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【満月の夜、救急は本当に忙しい?—“月効果”の統計学】


「今夜は満月だから、救急外来(ER)が荒れるぞ」。医療や警察の最前線で、まるで常識のように語り継がれる“月効果(Lunar Effect)”。古代から、「狂気(Lunacy)」は「月(Luna)」と強く結びつけられてきた。だが、この根強い信念は、統計的現実に裏付けられたものなのだろうか? それとも、我々の脳が強力なバイアスによって生み出した、壮大な「錯覚」なのだろうか?

本レポートは、この古くからの謎に、医療統計学と行動科学の冷徹な光を当てる。5万人規模の最新の外傷データから、数十年分の犯罪記録、出産件数に至るまで、世界中の大規模研究は一貫して「関連なし」という厳しい現実を突きつけてきた。

しかし、話はそこで終わらない。もし「効果なし」が科学的な結論ならば、なぜ医師や看護師といった合理的な専門家たちまでもが、この信念をこれほど強く捨てないのか? その答えは、天文学ではなく、人間の認知心理——稀な出来事同士を無意識に関連づける「錯覚相関」と、自説に合う記憶だけを選び出す「確証バイアス」——という、強力なメカニズムの中にある。

さらに本稿は、その世界的な定説に一石を投じる、日本からの特異な研究報告にも深く切り込む。曜日、天候、季節といった全ての要因を厳密に統制した分析が、世界で初めて「交通事故」においてのみ、統計的に有意なリスクの増加を発見したのだ。

これはオカルトか、それとも科学か。本レポートは、神話を解体し、膨大なデータと心理メカニズムの分析を通じて、新たな事実に再構築する。これは、あなたの“常識”と“直感”が試される、統計リテラシーへの招待状である。

— 医療統計と行動科学の観点から見た神話の解体とエビデンスの再構築 —

エグゼクティブ・サマリー


本レポートは、「満月が人間の行動(特に救急医療、犯罪、交通事故)に影響を与える」という“月効果(Lunar Effect)”の妥当性を、医療統計学および行動科学の観点から厳密に検証する。主要な結論として、救急外来の受診率、犯罪発生率、心停止、出産件数に関する大規模な時系列データ 1 は、月の位相との間に統計的に有意な相関関係を一貫して否定している。最新の2025年の研究 1 でも、5万人以上の外傷救急患者データ($P = 0.1$)で関連は棄却された。
この通説が根強く残存する主な要因は、統計的現実ではなく、強力な心理的バイアスである。具体的には、稀な事象(異常行動)と顕著な事象(満月)を誤って関連付ける**「錯覚相関(Illusory Correlation)」** 7 と、自説を支持する情報のみを選択的に記憶する**「確証バイアス(Confirmation Bias)」** 8 が、特に医療や警察などの高ストレス環境下で働く専門家にさえ影響を与えている。
唯一の注目すべき統計的例外は、日本で行われたOnozuka et al. (2018) の全国規模ケース・クロスオーバー研究 10 である。本研究は、曜日・天候等の交絡変数を厳格に統制した上で、満月の夜間に交通事故による救急搬送がわずかに(調整後$RR$ 1.042)、しかし統計的に有意に増加することを示した。これは「生物学的潮汐」のようなオカルト的要因ではなく、満月による**視覚的妨害(眩惑)または注意散漫(わき見)**という行動科学的・環境的要因を示唆するものである。
本レポートは、エビデンスに基づかない信念がリソース配分(例:救急の人員配置)に与える潜在的リスクを指摘し、“月効果”の議論を「神話」から「統計リテラシーと認知バイアスのケーススタディ」へと移行させることを目的とする。

