1型糖尿病はいつから存在したのか?
1型糖尿病は、自己免疫疾患と呼ばれています。
血糖値を下げるための「インスリン」を作っている膵臓のβ細胞が何らかの理由で自分自身の免疫により攻撃してしまうことで破壊され
インスリンがほとんど出なくなる病気です。
2024年11月の世界糖尿病デー
(World Diabetes Day)に合わせて、
世界で糖尿病とともに生きる成人の数は
2022年に8億2,800万人になり、1990年の1億9,800万に比べて4倍以上に増えたという最新の調査結果が発表されたそうです。
この数字は1型糖尿病も2型糖尿病も混在したものですが世界中の人工の10分の1が糖尿病という驚きの結果です。
1型糖尿病を発症した場合、医療機関には届け出の義務が課されておらず、全国の患者数を把握することは難しいため
少し古い情報ですが2018年10月の時点で
日本の1型糖尿病患者数は約10万〜14万人と推定されていたようなので現在はもう少し増えていると予想されます。
1922年にインスリンが誕生するまでは
糖質を避けた極度の食事制限や
絶食しか対症療法が無く
ガリガリに瘦せた結果、発症後数年で亡くなってしまう致死的な疾患でした。
世界で初めてインスリン治療を受けた
レオナルドトンプソンは14歳で体重35キロ
1922年にインスリン治療を受けた
エリザベス・ヒューズは15歳目前で
身長152cmに対し体重20キロでした。

私達庶民は、1型糖尿病=原因不明の不治の病と長きに渡り洗脳されてきました。
1型糖尿病の治療としてインスリンが開発され
100年が経過し、
医療は驚く程進歩したにも関わらず
いまだに原因がわからないのは何故か?
「わからない」のではなく、
「わからないことにしている」だけなのです。
皆さんは、かつてのアメリカ大統領トルーマンの言葉をご存知でしょうか?

猿(日本人)を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。
方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。
そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。
これで、真実から目を背けさせることができる。
猿(日本人)は、我々の家畜だからだ。家畜が主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。
そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は、長寿にさせなければならない。
(化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。
これによって、我々は収穫を得続けるだろう。これは、勝戦国の権限でもある。
(ハリー・S・トルーマン)
糖尿病は現在も世界的に患者数が増加し
診察料、内服薬、インスリンなど多額の医療費が
コンスタントにかかるため
医療提供側は非常に美味しい儲けのタネとなっています。
本当の原因を知り国民が糖尿病にかからなくなれば、彼らの“収穫”が得られなくなってしまいますので原因不明のままにしておきたいのです。
今回は、そもそも1型糖尿病は
いつの時代から存在したのか?
原始人がいたような古代からあったのだろうか?
1型糖尿病の紀元について調べてみます。
紀元前1550年頃 エジプト王朝時代
「パピルス・エベルス」

古代エジプトで使用された文字の筆記媒体であるパピルス紙に書かれた医学書ならぬ
医学メモのようなもので、110ページ・長さ20mもあるそう😳
こちらが糖尿病について記載がある最古の書物。
このパピルスは紀元前1550年頃に書かれたものですが、
紀元前3400年頃より以前の文章を書き写したものだと考えられているようです。
