【日記】セプテンバーさんだね
別に、昔からものすごくファン!というわけでも、絶対にライブに行ってる!という熱量があるわけでもない。
それでも私の人生に、寄り添い続けてきた音楽の中にはうっすらと「RADWIMPS」が流れている。
特に今日、九月三日はやはり「セプテンバーさん」が聴きたくなる。
それは恐らく三月九日になったら、レミオロメンの「3月9日」のことを思い出す感覚に近い。
月日が曲名になってるのって、強いよね。他にもあるのかな、パッとは出てこんけど。
──毎年同じようなこと言ってるのかな、言ってる気もするな。
まあわざわざ調べるまでもないので、あえて過去を掘るようなことはしないが、絶対に三年もこういう記事を書いていたら、過去の九月三日にも同じようなことを書いているだろうなという想像はつく。
こうして、歴史は繰り返すのです。
毎年聴いているから、いつもこれくらいの時期の記憶には絶対に流れている一曲で、勝手に思い出は蓄積していく。
聴くだけでエモーショナルな気持ちになるのは、多分その思い出の多さゆえ。
これだから、音楽っていいよなあ。
ちょっと聴くだけで、その聴いていたときのことがどんどん思い出されるもんね。
これからも、自分の人生の近くには音楽があってほしい。
せっかくなので、これくらいの時期にふと聴きたくなる曲をいくつか挙げてみようと思う。
もしかしたら夏真っ只中の曲かもしれないけれど、どうしても納涼祭のようなイメージがあって、これくらいの夏の終わりに聴きたくなるのが、ヨルシカの「花と亡霊」
曲の終わり、静かになるところとか、何回聴いてもいいなと思う。
次は、aikoの「KissHug」。
これも改めて考えると、「夏髪が頬を切る」という歌詞からして夏の曲な気もするけれど、私の中では夏の終わりの曲なので挙げておく。
aikoの声、aikoの描く世界はいくつになっても変わらないなあ。
彼女の楽曲も、青春のどこかで間違いなく流れていた。
これも、個人的にものすごく思い出深い曲。
いろいろ苦しかったとき、何度も聴いてその度にいろいろ考えて、何度も泣いていた一曲だ。
恐らくこれまでもどこかで、好きな曲などを語るときに挙げてきただろう、藤井風の「帰ろう」。
気が向いてちょっと確認してみたら、奇しくも五年前の九月四日がこの動画の公開日だった。ご、五年…!
私は、この五年で何がどう変わったかな。
上手くは言えないけれど、少なくとも「帰ろう」を聴いて切実な思いのもと、夜な夜な泣いていた時期よりは、明るくてあたたかいところにいると思う。
そうある「今」に心底感謝しながら、雨の音を背景に、今夜はもう一度「セプテンバーさん」を聴きに戻ろうかな。
