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「多様性」という言葉が、なぜ、息苦しいのか

多様性を大切に。そう言われて、育ってきた。

その言葉に、異論はない。はずなのに、最近、どこか、息苦しさを感じることがある。

多様性を認めよう、という声が、大きくなるほど、なぜか、世の中は、分断されていく。右と左。賛成と反対。マジョリティと、マイノリティ。

多様性を目指しているはずなのに、なぜ、こんなにも、二極化が、進んでいくのか。

今日は、そのことを、考えてみたい。

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## 壁を、押し合っている

僕には、今の二極化が、壁の押し合いのように、見える。

一方が、自分たちの主張を、正しさとして、押し出す。すると、もう一方が、それを、押し返す。

権利を主張する声が、大きくなる。それに対して、なんとなく嫌だな、と、反発する声が、生まれる。両者が、境界線を挟んで、自分の側へ、相手を押し込もうと、力を込める。

政治の対立も、SNSでの、終わらない言い争いも、根っこは、同じに見える。

自分の円を、広げようとして、相手の円を、押す。押された側は、押し返す。

この、押し合いが、続く限り、どちらも、動かない。ただ、境界線のあたりで、力がぶつかり合い、溝だけが、深くなっていく。

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## 押し合いには、力の差がある

しかも、この押し合いには、はじめから、力の差がある。

たとえば、マジョリティと、マイノリティ。

マイノリティが、声を、力の限り、大きくして、壁を押す。そうしなければ、存在すら、気づかれないからだ。

でも、マジョリティは、力を込めなくても、いい。なんとなく嫌だな、と、緩く押し返すだけで、数の力で、押し返せてしまう。

ここに、非対称がある。

マイノリティは、渾身の力で、押している。マジョリティは、片手で、押している。それでも、数が多いほうが、勝ってしまう。

すると、どうなるか。

これだけ押しても、動かない。だから、マイノリティは、もっと、声を大きくするしかない。より強く、押す。

でも、マジョリティは、また、緩く、押し返す。声が大きくなればなるほど、なんだか過激だな、と、かえって、反発が強まることさえある。

押せば押すほど、遠ざかっていく。これは、抜け出しにくい、悪循環だ。

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## どちらも、間違ってはいない

やっかいなのは、この押し合いで、どちらも、間違ったことは、していない、ということだ。

マイノリティが、声を上げるのは、そうしなければ、届かないからだ。

マジョリティが、押されて、なんだか嫌だな、と感じるのも、自然なことだ。押し付けられれば、人は、身構える。押されたら、押し返す。それは、理屈というより、人間の、性のようなものだ。

だから、どちらか一方を、悪者にしても、何も、解決しない。

悪いのは、押し合っている、どちらかではない。押し合う、という構図そのものなのだ。

力比べの土俵の上にいる限り、数の多いほうが、勝ち続ける。マイノリティは、勝てないまま、声を上げ続け、マジョリティは、反発し続ける。

この土俵の上には、出口が、ない。

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## 「押し合い」から「重なり」へ

では、どうすればいいのか。

僕は、以前、和について、書いたことがある。和とは、みんなが同じになることではなく、違いを保ったまま、尊重し合うことだ、と。

この考えが、ここで、ヒントになる気がする。

白い円と、黒い円が、あるとする。

壁を押し合うというのは、白は白、黒は黒のまま、境界線を、相手の側へ、押し広げようとすることだ。相手の領域を、削って、自分の領域を、増やす。奪い合いだ。

でも、もう一つ、別のやり方がある。

二つの円を、少しずつ、重ねていくのだ。

白い円は、白のまま。黒い円は、黒のまま。それでも、二つが、歩み寄れば、重なった部分に、グレーが、生まれる。

どちらのものでもあり、どちらのものでもない、共有の場所。それを、少しずつ、広げていく。

押し合いは、どちらかが増えれば、どちらかが減る。でも、重なりは、違う。グレーが増えても、白い円も、黒い円も、消えない。

違いは、保たれたまま、共有できる部分だけが、増えていく。誰も、失わない。

これが、本当の意味での、多様性の受け入れ方なのではないか。

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## 重なりは、自分の輪郭をゆるめることで生まれる

では、どうすれば、円は、重なるのか。

壁を押すのは、力を、外に、向けることだ。相手に向かって、押す。

でも、円を重ねるのは、逆だ。自分の輪郭を、少し、ゆるめる。

自分は絶対にこうだ、と、かたく閉じている限り、円は、重ならない。

自分も、変わりうる。相手から、受け取るものがある。そう思えた時、初めて、二つの円は、にじむように、溶け合っていく。

グレーを増やすとは、相手に、何かを、させることではない。まず、自分の、受け入れないという壁を、ゆるめることなのだ。

正直に言えば、僕自身、かつては、かなり極端だった。自分の円を、かたく、強く、閉じていた。

でも、和を大切にするようになって、その壁が、少しずつ、なくなっていった。自分も絶対ではない、と思えるようになった。

すると、不思議と、人を、否定しなくなった。いろいろな人と、重なれる部分が、増えていった。

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## 塊ではなく、グラデーションで見る

ただ、ここで、正直に、認めなければ、ならないことがある。

全員が、自分の縁を、ゆるめられるわけでは、ない。

押されたら、押し返す。それが、人間の性である以上、どうしても、壁を、ゆるめられない人もいる。

だから、円と円を、まるごと和解させようとするのは、無理がある。マジョリティと、マイノリティが、塊ごと、抱き合う。そんなことは、起こらない。

でも、ここで、大事な見方がある。

マジョリティも、マイノリティも、単色の塊では、ない。

マジョリティの中にも、マイノリティに、理解を示せる人が、必ず、一定数、いる。マイノリティの中にも、押し付けるのではなく、共存を、願う人が、いる。

どちらの円も、一色ではなく、グラデーションなのだ。

縁の近くには、ゆるめられる人たちが、いる。奥のほうには、かたく閉じたままの人も、いる。

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## 重なりを、少しずつ広げていく

そう考えると、悪循環から、抜け出す道が、見えてくる。

円ごと、いっぺんに、動かそうとしなくて、いい。全員に、縁をゆるめろ、と、迫らなくて、いい。

まず、両方の円の、ゆるめられる人たち同士が、手を取り合う。

理解を示せるマジョリティと、共存を願うマイノリティ。その人たちが、出会い、小さな、グレーの部分を、作る。

そして、その重なりを、少しずつ、広げていく。

最初は、押し合っていた人たちも、あのグレーの中は、案外、悪くなさそうだ、と、少しずつ、加わっていくかもしれない。

押し返す人を、責める必要は、ない。それは、人間の、自然な反応だからだ。

ただ、共存できる幅を、ゆるめられる人から、じわじわと、広げていく。

一気に、世界を変えることは、できない。でも、グレーの部分は、確実に、広げていける。

それが、押し合いの悪循環から、抜け出す、たった一つの、現実的な道なのだと思う。

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## 最後に

多様性とは、違いを、なくすことでも、どちらかが、我慢することでも、なかった。

白い円と、黒い円が、それぞれの色を保ったまま、重なる部分を、増やしていくこと。

そのために、まず、できることは、社会を、変えることではない。

自分の中にある、受け入れない、という壁を、少しだけ、ゆるめてみることだ。

あなたの心の中には、今、押し返している円が、ありませんか。

その壁を、ほんの少し、ゆるめてみたら、どんなグレーが、生まれるでしょうか。

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