想像以上に昔から糖尿病があるのですね。
「多尿で喉の渇きの激しくなる病気」という現代の糖尿病と同じ症状の記述があると言われています。
その記載をみると、多尿をきたす疾患で、「最もひどいときは、身体がやせ衰える病気がある。その患者を診察しても、肋骨が浮き出る以外に何の所見もない」とあります。当時、多尿(尿量が多い)は頻尿(回数が多い)と区別されていません。溢尿性疾患(尿を出し切ることができず、ちょびちょび尿が出る)の記載もあり、尿が多いだけで糖尿病と診断できません。
「何の所見もない」は、外傷や明らかな病的臓器がないという意味でしょう。 「体重減少をきたす原因不明の多尿疾患」と記述されてようやく糖尿病と結びつきます。強いインスリン欠乏状態にあると思われます。
原文(カーペンター) ではこの後に呪文を唱え、薬の調合が続きます。
処方については
尿があまりにも多いときには水を計量グラスに満たし、ニハトコの実、キュウリの花、なつめ、新鮮なミルク、ビールを一緒にして液体をこし、4日間飲む」。とあります。但し症状が果たして糖尿病なのか、またその処方の効果は明確ではありません。
このように、ハッキリ糖尿病とは言い切れず
泌尿器の病気と考えられている可能性も高いように思える内容です。
紀元前600年頃 古代インド
「スシュルタ・サムヒター」
古代インド医学では糖尿病をマドゥーメハ(蜜の尿)と呼んでいました。
猛烈な飢えや、いやしがたい渇きが衰えた患者にあり、おいしく健全な食べやすい食べ物でなだめられたり満たされたりしないのは、
致命的なしるしである。
下痢、はげしい頭痛、のどの渇きが現れ、
だんだん体力の衰える患者は死の危険が迫っている。
スシュルタ本集には、「過食、運動不足で肥満を来し、糖尿病(今の2型糖尿病)が起こる」と書いてあります。これだけでも立派な観察ですが、「1型と考えられる糖尿病 」も記載していて驚きます。「先天性で親の種に欠陥があるために起こり、、、痩せている」と書かれています。
スシュルタは外科手術の父と称される
古代インドの医師。
Wikipediaを見るとスシュルタは生没年不詳であり、聖仙と称される「ビシュバーミトラ」の息子として紹介されているという一文。
出ました❗️
イルミナティお得意
重要な事・隠したいことは「不明」にする。
ミトラといえばミトラ教=悪魔崇拝だとラプト理論で暴かれています。
ビシュバーミトラは
インド神話に登場する聖者のことで
古代から七聖賢と呼ばれる聖者がおり、彼らは北斗七星と同一視されているそうです。
ビシュバーミトラは七聖賢ではない聖者ですが、
現代で言うところの上級国民ですね。
古代にこれだけクオリティの高い外科手術を行い
膨大な医療知識を持っているスシュルタは
ただ単に優秀な医者だった。
というだけでは説明がつかないレベルです。
紀元前600年より更に前の悪魔崇拝者である先祖から知恵を授かってきたと考えた方が筋が通るのではないでしょうか?
そして、紀元後2〜3世紀に原本に改編を加えたとする説があるナーガールジュナ。
彼は漢字表記では「龍樹」と呼ばれ、
大乗仏教という悪名高き「密教」も含まれているものを体系化した人物です。
Wikipediaの生涯の欄を読むと、もはやただの強姦魔です。
わざわざ宮廷の美人を100日強姦せずとも、
間違った愛欲が苦悩と不幸の原因になることくらいわかるやろ!とツッコミたくなります。
こんな人物が崇められているなど狂気の沙汰でしかありません。
このバリバリの悪魔崇拝者が
都合の良いようにスシュルタ・サムヒターを改編した可能性が高いです。
私も古代から1型糖尿病が存在していたのかと
一瞬思いましたが、
「先天性で親の種に欠陥があるために起こり、、、痩せている」という1型糖尿病を思わせる記述。
時代背景を考えると、
この時代に遺伝子についてまで言及するのは
詳しすぎて逆に墓穴を掘ってるな。と思うのは
私だけでしょうか?
