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016│平日恋♯7 予想外の揺れ

夜、まるりはひとりで、行きつけのバーのカウンターに腰を下ろしていた。
照明は落ち着いた琥珀色で、ボトルのガラスが静かに光を返している。
カクテルグラスの縁に触れると、ひんやりとした感触が指先に残った。

赤い液体の中で、透明な氷がゆっくりと形を変えながら、
かすかに、カラン、と音を立てる。
その小さな音が、夜の静けさをいっそう際立たせていた。

テーブルに伏せていたスマホが、ふっと光る。
画面に浮かんだのは、ソジュンのウィンクのアイコン。

──この時間に?珍しい。どうしたんだろ。

少し意外で、でも、胸の奥がわずかに温かくなる。
自然と口元がゆるみながら、画面を開いた瞬間、その温度がすっと張り詰めた。

「夜中に携帯にLINEの通知が来て、妻に「まるりって子は誰?」って聞かれて。

一行ずつ、静かに読んでいく。

「毎日ちゃんと消してたから、今のところは大丈夫だけど、今後しばらくは連絡を続けるのが難しそう。
これも、返事しなくていい。
落ち着いたら、また連絡するね。

必要以上に感情を乗せない文面。
言い訳も、取り繕いもない。
この状況でも、彼は冷静だった。
状況をそのまま伝え、相手を気遣う言葉を添えている。

グラスの中で、氷がもう一度、小さく鳴った。

──え、怪しまれた?
──どう誤魔化したんだろ。
──本当に大丈夫かな。
──また会えるかな。


静かな心配と、小さな動揺は確かにある。
でも、そこに怒りや責める感情は一切ない。

まるりの中に浮かぶのは、彼の声、体温、指先の感触。並んで歩くときの距離感や、ふとした瞬間に近づく気配。
抱き寄せられたときの、あの安心する重さ。

ソジュンが好き。
会いたい。
抱き合いたい。
触れ合って、彼の体温を感じたい。

その欲は、はっきりと、身体の奥にある。
でも同時に、彼の家庭を壊したいなんて、これっぽっちも思っていない。
今のバランスのまま、静かにこの関係が続いていけばいい。

だから、彼が慎重になるのは当然だし、
今は距離を取る判断をしたことも、自然に受け止められた。


何より、ソジュンのLINEには、責めも焦りもなかった。

「なんで週末に連絡してくるの?」と突き放す言葉もない。
感情をぶつけることもない。
ただ、状況を落ち着いて説明して、
「また連絡するね」と、関係を切らない意思だけを、静かに置いてくれた。

──彼は、こんな時でもちゃんと冷静で、そして誠実な男なんだ。

切ろうと思えば、黙って距離を置くこともできたはずだ。
ブロックだって入れられる。
それでもソジュンは、ちゃんと伝えてくれた。

今は危ないという現実も、
それでもつながり続けたいという気持ちも。

まるりは、余計な言葉を送らなかった。
「大丈夫?」とも聞かなかった。
彼の「落ち着いたら連絡する」という言葉を、そのまま信じることにした。

早く会いたい気持ちは、消えない。
でも、不安に飲まれることもない。

まるりは、グラスを少し持ち上げる。
冷えたガラス越しに、手の熱がゆっくり伝わっていく。
唇に近づけた瞬間、ほのかな甘さとアルコールの香りが、ふっと鼻をくすぐった。

──約束した日、会えるかな。
──今回は流れるかもね。普通なら、この状況は流れる。


どちらでも受け止められる自分が、ちゃんとここにいる。

バーの灯りが、静かに揺れる。
まるでソジュンとまるりの関係みたいに。
ふたりには揺れはある。
でも、それは壊れる揺れじゃない。

むしろ、お互いの境界線と信頼を、もう一度確かめるような、静かな揺れだった。

焦らない。
追いかけない。
ただ、ソジュンがまた連絡してくる、そのタイミングを待つだけ。


平日の恋は、今日もまた、音を立てずに、呼吸を続けている。


#創作大賞2026


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