【異常】オンラインゲーム『DayZ』内でドキュメンタリー映画を撮るという狂気的な実験が映す人間模様:映画『ニッツ・アイランド』
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映画『ニッツ・アイランド』は、「オンラインゲーム『DayZ』内でドキュメンタリー映画を撮る」という、思いついたって普通はやらないだろうイカれた企画を実現させた作品
久しぶりにちょっとぶっ飛んだドキュメンタリー映画を観たなという感じだった。「ドキュメンタリー」に限る話ではないが、「表現方法」なんてあらゆる領域で既に出尽くしていて、「新しいもの」なんかもう生まれないような気もしていたのだけど、もちろんそんなことはない。しかしそれにしても、「よくこんなこと考えて、やろうと思ったものだ」と感じさせられた。思いついたとしても、やらないだろ、普通こんなこと。
「オンラインゲーム内でドキュメンタリー映画を撮る」という、本作『ニッツ・アイランド』の基本情報
この記事では既に「オンラインゲーム内でドキュメンタリー映画を撮る」という本作の設定に触れてしまっているが、それを知らない人に本作の説明をする際、「生物も自然も一切画面に映らないドキュメンタリー映画」なんて言い方も出来ると思う。普通に考えれば、そんなことまずあり得ないだろう。「ドキュメンタリー映画」というのは、その対象が何であれ「現実世界に存在するもの」を映すはずなので、「生物も自然も一切画面に映らないドキュメンタリー映画」なんてものをイメージするのは難しいはずだ。
しかし、「ゲーム」や「仮想現実」などの登場によって、「現実世界とは異なる場所で起こっている出来事を映し出す」みたいなこともあり得る世の中になった。いやホント、「なるほどなぁ」、と思う。本作を観たことで、「確かにこんなやり方もあるよな」と感じさせられたのだが、そうそう思いつくアイデアではないはずだ。まずはその点に驚かされてしまった。
というわけで本作『ニッツ・アイランド』は、最初から最後まで「オンラインゲーム内」のみで完結するドキュメンタリー映画である。少なくとも私はそんなドキュメンタリー映画を観たことがないし、異色中の異色と言っていいんじゃないかと思う。
ちなみに、この点は先に触れておくべきだと思うが、私は「ゲーム」を一切しない。オンラインゲームだけではなく、スマホゲームやPlayStation、Nintendo Switchなんかもたぶんやったことがないと思う。スマホで詰将棋やシンプルなパズルゲーム(ガチャとか課金が無いようなタイプ)を多少やるぐらいだ。そんなわけで、オンラインゲームに関する知識が一切ないので、本作の感想でも何か的外れなことを書いてしまう可能性がある。そういう箇所があったとしても、「単なる知識不足」と認識してほしい。
さて、本作はド頭からゲーム画面のまま始まり、「いちプレイヤーとしてゲーム内に存在する撮影班が様々な人に話を聞く」というスタイルで展開されていく。で、本作には、「これが何のゲームで、どんな風に物語が進んでいく設定なのか」みたいな説明は一切出てこない。このゲームをプレイしたことがある人はもちろん、画面を見るだけでピンと来るのだろうが、そうではない人にはその辺の基本情報はまったく提示されないまま進んでいくというわけだ。そんなわけで、その辺りの情報については、公式HPやネットの検索などで補うことにしようと思う。
本作の舞台になっているのは「DayZ(デイジー)」というゲームだそうだ。公式HPには「サバイバル・ゲーム」としか書かれていないのでネットで調べてみたのだが、Wikipediaでは次のように紹介されていた。
プレイヤーは架空のNIS諸国のチェルナルスで、謎の疫病により多くの人間が暴力的になったゾンビを相手に生き延びなければならない。サバイバーのプレイヤーは食糧、水、武器、薬を手に入れ、ゾンビを殺したり避けたりし、または他のプレイヤーとも殺し合いや回避をしたり、時には協力をして生き残らなければならない。
確かに画面内にはゾンビみたいな奴が出てきた気がする。観ている時はよく分からなかったが、あのゾンビを倒したりしつつ生き残りを図るゲームなのだろう。