私のように古代から1型糖尿病が存在したのか
調べる人間が出てきた際に
古代の文献に一切1型糖尿病と思われる記述が無ければ、何故急に1型糖尿病が出てきたの?と
疑念が深まりますよね。
本当にウイルスや遺伝子が原因ならば
時代に関係なく1型糖尿病の人間が存在するはずです。
なんなら、古代の方が衛生環境が悪く
様々なウイルスに感染するリスクが高いので
多くの1型糖尿病者が存在したと考えられます。
紀元前200年頃 トルコカッパドキア
「diabetes mellitus」とアレテウスが命名
ら
Diabetes はギリシャ語で「サイフォン・水が流れる」mellitus はラテン語で「甘い」
従って diabetes mellitus は甘い尿があふれるように出てくるという意味を示します。
当時カッパドキアはローマ帝国東端の属州でキリスト教文明が爛熟していました。
アレテウス(AD81-138)は、医聖ヒポクラテスの影響を強く受けた臨床医であった。
アレテウスの「慢性疾患の原因と症状」の記述によると 「不思議な病気であるが、尿の中に肉や手足が溶け出てしまう。
病気の経過は共通していて、腎臓と膀胱がやられ、患者は片時も尿を作るのをやめない。
まるで水道の蛇口が開いたように絶え間なく溢れ出す。
病気の本性は慢性で、形をとるまでに長い時間がかかるが、いったん病気が完成してしまうと、衰弱は急速であり、死はすぐに訪れる」。
アレテウスが世界で初めて糖尿病の口渇・多飲・多尿を克明に記載しており、さらに糖尿病の慢性合併症の恐ろしさにも気づいています。
しかし胃腸や膀胱の病気だと考えていたため
食事療法を処方して「ミルク、お粥、穀物、果物、甘口のワインなど」の消化が良くて栄養の高い食べ物を考え出していたようです。
1・2世紀頃 古代中国
「黄帝内経」
前漢(紀元前206年 - 8年)時代に編纂された
医学書です。
原本は残っておらず、762年唐の時代に王冰によって編纂されたものが伝わっています。
黄帝内経には素問と霊柩があります。
素問は黄帝が岐伯(きはく)など学者に質問をし、返答を問うたところから「素問」と呼ばれます。素問の中に糖尿病とみられる記述があります。
まず黄帝が疑問を発します。「口の中が甘くなる病気があるが、病名は何か?、何が原因で起こるのか。」これに対して岐伯が答えます。「これは五気があふれるからであり、脾癉という病気です。食物は口に入ると胃に蓄えられ、脾がその精気を運行させます。津液が脾にあり、そのために口が甘くなります。」
中国医学の脾は現代医学の脾臓とは別物です。脾は胃と一体になって働き、水穀から津液を分離し、肺の働きを通じて全身に配ります(津液は薄い体液を指します)。腎は全身に配られた津液を管理して、不用のものを膀胱に貯めます。脾が失調すると、津液の不足・停滞が起こります。ここでは脾が失調して津液が脾に停滞し、口が甘くなると答えています(中国医学では口は脾の状態を反映すると言われます)。
「これは肥満が原因です。この病気になる人は甘美な栄養豊富な食事を摂り、肥満になっています。肥満者は体内に熱が生じ、甘さは腹を膨らませます。そのため(脾が失調して)精気が上に溢れ、消渇を引き起こします(消渇も糖尿病の古い病証です)。これを治すには蘭草を用い、脾に停滞した古い気を除きます。」
甘美な食事で肥満が起こる、これが糖尿病の原因と見抜いています。いかがでしょうか。
消渇(糖尿病)の主徴として多飲、多尿、口渇、痩せ、化膿症、性交不能をあげ、肥満や美食の関係を指摘していました。
ザ・糖尿病の症状ですね。
600年頃 唐の時代
「千金方」
医者が著した「千金方」という医学書に現代の糖尿病と似た病気の治療法が書かれています。
「如何なる薬ではでも治らないが、酒と塩分、小麦粉(炭水化物)を止めれば治る」と記載されており、中国でも食事治療を実施していたようです。
1000年頃 藤原道長
記録が残るうちで日本最古の糖尿病患者と言われています。
道長は1028年12月4日に62歳で亡くなっています。藤原実資(さねすけ)の遺した日記
「小右記(しょうゆうき)」や、
