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【自己紹介】そもそもなんで看護師なって国際協力がしたかったの?

こんにちは、moyuです🌞

前回、次はドドマの病院や日常生活について投稿するとお伝えしていましたが、
そもそもなぜ看護師になってタンザニアで活動することになったのかを先にお話ししたいと思います。

自己紹介part2として、また将来に悩んでいる人、国際協力に興味がある人などに読んでいただけたら嬉しいです。

🌍 なぜ、国際協力をしたいと思ったのか

わたしが国際協力に興味を持ったきっかけは、実はとても個人的な体験から始まっています。

「子どもにはグローバルに育ってほしい」
そんな母の思いで、わたしは3歳からECCに通っていました。

正直に言うと、最初は本当に嫌で、毎週泣きながら連れて行かれていました😂
でも続けていくうちに少しずつ楽しくなり、小学生の頃には
「ワーホリに行きたい」「通訳をしてみたい」
そんなぼんやりとした夢を持つようになりました。


思い通りにいかなかった日々

進路を考え始めた頃、両親が離婚しました。
生活は一気に不安定になり、将来のことを考える余裕もない日々。

学校では明るく過ごしていたけれど、
その状況を周りに知られるのが怖くて、誰にも言えませんでした。

中学3年生のとき、担任との三者面談で
「お前は将来キャバ嬢にしかなれない」
と言われたこともありました。

今思えばおかしな話だし、失礼だし、反論してもよかった。
でも当時のわたしにとっては、それがすべてで。

家でも学校でも「元気な自分」でい続けることに、限界を感じていました。


人生を変えた、ニュージーランドでの2週間

そんな中、さいたま市の国際交流事業で
ニュージーランドへの派遣代表に選ばれました。

海外に行けば人生が変わるかもしれない。
キラキラした生活が待っているかもしれない。
そんな期待を抱いていました。

でも、現実は少し違いました。

他の参加者はファームステイや豪華な家庭での滞在。
わたしは子どもが4人いる家庭で、ルームメイトとベッドをシェア。

しかも真冬のニュージーランドで、声が出ないほどの風邪をひきました。

「ああ、またうまくいかないのは自分だけだ」
そう思ってしまいました。


それでも、与えられていたもの


それでも、声も出ないわたしを
ホストファミリーも友人たちも、優しく受け入れてくれました。

そのとき、ふと思ったんです。

こんなに温かく受け入れてもらっているのに、
「また自分ばっかり」と思ってしまう自分は、
いったい何を求めているんだろう、と。

この出来事をきっかけに、
わたしは少しずつ「物事の捉え方」を変えられるようになりました。

あのとき期待していた「人生が変わる」という出来事は、
キラキラした生活ではなく、
自分の心の向き方が変わることだったのかもしれません。


フィジーと「幸せ」の価値観

帰国後、ホストファミリーの出身地を調べてみると、
それはフィジーでした。

さらに調べる中で、
フィジーが「世界で一番幸せな国」と言われる理由に出会います。

それが「ケレケレ」という文化。

ケレケレ(Kelekele)は、フィジー語で「共有」「分け合い」「お願い」を意味する名詞であり、物や時間、空間をみんなでシェアするフィジーの伝統的な相互扶助の文化です。見返りを求めずに助け合う「Giving without Expectation(期待なく与える)」の精神であり、知らない人にも物をシェアする「魔法の言葉」として機能します。

家族のように支え合い、分かち合って生きていく。そんな価値観が、人々の幸福感につながっていると言われていました。

あのとき自分を受け入れてくれた優しさは、
この文化に根ざしていたのかもしれない。

そう思ったとき、
「豊かさ」や「幸せ」の意味が、自分の中で大きく変わりました。


「恵まれない」という言葉への違和感

そこから、途上国や紛争について調べるようになりました。

当時、特に目に入ってきたのはシリア内戦のニュース。
自分よりも幼い子どもたちが、過酷な環境で暮らしている現実に衝撃を受けました。

でも同時に、ひとつの言葉に強い違和感を覚えました。

「恵まれない子どもたち」

本当にそうなのだろうか。

生まれる場所は選べないのに、
ただそれだけで「恵まれない」と決めつけてしまっていいのか。

その言葉には、どこか一方的で、上から目線な印象を感じてしまいました。


わたしがしたい国際協力

もちろん、苦しんでいる人がいるのは事実です。
そしてその苦しさは、わたしのものとは比べものにならない。

でも、ただ「かわいそう」と思うだけの同情は、
時に相手を傷つけてしまうこともあると思っています。

わたし自身、つらかったときに救われたのは
「同情」ではなく、人のあたたかさでした。

だから今度はわたしが、
誰かにとってそんな存在になりたいと思いました。

関わった人が
「今日は少し楽しかった」
「明日も頑張ってみよう」


そう思えるような時間を一緒に作れること。

それが、わたしにとっての国際協力です。


なぜ、看護師という道を選んだのか

もともとは、英語が話せれば国際協力ができるかもしれないと思い、外語系の学部のある高校に進学しました。

でも、周りには留学生や海外にルーツを持つ友達が多く、トリリンガルの人もたくさんいて「英語だけでは太刀打ちできない」と感じるようになりました。

そのとき初めて、
“言語だけじゃなくて、自分に何ができるか”
を考えるようになりました。

さらに、両親の離婚を経験したこともあり「誰かのために」と思う気持ちがあっても、自分の生活を犠牲にしすぎてしまっては続けられないとも感じていました。

だからこそ、自分の人生も大切にしながら、長く続けられる仕事として、手に職をつけたいと思うようになりました。



そんな中で出会ったのが、赤十字やJICA、そして国境なき医師団の活動でした。

「医療はどこにいても必要とされる」
その事実に強く惹かれました。

そして、人と関わる医療職の中でも、
一番近くで「その人の人生」に触れる職種は何だろうと考えたとき、わたしの中で自然と浮かんできたのが、看護師でした。



ただ、外語系の学部から看護学部を目指す人はほとんどおらず、
最初は先生たちにも心配されました。

それでも理数科の先生がこう言ってくれました。

「もし自分が病気になったとき、あなたが看護師で、笑顔でそばにいてくれたら、救われる人がたくさんいると思う」

その言葉に背中を押され、受験の最後まで理数科目の勉強も支えていただきました。

嬉しいときも、苦しいときも、
その人のすぐそばにいられる仕事。

特別なことができなくても、
ただ隣にいることや、少しの声かけで、
誰かの気持ちが軽くなる瞬間がある。

それは、わたしがこれまで人にしてもらって
救われてきたことそのものでした。

だから今度は、わたしがそれを返していきたいと思い、看護師という道を選びました。


小さな幸せを積み重ねるために


特別なことじゃなくていい。

わたしの周りで、小さな幸せを積み重ねていくこと。
それを誰かと分かち合っていくこと。

その先に、
自分が生きている意味を見つけられる気がしています。


長くなりましたが、
ここまで読んでくださってありがとうございました😊




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