【正義?】FBIが警告した映画『HOW TO BLOW UP』は環境活動家の実力行使をリアルに描き出す
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FBIが「テロを助長する」と警告した映画『HOW TO BLOW UP』は、環境活動家のリアルな抵抗をエンタメとして描き出す良作
実に面白い物語だった。もちろんテーマが興味深かったのも良かった点なのだが、何よりもシンプルにストーリーが面白かったのだ。決して長くはない物語なのだが、情報の提示の仕方などが絶妙で、重厚な作品を観たような気分になれた。
さて、本作『HOW TO BLOW UP』は「FBIが警告を発した映画」としても話題になった作品である。「この映画を観た人間が、同じようなテロをやりかねない」と懸念したというわけだ。観る前は正直、「宣伝文句としてちょっと大げさに使っているのだろう」ぐらいに思っていたのだが、観終えて「なるほど、確かにな」と感じさせられた。日本には「石油パイプライン」はあまりないはずだし、なかなか身近に見ることもないので実感しにくいと思うが、本作を観ると、「テロのターゲット」として「石油パイプライン」を選ぶ合理性が理解できる。砂漠地帯を通るパイプラインはむき出しの箇所もあるので、狙いやすいのだ。
また、爆弾の作り方だって、今どきいくらでもネットで拾えるだろう。もちろん、作中である人物が言っていたように、「爆弾を自作する奴の半分は、作っている時に爆破させる」そうなので、決して簡単ではないだろうが、可能ではあると思う。となれば、本作で提示されたのと同じテロを実行に移すことは、案外簡単なのかもしれないとも感じた。「FBIが警告した」というのも誇張ではなく、割と現実的な指摘だったのだろう。
リアリティを保ちながら、エンタメとしても非常によく出来た作品というわけだ。
「過激な環境活動家」に対する私のスタンス
最近、「環境活動家」「環境アクティビスト」といった単語を目にするようになってきた。よく報じられるのは、「美術館に展示されている名画にトマトスープやマッシュポテトを投げる」といった活動で、「気候変動」への関心を抱かせようと奮闘する人たちのことである。「『名画を汚すこと』がどう環境に関係するのだろう」とも思うが、恐らく、「『軽犯罪程度で済む話題性のある行為』によって注目を集め、自分たちの主張を聞いてもらおうとしている」のだと思う。あるいは、「『資本主義の象徴』として『バカみたいに値段が高いもの』を標的にしている」なんて意図もあるのかもしれない。
さてそんなわけで、ここではまず「そのような活動に効果があるのか」という点を検証してみたいと思う。
まず「良いか悪いか」の話をするなら、そりゃあ悪いに決まっているだろう。恐らく何らかの犯罪行為には該当するはずだ。またそうではないのだとしても、「名画」は気候変動に対して何の罪もない。「本質的な意味で『悪』とは言えない対象」をターゲットにしているわけで、倫理的に許容されるはずがないと思う。
ただこうも考えられる。名画はガラスなどで保護されているわけだから、実質的な被害はほとんどないと言っていいだろう。そしてその上で、「注目を集めて自説を訴える」ことによって考えが変わる人がいるなら、「最小のコストで可能な限りのリターンを得ている」ということになる。だとすれば、倫理的に許容されないとしても、認め得る余地がどこかにあるのではないか、と考えることも可能だ。
このように、なかなかシンプルには判断できない問題なのである。そこで私は、この問題に対して分かりやすい基準を設けたいと思う。それは、「彼らの仲間になりたいかどうか」だ。気候変動などの環境問題が喫緊の課題であることは間違いないのだから、「『彼らの考えに賛同する人』が増えること」は喜ばしいはずである。なので、「彼らの活動の結果、『仲間になりたい』という人が増えれば『善』、増えなければ『悪』」という基準を設けることは妥当だと思う(もちろん、「考えには賛同するが仲間にはなりたくない」という意見も存在するとは思うが、とりあえずそれは無視している)。
そして私個人は、「名画にトマトスープを投げるような集団」の仲間なんかには絶対になりたくない。だから、私だけの話で言えば「悪」だし「逆効果」でしかないというわけだ。ただあくまでもこれは私の感覚であり、一般的にどうなのかは分からない。もしも「名画にトマトスープを投げることで『仲間になりたい』という人が増えている」のであれば、彼らの活動を許容せざるを得ないだろうと考えている。まあ実際のところ、彼らが賛同を集めているのかは何とも分からないのだが。
「他に代替手段が無い」のなら許容せざるを得ない