さて、私の理解が正しければ、オンラインゲームのプレイヤーは別に「ゲームの目的に沿った行動」をしなければならないわけではない。ゲームの設定は、あくまでも「こういう世界観ですよ」という説明でしかなく、究極的には「何もせずに、ゲーム内の世界にただいるだけ」でも別にいいのだ。実際に、作中で取り上げられていたプレイヤーの1人は、「自分は不眠症で、毎日仕事終わりにここに来ては、1人で散歩している」と言っていた。この人物は既に、1万時間もこのゲーム内で過ごしているそうだ。計算してみると、仮に24時間ずっとゲーム内にいると仮定しても416日。1日5時間で計算すれば2000日、約5年半である。1万時間ずっと散歩していたわけではないだろうが、それにしても凄い時間の使い方だなと私には感じられる。
そんなわけで、オンラインゲームの世界では「許容されている範囲内で何をしても(しなくても)いい」というわけだ。であれば、その中で「様々な趣味趣向で繋がったコミュニティ」が生まれるのも当然の流れだろう。散歩仲間を見つけてもいいし、一緒に農業をやってもいいし、勝手に自警団みたいなものを組んでみてもいい。どのオンラインゲームにもそういうコミュニティが存在するのかはよく分からないが、少なくとも本作の舞台になっている「DayZ(デイジー)」にはそういうものがたくさんあるようだ。
そしてだからこそ、ドキュメンタリー映画として成立する余地が生まれる。ゲーム内の世界は確かに「現実」ではないが、「ある一定の範囲内で『現実』みたいに扱える空間」でもあるからだ。しかも、「『現実世界』では許されないこと」だってゲーム内では許容されたりするだろうから、そういう観点から考えれば、「現実世界」以上に「人間」の姿がより深く垣間見えるとも言えるかもしれない。面白いところに目を付けたものだなと感じさせられた。
ゲーム内の様々なプレイヤーについて
さて、サバイバル・ゲームだから当然と言えば当然だが、「DayZ(デイジー)」内では「殺人」が許容されている。これは「現実世界ではあり得ない状況」と言えるだろう。プレイヤーはもちろん、ゾンビを倒すために武器などを獲得するわけだが、それを使って他のプレイヤーを殺すことも出来る。そのため、「『殺人が許容されている』という、『現実世界』とは違った境界条件が設定された世界での振る舞い」には、より強く「人間性」が浮かび上がるんじゃないかと思う。
個人的に最も興味深く感じられたのが、「DayZ(デイジー)」内で出会ったというある男女のやり取りだ。それぞれ、ベルリンとオーストラリアからアクセスしているらしいのだが、女性の方がこんなことを言っていた。
私はビーガンで、現実世界では動物を殺さない生活をしてるけど、ここでは人を殺してる。
なるほどなぁ、と思う。別にゲームだから「人を殺している」こと自体はいいのだが、彼女はその事実を「自分はビーガンなのに」という認識と共に捉えているというわけだ。この感覚は興味深いなと思う。本人の中でどんな風に折り合いがついているのか気になるところである。
また男性の方は、
僕は子どもを寝かしつけてからここに来ている。正直、子どもにはオンラインゲームをしてほしいとは思わない。
と話していた。彼自身は、もう抜け出せないぐらいこのゲーム世界に依存してしまっているらしく、
リアルなゲームは決して悪いとは思わないけど、「現実世界への興味を失わせる」というデメリットがある。
みたいに認識しているようである。「子どもには勧めない」と思いつつ、「それでも自分はここから離れられない」とも考えているというわけだ。このような感覚もまた、実に興味深いと感じさせられた。
さて、また別の話をしよう。私は「DayZ(デイジー)」がサバイバル・ゲームであることを鑑賞後に知ったので、観ている際には特に何とも思っていなかったのだが、映画冒頭で撮影班が取材交渉を行った組織が、実はかなりぶっ飛んだ集団なのだと後から理解できた。というのもその組織は、「すべての生き物を殺さない」という信条を有しているのだ。サバイバル・ゲーム内に「すべての生き物を殺さない」と決めているコミュニティが存在することも面白いし、また、「彼らにとって『ゾンビ』は『生き物』に含まれるのだろうか?」みたいな点もまた気になるところである。
