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手術のその後

そして、両親をパリへ

手術を終え、「私は変わる。次の人生へ行く」と決めた時、真っ先に思い浮かんだのが「両親をパリへ連れて行く」ということだった。
私はこれを、これをしないと絶対に後悔する。

両親はパリが大好き。

かつて私が留学をしていた頃、娘にパリを案内をして貰った、という記憶にしばし癒されることがあるようで、二人はその思い出に浸ることがあった。

そんな父と母を横目に見ながら、「二人が長時間の飛行に耐えられる体力があるうちに連れて行かねば!」と思いながらも、自分勝手な日々の忙しさにかまけて、どんどん月日は過ぎ去って行った。

ところが、青天の霹靂のような、今回の健気な親友である子宮との別れにより、これほどのサヨナラを体験した私はある意味無双状態になり、「今だ!今しかない!」と決断出来たのだ。


パリ。


町全体が空想に浸っているような雰囲気がある。
乾いた空気の中を光が差し、石畳を照らす。颯爽と足早に歩く人々。

かつての私とすれ違ったような気がした。

さよならと言った。


パリの人たちは、車の扱いがとっても雑。車体がなんとも汚い。乾いた泥が模様の様についている。
でも全然、汚れても構わない。気にしない。
汚れてますけど何か?だって移動手段じゃん。何か問題でも?って顔で運転してる。
いいな、そういう生き方。

ホテルのベッドメイキングをしてくれる穏やかな人は、ウクライナから妻と子どもを連れて避難して来たと話してくれた。

煙草が好きだと言うその人に、父は日本の煙草をプレゼントした。雑談の中にさらりと身の上話を織り交ぜる。笑顔が素敵な人だった。その人の笑顔だけを見ていたのなら、私は彼が抱えていた大きなものに、決して気がつかなかっただろう。

笑顔とは、その人の意思なのだ。
私はそのことをとても美しいと思った。

地下鉄のドアに戦いを挑んだ母

私の手術を、多くを語らず見守ってくれた母の「ど根性」を垣間見た瞬間があった。

パリの地下鉄のドアは自動で開くものと手動で開けるタイプのものがある。

母はたびたび、パリジャンが手動で開けるさまに居合わせては「へ〜あーやって開けるのね」と感心し、注意深く見ていた。そんな母を見ても私は、「ドアがもの珍しいからだろう」とさほど気にしていなかった。

普段は何が起こっても、穏やかに「うふふ」でやり過ごす母だから、まさか、密かにドア開けチャレンジに闘志を燃やしているなんぞ思いもよらなかった。

 それは帰国前日に起きた。

いつものように地下鉄で電車を待ち、ドアが開いた。父はサッと乗り込み、私も横着して人が開けてくれたドアから母と乗ろうとした。が、その時、母は何を思ったか、わざわざ少し離れた、誰も開けていないドアの取っ手に飛びついた!

え?!

と思ったのも束の間、思いっきり下に下げている。違う違う、そうじゃ、そうじゃない、上だよ!と思い、

「お母さん!違う違う!いいからこっち!」と言っても聞かない!急にガンコ!両手で取っ手にしがみつく。父は唖然としている(ショックに弱いタイプ)。もう発車寸前で隣のドアも閉まりかかっている。とっさに母をドアから引き剥がし、隣のドアに強制連行した。ドアが恋人か!

急いで車内に乗り込んだものの、扉に思いっきり挟まってしまった。

こんな時パリの人は優しい。唖然としている父の横で(ショックに弱いタイプ)、居合わせた人たちは心配し、「マダム、無理をしないで。」「大変だったねマダム」と優しく労わってくれた。

ドアに挟まっても母は「うふふ」と楽しそう。母強し。
「うーん、どうして開かなかったのかしら?」
と呑気に聞くので、
「逆に回してたからだよ」
と伝えた。

私は実は、手首が弱い母に、硬いドアの取手を開ける方法を覚えて欲しくなかったのだ。これに懲りてもうやらないだろうと思い、それ以上の事は言わなかった。しかしその数時間後、ホームに列車入って来た時にまた母の目が光ったのを見逃さなかった。
そうはさせない!と、母が飛びつく前に、さっと私がドアの取っ手を取った。

「お母さん!危険なパリの地下鉄でおかしな挑戦しちゃダメだよ!」
と、もう一生言わないであろうセリフで怒った。

母は普段は穏やかでおっとりしているのに、突如よく分からない事に情熱を燃やすタイプ。私はすっかりその事を忘れていた。

そして最終日。
これが母のラストチャンス。一騎打ちの勝負の日。母はどーしても、どーしても!この旅行でこの挑戦に勝ちたかったらしい。

勝負の列車が目を光らせながら轟音とともに暗闇から現れた。母は誰も開けそうにないドアを瞬時に見極め、柔道家が相手の襟を掴むくらいの卓越した素早さで取っ手にくらいついた。スローモーションだった。残像が見えそうなほどなだらかな手で取っ手を上に上げた。そしてついに、「ガガガっ」と祝福の音をドアが鳴らした。母は

「やった!開けた!お母さんが開けた!」

と背負い投げ直後の柔道家のごとくガッツポーズをした。

良かったね。ミッション達成して。
私はこんな母を見て、きっと、私が母と同級生だったとしても、友達になっていただろうなと思った。

戦いを終えた母


何はともあれ日本食な父


父は旅に出ると『母を訪ねて三千里』もとい『日本食を訪ねて三千里』な放浪少年となる。海を越えても妻の味がする日本食が好き。

二日目にして早速「うどんが食べたい!」のうどん禁断症状が出た。そこで日本食屋さんへ行く。
パリジャンでごった返し大盛況。日系の若い男の子がレジ打ちをしていた。高校生だろうか。背筋がピンとし思慮深い目。かっこいい。彼を見て、日本人の両親のもと、南仏ニースで生まれ育った友人を思い出した。幼い頃から自分のルーツやアイデンティティについて、悩む事象に沢山出会うというのだ。自分は日本人なのか、フランス人なのか。自分らしさとは何なのか。もしかしたら日本食屋の彼も、そんな思いをしながら生きて来たのだろうか。彼の目線や雰囲気は大人びて見える。その凛とした佇まいは生きるしなやかな強さを知っているようだった。私も見習って、背筋を伸ばそうと心に決めた。

母はニコニコしながらキツネうどんをほおばり、父は美味しい美味しいと目尻を下げてカツ丼とお味噌汁を頂いた(うどんじゃないんかい)。

別の日には、
「おにぎり食べたい!」のおにぎり発作が出た。
アジアの惣菜屋を調べ、梅、しゃけ、たらこのおにぎりを頂いた。至福の味わい。おにぎりはどこの国にいようと人を元気にする。調子に乗って、今度は老舗スーパーでいそいそとおにぎりを買ってみた。

え、ご飯が酢めし。

おにぎりの酢めし。

「酸っぱい!腐ってる!」

と父。違う違う。ご飯が酢めし、酢めしなんだよ。

うん、でもいいよ。それがパリにいる君の個性さ。ムッシュー酢めしおにぎり。文句を言いたい人には言わせておけばいいんだ。だってそれが君の良さだもの。ここでなければ君に出会えなかったよ。

母と父と、パリと。また来ることが出来て良かった。

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