第1部: “月効果”の神話と心理的基盤 — なぜ我々は信じ続けるのか


本セクションでは、“月効果”という信念が統計的証拠なしになぜこれほど強固に存続しているのか、その歴史的背景と行動科学的メカニズムを解明する。

1.1. 通説の起源:生物学的潮汐仮説と神話の系譜


“月効果”に関する現代的な議論の多くは、1978年に精神科医アーノルド・リーバー(Arnold Lieber)が発表した著書『The Lunar Effect: Biological Tides and Human Emotions』に端を発している。リーバーは、人体が約70%の水分で構成されていることに着目し、地球の海洋が月の引力によって潮汐(ちょうせき)を経験するように、人体もまた「生物学的潮汐」の影響を受け、これが感情の起伏や行動の変化(例えば、攻撃性の増加)を引き起こすと主張した。
しかし、この仮説は物理学的な観点から厳しく批判されている。月の引力が人体に及ぼす力は、日常的に経験する他の引力(例えば、母親が赤ちゃんを抱きかかえる力)と比較しても極めて微弱であり、生物学的な影響を及ぼすとは考え難い。この理論的基盤の脆弱性にもかかわらず、リーバーの仮説は一般社会に広く浸透した。
その背景には、「Lunacy(狂気)」という英単語の語源がラテン語の「Luna(月)」であるように、古代社会から月と人間の精神状態を結びつける文化的信念が深く根付いていたことがある。リーバーの理論は、この古い神話を疑似科学的な装いで再提示したものと位置づけられる。

1.2. 信念の持続メカニズム:錯覚相関(Illusory Correlation)


統計的な裏付けがないにもかかわらず信念が持続する第一の要因は、「錯覚相関(Illusory Correlation)」と呼ばれる認知バイアスである。これは、客観的には存在しない(あるいは非常に弱い)二つの事象間の統計的関連性を、主観的に「存在する」と強く知覚してしまう傾向を指す。
心理学者は、この現象を「人生の偉大な4分割表(The Great Fourfold Table of Life)」を用いて説明する。相関を正しく評価するには、以下の4つのセルを均等に考慮する必要がある。

セルA: 満月である + 異常事態が発生した(例:救急外来が混雑した)
セルB: 満月である + 異常事態は発生しなかった(例:救急外来は平穏だった)
セルC: 満月ではない + 異常事態が発生した(例:新月の夜に救急外来が混雑した)
セルD: 満月ではない + 異常事態は発生しなかった

多くの人々は、記憶に残りやすい「セルA」(顕著な事象の同時発生)のみに過度に注目し、はるかに頻繁に発生する「セルB」や「セルC」(信念に反する出来事)を無視してしまう。
特に、救急(ER)スタッフや警察官といった、日常的にカオス的で予測不可能な事態(暴力、重篤な外傷、犯罪)に直面する専門職の間でこの信念が根強いことが指摘されている。これは、人間の脳が高ストレス下でカオスに直面した際、その原因を説明するための「パターン」や「外的要因」を強く求めるためと考えられる。混沌とした夜勤の理由を「ランダムな偶然」と受け入れるよりも、「満月のせいだ」と(たとえ幻想であっても)外的な要因に帰属させる方が、心理的な統制感を得やすく、職業的ストレスを軽減するコーピング(対処)メカニズムとして機能している可能性がある。

1.3. 信念の持続メカニズム:確証バイアスと想起バイアス


第二の要因は「確証バイアス(Confirmation Bias)」である。これは、自分が既に持っている信念(例:「満月の夜は荒れる」)を支持する情報のみを選択的に探し、記憶し、それに反証する情報(例:平穏だった満月の夜)を無視、または積極的に合理化(例:「今日は休日だから静かなだけだ」)しようとする傾向である。
このバイアスは、メディアによる文化的刷り込み(プライミング)によってさらに強化される。「想起バイアス(Recall Bias)」とは、特定の出来事を思い出す容易さが、その後の判断に影響を与える現象を指す。映画、小説、アートなどのメディアは、エンターテイメント性やセンセーショナリズムを高めるため、犯罪やホラーシーンの背景として満月を意図的に多用する。
この文化的刷り込みにより、「満月」と「異常事態」の連合は記憶内で強く結びつけられる。その結果、満月の夜に発生した出来事は、他の日に発生した全く同じ出来事よりも鮮明に記憶され、想起されやすくなる。

1.4. 失われた相関の痕跡:「近代以前の照明」仮説(Raison et al., 1999)


なぜこの信念は、統計データによって繰り返し否定されてもなお、これほどまでに強固に残存しているのか。この矛盾を説明する説得力のある仮説が、精神科医のCharles Raisonらによって1999年に提唱された「近代以前の照明」仮説である。
この仮説は、“月効果”の信念が、かつては実在したが現在は消滅した相関関係の「文化的化石」である可能性を示唆している。その論理は以下の通りである。

近代以前の環境: 都市部で強力な人工照明が普及する以前、夜間の唯一の強力な光源は月であった。
睡眠への影響: 満月の明るさは、特に屋外で生活する人々(例:ホームレス状態にある精神障害者)の睡眠を著しく妨げた。
精神症状の誘発: 睡眠不足は、双極性障害の躁(そう)状態や、てんかん発作の既知の強力な誘発因子である。
過去の相関: したがって、19世紀以前の社会においては、満月の夜(=睡眠不足の誘発)と「狂気的行動(Lunacy)」の発生率との間に、睡眠不足を介した間接的な正の相関が実在した可能性が高い。