さて、先程した「仲間になりたいかどうか」という話とは別に、この問題に対してはもう1つ感じることがある。それは「世代ごとの感覚の違いが大きい」ということだ。
若い世代ほど環境問題に関心が高く、実際に行動を起こしているのも彼らである。若い世代の方が明らかに「より長く地球に住む」ことになるし、子どもを生み育てることまで考えれば、「自分の死後も『住める地球』を残したい」と考えていると思う。一方で、年代が上がれば上がるほど、「自分はどうにか逃げ切れるだろう」という考えから、環境問題への関心は薄くなっていくはずだ。
さて、少なくとも今の日本においては、「社会構造を変えるような力を持つ者」は大体年寄りである。つまり、「年寄りの考えを変えなければ社会は変わらない」というわけだ。そのように考えるとやはり、「名画にトマトスープを投げる」というやり方では上手くいかないだろう。年寄りはむしろ、「野蛮な連中だ」「あんな野蛮な奴らの言うことなど聞くものか」と、余計に意固地になってしまうかもしれない。
そして本作『HOW TO BLOW UP』の登場人物たちは、そのような感覚を抱いているが故に「石油パイプラインを爆破する」という実力行使に打って出るのである。「決定権を持つ者の目を見開かせる」みたいなことをやらなければ何も変わらないし、意味がないというわけだ。「名画にトマトスープを投げる」と比べたら、被害も損失も比較にならないぐらいの行動の背景には、「ぬるいことなんかやってられない」という明確な意思が潜んでいるのである。
では、「石油パイプラインを爆破する」という行為の是非について考えてみよう。「良いか悪いか」で言えば、もちろん議論の余地なく「悪い」である。明確な犯罪行為だし、被害額も相当なものになるはずだからだ。また、ただの映画でしかない本作に対してFBIが警告を発したことを考えれば、実際に石油パイプラインを爆破するテロが起こる可能性も、後に続く者が現れる可能性も十分あり得るのだろう。そのようなことを様々に考え合わせれば、許容出来る余地はないように思える。
さて、ここで少し「法を犯すこと」そのものについて考えてみよう。私は基本的に、「どんな理由があれ『法を犯すこと』は避けるべき」だと思っている。それがどれだけ理不尽な法だとしても時間を掛けて「法改正」を目指すべきだし、その選択肢が存在している以上は、「法を犯すこと」が許容される余地はないというのが基本的なスタンスだ。
ただやはり、「法改正なんて悠長なことを言っていられない」みたいな状況もあるはずだし、そのような場合、「『法を犯す』以外の代替手段が存在しない」という可能性だってあるだろう。そして私は、「そういう状況であれば『法を犯すこと』も止むなし」と考えているのだ。もちろん、法を犯したのであれば処罰されなければならないし、それを免除しろなんて話では決してないのだが、私個人としては「そのような状況で法を犯した人を許容したい」と思っている。
では、環境問題はどうだろうか? これはなかなか判断が難しい。「今すぐ対策を打たなければ手遅れになる」という話はよく聞くが、それが本当なのかは何とも判断しがたいからだ。もちろん「早いに越したことはない」わけだが、「法改正を待てないぐらい猶予がない」のかについては何とも言えないように思う。
ただ環境問題の場合は、「『資本主義社会における経済成長』と密接に結びついているために、法改正や規制がなかなか進みにくい」という側面もあるはずだ。「環境を守るためには経済成長を犠牲にしなければならない」という主張は、特に社会の強者(その中には「決定権を持つ者」も多いだろう)には受け入れがたいのではないかと思う。であれば、「まともなやり方では社会の変革は望めない」と言っていいのかもしれない。
そんな風に考えると、「『石油パイプラインを爆破する』という手段もやむを得ないのかもしれない」みたいにも思わされてしまうのだ。実に難しい問題だなと思う。
「NOを突きつける存在」は評価されるべきだと思う
さて、また少し違う話をしようと思う。
インターネットやSNSが当たり前の世の中になってから、「炎上」がよく目につくようになったように思う。私が本作を観た時期は、Mrs.GREEN APPLEの『コロンブス』という曲のMVが炎上しており、メディア等で大きく取り上げられていた。私はその報道を見て、「コロンブスに対する人物評価がいつの間にか変わっていたのだな」と驚かされたのだが、それはともかく、確かにMVの映像は「不用意だった」と思う。あそこまで炎上するような内容なのかは何とも言えないが、「適切ではないものを世間に公開した」という意味で批判は仕方なかったのかなという感じはする。
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