自分をまずは癒しなさい
自己愛、自己受容、自己理解、そういう言葉が飛び交う世の中で、自己の癒しについて語られることも非常に多い。
私自身もよく伝えている、まずは自分、自分を癒して、自分を満たすほうが先。それができれば、他人との関係も自然と良くなっていく、ということ。
今日はそもそも”癒す”とは?という話をしたいと思う。
遡ること数日前、この動画を投稿した。(サムネの半目どうにかして?)
そして、この動画のコメントで非常に多かったのが、「自分の癒し方が分からない」というものだった。
この自己の癒しについては本当に語りたいことがたくさんありまして、それを全部書いてやろう!!!と思った次第です。
それでは、みなさん覚悟はいいですか?
自己を癒す旅へ。
分かってくれよ
まずは、自己を癒すという前に、”分かられない”という経験についての話をしたいと思う。
みんなそれぞれ誰かから分かってもらえなかったという時間が、自分の人生の中に存在していることだろう。
そしてそれが傷になったり、恐怖になったり、枯渇した愛を生み出したりしたことだろう。
私は、人はみんな違っている、違ったものを持っていて、違った環境で育っているということを受け入れることにとても時間がかかった。
傷ついてきた自分をまずは癒して欲しかった。
分かってほしかった。
「それは辛かったね」と、言って欲しかったんだ。
だから、そう言ってもらえるような自分で生きていた。
健気に、笑顔を絶やさず、でも私こんな辛い経験をしてきたんだとアピールを欠かさなかった。
でも、あゝやっと自分のことを分かってくれる人に出会えたと思ったことは一度もなかった。それどころか、この人も、あの人も、誰も自分のことを分かってくれないのだと気が付けば嘆いていた。
それは例え、「まあやの気持ちわかるよ」と声をかけてもらっていたとしても。
そういうものなんです。
自分の心の中で、頭の中で、何千回、何万回と唱えてきた、「誰かに分かって欲しい」という想いは、実際相手が”分かるよ”と言ってくれたところで、報われない。
そういうふうに私たちの心というのは、
欲求というのはできているんだ。
行き場のない気持ちの行方
きっと、他人から肯定さえしてもらえれば、私のこの疲れ切った心は満たされるのかもしれないと思っている人もいることだろう。
話を聞いてもらうこと、寄り添ってもらうこと、そして共感してもらったり、あなたが一番だよと認めてもらうこと。
そういうことを追いかけてしまう。
それらはキラキラして見えるから。
自分が辛い経験をしてきた当時のどんよりとした空間よりも、うんと。
けれど、こっちの方向に自分の人生はない。
もちろん間違いではない。
自分の人生を生きていく勇気にも繋がるだろうし、一時的な”癒し”も他者から得られることは可能だ。
でも、そこに自分の人生を委ねてはいけない。
行き場のないあの時の感情は、
ずっと引きずってきた自分の想いは、
慰めてもらうための材料なんかじゃない。
傷ついたから癒す。
これは、ちゃんと自分でできるんだ。
むしろ、自分じゃないとできない。
というか、”自分”という最高な存在が側に居ながら、できないなんてことはあり得ないのだ。
自分を癒す方法
じゃあ、どうやって自分を癒すのかという話を。
これには二つの段階がある。
ここから先は
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