現代社会では、夜間の人工照明が満月の光を完全に凌駕しており、この相関関係は都市部では消滅している。しかし、その生物学的基盤が失われた後も、「満月は人を狂わせる」という物語(ミーム)だけが、「文化的化石」として現代にまで受け継がれている。これは、現在の統計データが一貫して「効果なし」と示す一方で、人々の信念が「効果あり」と主張し続ける大きなギャップを説明する、最も説得力のある行動科学的仮説の一つである。

第2部:医療統計における“月効果”の厳密な検証 — 大規模データセットの国際比較


本セクションでは、救急医療、出産、心血管イベントという3つの主要な医療分野に焦点を当て、時系列データを用いた統計的研究(特に交絡変数を統制したもの)の結果をレビューし、“月効果”の存在を検証する。

2.1. 救急外来(ER)と外傷センター:統計的棄却


救急医療の現場では「満月の夜は忙しい」という逸話(アネクドート)が広く信じられているが、大規模な統計データはこの信念を一貫して否定している。

最新(2025年)の大規模外傷データ(国際研究):
典拠: 2025年4月に『J Orthop Surg Res』誌で発表された最新の研究。
対象: 2018年から2024年にかけて、ある主要な地域外傷病院を受診した患者、$n = 53,594$人。
方法論: 月の光輝度(%)と日々の救急外来受診患者数を、多重線形回帰モデル(ピアソン積率相関係数)を用いて分析した。
結果: 月の位相と外傷救急部門への受診頻度との間に、統計的に有意な関連は一切認められなかった。
具体的統計値: $P = 0.1$。相関係数 $r = -0.03$ であり、相関は無視できるレベルであった。
6年間の救急コールデータ(国際研究):
典拠: $n = 11,134$人の患者を対象とした6年間の後ろ向き研究。
結果: 肺疾患などで救急コールが集中するクラスター(群発)は検出されたものの、月のいかなる側面(恒星月、朔望月、黄道十二宮)とも相関はなかった。
具体的統計値: 朔望月(満月・新月の周期)の$P$値 = 0.85、恒星月 $P = 0.99$、黄道十二宮 $P = 0.85$。
結論: 研究は、月や黄道十二宮の影響は「明確に除外できる(definitely ruled out)」と結論付けている。

精神科救急の分野でも同様であり、Biermann et al. (2009)、McLay et al. (2006)、Kamat S et al. (2014)、Gorvin JJ & Roberts MS (1994) 15 など、数多くの研究が月の周期と精神科救急受診や入院との関連を否定している。

2.2. 出産:50年間の系統的レビューによる否定


「満月の引力が羊水を引っ張り、出産を引き起こす」という神話もまた、医療現場で根強い通説の一つである。しかし、これも統計的に支持されない。

大規模コホート研究(米国・フェニックス):
典拠: Morton-Pradhan et al. (2005)。
対象: 1995年から2000年までの自然経膣分娩 $n = 167,956$件。
方法論: 日々の出生数を、月の位相および国立気象局の気象統計とマージして分析した。
結果: 出生率と月の周期の間に有意な相関は見出されなかった。
50年間の系統的レビュー:
典拠: 50年間にわたる21件の研究をレビューした論文。
結果: 月と出生率の関係を支持する十分な証拠は存在しない。過去に「陽性」(関連あり)と報告した少数の研究 17 は、互いに「満月に増える」「新月に増える」などと結果が矛盾しており、統計的妥当性に欠ける。

現代の周産期医療においては、「自然な」出生パターンを観察すること自体が困難になっている側面がある。ある研究 5 では、出生数のパターンが「**選択的介入(elective intervention)**に大きく関連している可能性が高い」と指摘されている。計画分娩、誘発分娩、帝王切開が一般化している現代では、たとえ微弱な「月効果」が存在したとしても、それは医療従事者のスケジュール(例:「週末やクリスマス、祝日を避ける」5)という、より強力な人為的要因によって完全に上書きされてしまうと考えられる。

