で

「さむいれす、さむいれす」

とニ回答えた気がする。

「凄く震えていて辛そうです」

母が通訳してくれ、電気毛布を増やし、ようやく落ち着いた。

「震えるのはよくあることだって」

と言う母は、自分自身も安心させたかったのかもしれない。

落ち着いた私を見届けて、母は帰って行った。

入院中、先生や看護師たちはことあるごとに私を褒めてくれた。

術後はなるべく歩いたほうがいいらしく、ウロウロ病室を歩いていると

「お〜!すごい!歩いてる!」

と、手を叩いて喜んでくれる。行く当ても無くただ歩いているだけでこんなに褒められるなんて、赤ちゃんの時以来じゃない?!

でへへへ、とツインテール(規則)で気味悪くにやける日々。幸せだった。

少しの進歩で褒めてもらえる世界は、なんだか不思議だった。

大人になってから、こんなふうに無条件に「できたね」と言われることはあまりなかったような気がする。

この新鮮さが、少しずつ私の体を軽くしていった。

友人が持たせてくれたお菓子に、粉末のお茶、ふわふわのタオル。看護師たちの明るい声、家族や友人からのLINEの振動。それら全てが、私の曇ったフィルターを少しずつ洗ってくれた。

私は、自分のすぐそばで浮かんでいた優しさや幸せを見つけやすくなっていた。

退院当日の日、かなり早朝に目覚めてしまい、そこからあまり寝付けなかった。
退院するのが寂しくなり、眠れずに、窓の外の木が揺れるのを眺めたりしていた。

少し時間が経ったら、少しずつ荷物をまとめたりしたが、ほとんどが本だったため、荷造りもシンプルなものだった。

名残り惜しかったし、眠れないのに眠気もあったため、ツインテール(規則)の髪をほどき、最後のベッドに入って体に病院の毛布の感触を覚えさせていた。

するとまたバーン!っと扉が開き、羽毛先生が突然入って来た。

ベッドで、失う日々の寂しさに溺れながら最後のひとときを味わっていたので、突然の先生の登場に驚き慌てふためきアワアワしていたら、先生は私の目線まで腰を落とし、ひざまずいた。ベッドの下で膝まづいて、そう、口から出る言葉は私の手術経過だ(そりゃそう)。

ベッドの上でゴロンゴロンしていた髪の毛デンジャラスな私は、一体この王子のようにひざまずく医師の話をどのような体勢で聞いていいのか分からず、とりあえず体育座りしたが、それも変な感じがして、ベッドの上から正座をして話に耳を傾けることにした。

慌てすぎて上の空だったので、何度も聞き返した。

どうやら想像以上に大変な手術だったらしい。

「これは手術するまでの日々、とても痛かったでしょう?この状態でよく頑張りましたね」

あぁ、きっと、先生こそ大変な作業だったろうな、と思い、改めて感謝の気持ちでいっぱいになり、心を込めて

「本当にどうもありがとうございました」

とボサボサの髪でお礼を言った。

すると羽毛先生は、

「画像を見た方が分かりやすいですよね」

とまるで家族写真を見せてくれるかのように、白衣のポケットからデジカメを取り出した。

「いやいやいや、いいです。いいです。大丈夫です!」

私は、親友が空に行ってしまったときの姿は見たくなかった。

心なしか先生はシュンとしたように見えたが、

その後ゆっくりと落ち着いた口調で、

「もうふさんのせいではありませんよ」
と。

ん?

「この症状は、何をしたからこうなる、というのは無い。これはもうふさんが防ぎようがなかったことなんです。もうふさんのせいではありません。だから、ご自分の何かが悪かったのかもしれない、と思ったりする必要は全くありませんよ。」

と。

私は、手術が決まってから初めて泣いた。親友だった子宮とお別れをすると決まった時には出なかった涙が、溢れ出て来た。

先生の優しさに泣いた。

私は何も言っていない。自分を守るために考えないようにしていたことだ。

先生のこの言葉も、動揺していた母と同じく、「そのことを私自身が気に病んでいないか」という、「私の心情の行方」を案じた思いやりだった。

私はずっと、自分の身に起こることのどこかに「自分のせい」を探していた。

気が付けば、自分の人生そのものを責めていた。

私を責めていたのは、誰でもなく私自身だったのだ。

羽毛先生の言葉に、目に焼き付けた窓の空の雲が、全て流れて行ったような心持ちになった。



母からLINEが届いた。

『迎えに行くつもりです。受付で待ち合わせてタクシーで帰ろうね。』

窓の外が青い。ビルと、遠くまで見渡せる、連なる屋根。向かいのデニーズの中は、早々と明かりがついて、温かな光の中で動く人々がいる。その隣の大きな木がサラサラ揺れるのを見ると、私はみんなに生かされているなと、切ない気持ちが溢れ出した。

この景色を忘れないように目を閉じ頭に残して、その時の自分の気持ちもしっかり噛み締めた。もう、やり残したことはない、と思えた。

10時少し前、母が入って来たのが見えた。
元気そうだ。良かった。母の表情は包み込むように柔らかい。

タクシーを呼び、一緒に病院の外に出た。
空が澄んでいる。風が吹いた。
気持ちが良かった。

母は病み上がりの私を気遣い、率先して理路整然と、惚れ惚れする口調で運転手さんに道案内をした。そこには10時を11時と間違える母はもういなかった。

晴れやかな空の下、タクシーは走る。



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