道長自身の日記「御堂関白記(みどうかんぱくき)」に糖尿病と思わしき症状が記されています。
・昼夜問わず口が渇く
・背中に大きな腫れ物
・眼が見えない
・度々胸の発作(恐らく狭心症?)を起こしている
原因として考えられるのは
①食事
②運動不足とストレス
③家系
と言われているそうです。
平安時代の貴族の食事は、品数が多く
酒宴が頻繁に開かれる上当時のお酒は濁り酒で糖分が多かったよう。
また摂政・関白として職務に長時間就き、権力闘争も激しかったことから重度のストレスを日頃から抱え運動に充てる時間もほとんど無かったのではないか。
そして長兄や叔父も糖尿病で亡くなっており
藤原氏は糖尿病家系だったのではないか?とも言われています。
源頼朝
53歳で亡くなった源頼朝も糖尿病だったのではないかと考えられているそうです。
関白・近衛実家の日記に「前右大将頼朝卿、飲水に依り重病」という記載があるそうです。
織田信長
肥満ではなかったものの、信長は酒を好まず甘党だったこと、晩年にはやたらと水を飲んでいたこと、同時に頻尿であった・足の痺れに悩まされていたといわれています。
ポルトガル人から献上された金平糖を気に入り
干し柿も大好きだったよう。
明治天皇
糖尿病及びその合併症である尿毒症で亡くなったといわれています。
明治天皇も信長と同じく、肥満ではなかったもののあんぱんを気に入る大の甘党だったそう。
その他糖尿病だった有名人は
北原白秋
バルザック
ミゲル・デ・セルバンテス
ヘミングウェイ
バッハ
夏目漱石
エジソン
などなど大勢います。
下記リンクご覧下さい。
今まで挙げてきた情報を見ると
紀元前600年頃のスシュルタ・サムヒターに
1型糖尿病らしき記述がある以外は
どの情報も糖尿病と診断されてから徐々に体調が悪化して合併症が出たり亡くなったりはしていますが2型糖尿病だと考えられるものばかりです。
幼少期から糖尿病であった。とか
骨と皮だけに痩せ細り、発症後数年で亡くなるというような、
1型糖尿病と思われる内容は
1922年の初めてインスリン治療を受けた、レナードトンプソンまで1型糖尿病患者が出てこないのです。
たとえ古代で知識が少なかったとしても
1型糖尿病と2型糖尿病患者の両方がいれば
急激に症状がすすみわずか数年で亡くなってしまう者と、長年かけて症状がでてくる者がおり症状自体は同じだが少し違いがある。
などの記載があっても良いのではないか。
厳密に言うとレナードトンプソンの記事を
調べていると、ハッキリ何年頃という情報は掴めませんでしたが1922年より少し前から
1型糖尿病で亡くなるひとがいたのだと考えられます。
そうすると、
巷で囁かれるワクチンを打つと1型糖尿病になる。説が濃厚だと言えます。
世界中でワクチン接種は
1796年エドワードジェンナーの天然痘ワクチンに始まり以外に続きます。
1879年 - コレラ(Cholera)の最初のワクチンが開発。
1881年 - 炭疽(Anthrax)の最初のワクチンが開発。
1882年 - 狂犬病(Rabies)の最初のワクチンが開発。
1890年 - 破傷風(Tetanus)の最初のワクチンが開発。
1890年 - ジフテリア(Diphtheria)の最初のワクチンが開発。
1896年 - 腸チフス(Typhoid fever)の最初のワクチンが開発。
1897年 - ペスト(Plague)の最初のワクチンが開発。
レナードトンプソンは1922年の時点で14歳なので、1908年頃に生まれています。
ちょうどペストが流行した第二パンデミックは
1361年頃始まり、文献により違いがあるようですが収束が1890年という記載もあります。
その後1900年にサンフランシスコでも
ペストが流行しているので、サンフランシスコと距離が近いカナダのトロントにいたレナードも
予防のためにとペストのワクチンを打っている可能性が高いのではないかと考えられます。
古代で1型糖尿病について言及している文献や
ワクチンが始まった1800年前後よりも以前に
1型糖尿病を発症している人の情報をご存知の方がおられましたら、
是非教えて頂きたいと思いますので
コメントよろしくお願い致します🙇♀️