2.3. 心血管イベント(心筋梗塞・心停止):相反するエビデンスの分析


心筋梗塞や心停止といった心血管イベントに関しても、“月効果”が調査されてきた。この分野の文献は「相反する所見(conflicting findings)」が多いと指摘されている 18 が、より大規模で方法論的に頑健な研究は、関連性を否定する傾向にある。

否定的エビデンス(大規模研究):
日本における院外心停止(OHCA)研究: ある日本の研究 6 は、満月の夜のOHCA発生リスクを対照夜(満月でも新月でもない夜)と比較した。
結果: 全患者における相対リスク($RR$)は 1.007 (95% CI: 0.993–1.021) であり、$P$値は 0.345 で有意差はなかった。
詳細: スーパームーン($RR$ 0.980)やマイクロムーン($RR$ 1.003)でも差はなく、心原性のOHCA($P = 0.166$)でも有意ではなかった。
その他: Eisenburger et al. (2003) 19 や Alves DW et al. (2003) 19 も、急性心筋梗塞や心停止との関連を否定している。
肯定的エビデンス(小規模または方法論的限界):
一部の研究 20 では、「死亡率が満月時に最も高かった」と結論し、「月相が影響を与える可能性がある」と仮説を立てている。しかし、この研究の死亡例は5件と極めてサンプルサイズが小さく、統計的検出力に重大な問題を抱えている。

結論として、心血管イベントと月の位相に関するエビデンスは、大規模かつ質の高い研究(例:6)においては、一貫して関連性を否定している。

第3部:犯罪・交通事故と月の位相:回帰分析と交絡変数の統制


本セクションでは、社会科学的領域(犯罪学、交通科学)における“月効果”を検証する。特に、初期の研究を悩ませた「交絡変数」の問題と、それを克服した現代的統計手法(ケース・クロスオーバー分析)の重要性に焦点を当てる。

3.1. 犯罪(暴行・加害)に関する統計的検証


アーノルド・リーバーは、1978年の著書においてマイアミの犯罪記録を分析し、満月時に殺人事件が増加すると結論付けた。しかし、この初期の研究は、同時期の他の研究によって否定されており、統計的手法に問題があったとされる。
現代において、より決定的な研究がドイツで行われている。

典拠: Biermann et al. (2009), "Relationship between lunar phases and serious crimes of battery: a population-based study"。
対象: 1999年から2005年にかけてドイツで発生した、$n = 23,142$件の重大な暴行(battery)事件。
方法論: データを月の位相、性別、犯行場所(屋内/屋外)で層別化し、さらにフーリエ解析も実施した。
結果: 満月、新月、またはそれらの中間位相と、重大な暴行犯罪の発生との間に、いかなる有意な関連も検出できなかった。

3.2. 交通事故研究における方法論的陥穽(かんせい):交絡変数の統制不備


“月効果”研究の歴史は、交絡変数(結果と原因の両方に関連する第三の変数)の見落としという、統計的過誤の歴史でもある。
画期的なメタアナリシス(複数の研究を統合・分析する手法)である Rotton & Kelly (1985) の "Much Ado About the Full Moon: A Meta-Analysis of Lunar-Lunacy Research" 21 は、この問題を鋭く指摘した。この分析(37件の研究を統合)21 は、過去に「陽性」(月効果あり)と報告した研究の多く(ある分析では半数 25)が、統計的エラーを犯していたことを暴露した。
その典型的な例が、交通人身事故に関する研究である。ある研究は「満月時に交通人身事故が増加する」と結論付けた。しかし、この研究は**「その満月が週末と重なっていた」**という極めて重要な交絡変数を統制(コントロール)していなかった。
観測された事故の増加は、「月効果」ではなく、「週末効果」(=飲酒運転の増加、交通量の増加)による見せかけの相関(Spurious Correlation)に過ぎなかった。Laverty and Kelly (1998) も同様に、交通事故と月の周期との関連を否定している。

3.3. 【最重要事例】 日本における特異的発見:Onozuka et al. (2018)


“月効果”は「交絡変数を統制すれば消滅する」というのが、長年の統計的コンセンサスであった。しかし、2018年に日本から発表されたOnozukaらの研究は、このコンセンサスに挑戦する、現在最も統計的に信頼できる「肯定的」エビデンスである。

