見出し画像

南方熊楠さん、世界を駆ける。 (3)

ただいま編集中の本は「熊楠さん」に関する本です。
熊楠さんのこと、ちょっとおさらいしてみましょう。

 東大生をやめた南方熊楠(みなかた・くまぐす)さんは単独、1886(明治19)年12月横浜港を出港し、翌年1月8日にサンフランシスコに上陸。パシフィック・ビジネス・カレッジという商業学校に入学しました。ちなみに熊楠さんは東京時代、共立学校や大学予備門でけっこう英語漬けの日々を過ごしていました。アメリカでも、はじめから語学に困ることはなかったのかもしれません。商業学校に半年通ったあと、ミシガン州のランシングにある州立農学校(今のミシガン州立大学)にて面接、入試試験を受け、見事合格して入学しました。1887年8月、熊楠さんは弱冠20歳でした。

 ただ、熊楠さんは農学校をずっと気に入ったままではいられませんでした。学内で喧嘩に巻き込まれたり、自分で騒動を起こしたりして、翌1888年末には退学してしまいます。熊楠さんはランシングから程近い学問都市のアナーバーにひかれ、移住しました。古書店が建ち並び、博物館などもあり自然も豊かなアナーバーで独学、西洋思想や近代科学を習得しました。アナーバーにはミシガン大学があったので、日本人留学生と交流したり、また、春にはいっせいに草花が咲き乱れるヒューロン川周辺で、植物採集に明け暮れました。熊楠さんはこの頃、膨大な数の書物を読んでいました。自然科学、人文科学、と垣根を越えた知識を吸収していったのです。

 熊楠さんは1891(明治24)年、24歳の春まで、アナーバーで過ごしました。この頃、日本からの仕送りがしばらく途絶えがちになりますが、このあとの約1年間、熊楠さんはとんでもない冒険の日々を過ごします。

 カルキンスさんという植物学好きの弁護士と知りあい、厚遇され、フロリダに植物学上の珍種が多いと聞かされて、この年の4月アナーバーをあとにします。5月フロリダのジャクソンヴィルに着き、地元の中国人の援助を受けながら、植物採集に没頭して暮らします。さらに大きな夢にむかっていた熊楠さんは、8月にフロリダを発ち、南へ。顕微鏡2台と、拳銃1丁を携えての旅です。9月カリブ海の国キューバのハバナに到着。うまい具合に曲馬団の書記に雇われ、2か月にわたってハイチ、ベネズエラ、ジャマイカなどを転々とします。その間も熊楠さんはいつでも珍しい菌類や地衣類などを採集していて、キューバで発見した地衣類は新種であることが後にカルキンスさんによって認定されました。
 ちなみに、「熊楠さん伝説!?」として知られる話に、キューバ独立戦争で革命軍として闘い負傷した、というのがあるみたいですが、これは創作のお話しだそうです。
 さて、翌1892年はじめにフロリダに戻った熊楠さんは、夏までかけて旅で採集した植物の整理を丹念に行いました。8月、かねてから計画していたロンドン行きを実行します。
 9月まずニューヨークに行き、英国リヴァプールへ。そして熊楠さんはついに、自らの運命を大きく動かすことになるロンドンの地に下り立つのでした。
 (つづく)


『熊楠研究』(南方熊楠研究会編 南方熊楠顕彰会刊 京都月出版販売)は南方熊楠に関する未発表の論考を収める年1号発行の研究書。熊楠研究の分野において最も権威のあるシリーズとして高く評価されています。
 最新刊は今年刊行された第20号。
・特集「佐藤清明と南方熊楠」では岡山民俗学の佐藤清明や、『遠野物語』の柳田国男などと、熊楠の関係について一流の研究者たちが論じています。
・武内善信さんは、このたびはじめて翻刻した熊楠による手紙(古田幸吉宛)を紹介し、熊楠の家系についてこれまで知られてこなかった重要な事件、事実について解説しています。
 ほか、熊楠に関する論考や、新刊本の紹介など、多数掲載。
(A5版、並製、292頁、本体4000円)
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784902938708


いいなと思ったら応援しよう!