典拠: Onozuka D, Nishimura K, Hagihara A. "Full moon and traffic accident-related emergency ambulance transport: A nationwide case-crossover study." Sci Total Environ. 2018.
方法論(なぜ信頼できるか):
デザイン: 「時系列層別化ケース・クロスオーバー法(time-stratified case-crossover study)」を採用。
統制: このデザインは、ケース(満月の夜)を、そのケースと同じ月・同じ曜日に発生したコントロール(満月でない夜)と比較する。これにより、曜日(週末効果)、月(季節性)、長期トレンドが自動的に統制される。さらに、天候(気温、湿度、降雨、雲量)および休日も統計モデル(条件付きポアソン回帰)で調整している。これは、25 で指摘された古典的なエラーを完全に克服したデザインである。
対象: 2010年〜2014年の日本全国(47都道府県、東京除く)の夜間(18:00–7:00)における交通事故による救急搬送データ(総計 842,554件)10。
発見(統計的に有意なリスク上昇):
満月の夜(62夜、29,584件)は、コントロールの夜(1764夜、812,970件)と比較して、交通事故による救急搬送のリスクがわずかに、しかし統計的に有意に高かった。
調整後相対リスク ($RR$): 1.042 (95% 信頼区間 [CI]: 1.021–1.063)。
これは、満月の夜には交通事故による救急搬送が 4.2% 増加することを意味し、この期間中、1192件の事故が満月に起因する可能性が示された。
層別化分析(リスクが上昇する条件):
この効果は一様ではなく、特定の条件下でより顕著であった。
年齢: 40歳以上のドライバーでリスクが有意に高かった ($RR$: 1.054)。
時間帯: 真夜中(0:00–7:00)よりも、宵の口(18:00–23:59)でリスクが有意に高かった ($RR$: 1.049)。
性別: 女性よりも男性でリスクが有意に高かった ($RR$: 1.050)。
【提案テーブル1】 Onozuka et al. (2018) における層別化分析:満月の夜における交通事故救急搬送の調整後相対リスク ($RR$)




  • *出典: Onozuka et al. (2018) のデータに基づく *

  • この層別化分析の結果は、本レポートの中核的価値を持つ。もし「生物学的潮汐」のようなオカルト的な力が作用しているのであれば、その影響は時間帯(18-23時 vs 0-7時)や年齢、性別に関わらず均一なはずである。

  • しかし実際には、「18時~23時」(=交通量が多く、月が昇り始めた時間帯)および「40歳以上」(=視覚機能が低下し始める、あるいは運転に慣れた層)でリスクが特異的に高い。これは、満月が(特にスーパームーンなどの場合)ドライバーの注意を引く「わき見(Distraction)」の原因となるか、あるいは明るい月が対向車のヘッドライトや道路標識の認識を妨げる「眩惑(Glare)」として機能している可能性を強く示唆する。これは生物学的効果ではなく、純粋な環境ハザードとしての“月効果”である。

第4部:メディア報道と社会的認識の増幅 — 神話の再生産メカニズム


本セクションでは、第2部・第3部で示した「統計的現実(=ほぼ効果なし、交通事故の例外のみ)」と、第1部で示した「社会的認識(=強い効果あり)」との間に存在する巨大なギャップが、どのようにして維持・増幅されるのかを分析する。

4.1. メディアによる“月効果”の表象分析


統計的エビデンスが「否」と結論付けても、社会的認識が「然り」と信じ続ける最大の要因は、メディアによる文化的刷り込みである。映画、小説、芸術、そしてニュースメディアは、エンターテイメントとセンセーショナリズムのために、満月と異常行動(犯罪、狂気、恐怖)を意図的に結びつける。
小説家などが使用する「Moonling(月に影響された人)」や「Moonsick(月病)」といった造語 14 は、この関連性を文化的に定着させ、公衆の意見に強い影響を与える。
このメディアによる強力なプライミングは、第1.3節で論じた「想起バイアス」の基盤となる。人々は、満月の夜に起きた出来事を、メディアが描く「典型的な満月の夜の出来事」として、より鮮明に、より強く関連付けて記憶してしまう。

4.2. ソーシャルメディアにおける神話の拡散


Facebook, Twitter (X), Instagram などのソーシャルメディアプラットフォーム 26 は、確証バイアスを増幅させる「エコーチャンバー」として機能する。
「昨夜は満月だったからか、救急が忙しかった」「満月の夜に変な客が来た」といった個人的なアネクドート(逸話)は、1 や 3 が示す「$P = 0.1$」や「有意差なし」といった統計的データよりもはるかに共感を呼びやすく、急速に拡散する。これにより、統計的に棄却されたはずの“月効果”が、ソーシャルメディア上では「共有された真実」として何度も再生産され続ける。

4.3. 統計的現実と社会的認識の乖離(ギャップ)の総括


この問題において最も留意すべき点は、一般市民の誤解ではなく、本来エビデンスに基づいて行動すべき専門家(医療従事者、警察官)自身が“月効果”を信じているという事実である。
ある研究 8 は、「月効果を信じている看護師は、信じていない看護師よりも、満月の間に患者の奇妙な行動についてより多くのメモを書いた」という過去の研究を引用している。これは、看護師が(無意識的に)自らの確証バイアスを支持する証拠を「積極的に収集」してしまい、バイアスを自己強化していることを示している。
このバイアスが、ERのシフトスケジューリングや人員配置に影響を与えた場合(例:「満月だからベテランを増員しよう」)、それはエビデンスに基づかない非効率なリソース配分となる。統計的には存在しない「月」の影響を恐れるあまり、リソース配分を歪ませること。これこそが、“月効果”の信念がもたらす唯一にして最大の実害である可能性がある。

第5部:結論とインサイト


5.1. 総論:「月効果」は統計的実在か、心理的構築物か


本レポートの網羅的レビューの結果、“月効果”は、一つの重要な例外を除き、統計的実在ではなく、強力な心理的構築物であると結論付けられる。

心理的構築物として: 救急医療、精神科、出産、心血管イベント、犯罪 3 において、月の位相とインシデント発生率の間に統計的に有意な関連を示す頑健なエビデンスは存在しない。
信念の源泉: この信念は、「錯覚相関」(稀な事象の誤った関連付け)7、「確証バイアス」(自説に合う情報のみの選択)8、「想起バイアス」(メディアによる刷り込み)14 という認知バイアスのトライアド(三つ組)によって維持されている。
歴史的背景: 「近代以前の照明」仮説 8 が示唆するように、この信念は、人工照明によって消滅した「過去の相関」の文化的化石である可能性が高い。

5.2. Onozuka (2018) の例外的重要性とその再現性の課題


唯一の統計的実在: 本レポートで検証した中で唯一、統計的に頑健な手法(ケース・クロスオーバー法)を用いて検出された“月効果”は、Onozuka et al. (2018) が示した「満月の夜における交通事故救急搬送の4.2%の増加」10 である。
解釈: これは「生物学的潮汐」仮説 9 を支持するものではなく、満月の光がもたらす「視覚的妨害(眩惑)」または「注意散漫(わき見)」という、行動科学的・環境的要因によるものと解釈するのが最も妥当である。
今後の課題: この日本での発見が、他の国や地域(異なる交通インフラ、運転文化、気候条件を持つ)で再現可能かどうかが、今後の重要な研究課題である。

5.3. 医療・公安リソース配分への提言


救急外来や警察署の管理者は、“月効果”というアネクドートやバイアスに基づいた人員配置(例:満月の夜の増員)を避け、曜日、休日、季節、地域の主要イベント(例:プロスポーツの試合 29)といった、統計的に実証されたインシデント増加要因に基づいてリソースを配分すべきである。
“月効果”の議論は、オカルト的な現象としてではなく、医療・公安従事者に対する「統計リテラシー」および「認知バイアス」のトレーニングにおける重要なケーススタディとして活用されるべきである。

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Much Ado About the Full Moon: A Meta-Analysis of Lunar-Lunacy Research - ResearchGate, https://www.researchgate.net/publication/19277222_Much_Ado_About_the_Full_Moon_A_Meta-Analysis_of_Lunar-Lunacy_Research
Bad Moon Rising: the persistent belief in lunar connections to madness - PMC - NIH, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC1316181/
Does the Full Moon Really Make People Crazy? - VICE, https://www.vice.com/en/article/does-the-full-moon-really-make-people-crazy/
How Does the Moon Affect Humans? Myths & Science - Centre of Excellence, https://www.centreofexcellence.com/how-does-the-moon-affect-humans/
Evaluation of Antecedent Ambiguity on Identification and Categorization of Behavior in Lunar-Effects Research - UTC Scholar, https://scholar.utc.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1460&context=mps
Think For Yourself: Full Moon Fever - Independent Australia, https://independentaustralia.net/life/life-display/think-for-yourself-full-moon-fever,7766
Arena-based events and crime: an analysis of hourly robbery data - ResearchGate, https://www.researchgate.net/publication/332530230_Arena-based_events_and_crime_an_analysis_of_hourly_robbery_data


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