第11話|「心を開く」って、なんだろう。
2026年8月14日。
俺はXに、初めて投稿した。
最初に書いたのは、パチスロのことでも、日常のことでもなかった。
「心を開く」って、なんだろう。
https://x.com/madatochuu/status/2088258667728761190?s=46
今になって読み返してみると、少し不思議な気持ちになる。
この頃の俺は、まだnoteを始めていなかった。
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パチスロの情報を見るために始めたX
そもそも、Xを始めた理由はそんなに大したものじゃない。
一番の目的は、パチスロの情報だった。
自分がよく行く店の情報や、どの店が強いとか、今日はどんな状況だったとか。
そういう情報を知りたかった。
それともう一つ。
世の中のいろんなことに、アンテナを立てておきたいと思った。
ニュースでも、趣味でも、自分が今まで知らなかったことでも。
46歳になって、自分の知っている世界の中だけで生きているのも、なんだかもったいない気がしていた。
だから最初は、見るだけのつもりだった。
誰かの投稿を読んで、情報を集める。
それで十分だった。
でも、しばらく眺めているうちに、
「俺も何か投稿してみようかな」
と思った。
そして最初に投稿したのが、「心を開く」ということについてだった。
パチスロの情報を得るために始めたXなのに、最初に自分から発信したのはパチスロのことじゃなかった。
今考えると、それもなんだか面白い。
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「心を開く」って、何?
俺はこれまで、人から何度か、
「心を開かないよね」
と言われたことがある。
そのたびに思っていた。
心を開くって、何?
本音を話すこと?
秘密を話すこと?
弱いところを見せること?
俺としては、普通に人と話しているつもりだった。
だから「心を開いてない」と言われても、
「いや、普通に話してるけど」
というのが正直な感覚だった。
別に黙り込んでいるわけでもない。
人と話すのが嫌いなわけでもない。
冗談だって言う。
笑うこともある。
仕事の話もするし、どうでもいい話もする。
じゃあ、何を話せば「心を開いた」ことになるんだろう。
自分の秘密を全部話せばいいのか。
誰にも言いたくないことまで話さないと、心を開いたことにはならないのか。
ずっと、よく分からなかった。
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何でも自分でやってきた
でも、noteを書くようになって、自分のことを振り返る時間が増えた。
そこで、少し気づいたことがある。
確かに俺は、人と普通に話してはいる。
でも、自分の格好悪い部分は、あまり話してこなかった。
苦労していること。
うまくいっていないこと。
弱っていること。
人に知られたくないこと。
そういうものは、自分の中で処理してきた。
俺は昔から、人に頼ったり、甘えたりするのが苦手だ。
誰かに何かをしてもらうと、「借りを作った」ような感覚になる。
そして、その借り以上のものを返さなければいけないような気持ちになる。
だったら、最初から自分でやった方がいい。
その方が手っ取り早い。
何かあったとしても自分の責任だし、自分で解決すればいい。
仕事でもそうだ。
誰かにお願いするとなれば、まず説明しなければならない。
自分が何を考えていて、どうしてほしいのか。
でも、自分の意図がうまく伝わらないこともある。
そうなると、
「もう、自分でやった方が早い」
と思ってしまう。
だから、だいたい自分でやる。
周りからは、
「仕事が早い」
「いつも淡々としている」
「簡単にやってしまう」
みたいに言われることがある。
でも、本当はそんなに簡単にやっているわけじゃない。
頭の中は、いつもフル回転している。
次に何をするか。
どれを先に終わらせるか。
どう動けば効率がいいか。
何か抜けていないか。
表には出していないだけで、頭の中ではずっと考えている。
ただ俺は昔から、そういう姿を人に見せるものじゃないと思っていた。
「こんなに頑張ってます」
「こんなに大変なんです」
わざわざそんなことを言う必要はないと思っていた。
苦労している姿も、頑張っている姿も、自分が分かっていればいい。
それが俺にとっては普通だった。
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でも最近、少し思うことがある。
もしかすると俺は、問題だけじゃなく、自分自身まで一人で完結させようとしていたのかもしれない。
そして、それが人から見れば、
「心を開いてくれない」
ということだったのかもしれない。
もちろん、単純にそれだけじゃない。
格好つけていた部分もあると思う。
自分をよく見せたい。
格好悪い自分を見せたくない。
そんな気持ちも、きっとあった。
それを一番感じるのが、このnoteだ。
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noteだから書けたこと
俺はここで、
46歳で借金が約200万円あることを書いた。
お金がないのにパチスロへ行ってしまうことも書いた。
負けて後悔したことも。
自分の意志の弱さも。
人には言いづらい過去も。
「変わりたい」と言いながら、また同じことを繰り返してしまう自分も書いている。
考えてみれば、普段の俺が人に話してこなかったことばかりだ。
じゃあ俺は、noteでは心を開いているんだろうか。
そう考えると、それも少し違うような気がする。
なぜなら、ここでは俺は匿名だからだ。
顔も見えない。
本名も出していない。
そして正直に言えば、現実の俺を知っている人には、このnoteを読まれたくない。
借金のことを知られること。
パチスロで負け続けていることを知られること。
格好悪い自分を知られること。
でも、一番怖いのは、それそのものじゃないのかもしれない。
それを知ったあと、その人の中にいる「俺」が変わってしまうこと。
「そんな人だったんだ」
そう思われることが怖い。
今まで普通に接していた人の見る目が変わる。
それが嫌なんだと思う。
だったら俺は、やっぱり心を開いていないんだろうか。
匿名の場所でしか本当の自分を出せないのなら、それは「心を開いた」とは言えないんだろうか。
分からない。
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ただ、匿名だからといって、絶対に誰にも知られない保証なんてない。
何かのきっかけで、知っている人がこの文章を読むかもしれない。
文章の内容から、
「これ、あいつじゃないか?」
と気づかれる可能性だって、ゼロではない。
そう考えると、やっぱり少し怖い。
それでも俺は書いている。
だから、
「俺は変わった」
なんて言うつもりはない。
そんな大袈裟なものじゃない。
でも、
何かを変えようとはしているんだと思う。
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そして、もう一つ気づいたことがある。
もしかすると俺は、ずっとこういう場所が欲しかったのかもしれない。
仕事でもない。
身近な人間関係でもない。
普段見せている「俺」から少し離れて、素直に自分のことを話せる場所。
「本当はこんなことを考えている」
「こんな失敗をした」
「こんなことで悩んでいる」
「俺は、こんな人間なんだ」
そんなことを話せる場所。
コミュニティと呼ぶほど大きなものじゃなくてもいい。
ただ、自分の言葉を置いておける場所。
そして、たまたま誰かがそれを読んでくれる。
noteを始めて、「スキ」をもらった。
フォローしてくれる人もいた。
最初は単純に、
「読んでもらえた」
ということが嬉しかった。
でも、それだけじゃなかった。
こんな自分でも、受け入れてもらえた。
そんな気持ちになった。
借金があっても。
パチスロをやめられなくても。
何度も同じ失敗をしていても。
それを書いた文章に、誰かが「スキ」を押してくれる。
もちろん、その人が俺のすべてを肯定してくれたわけじゃない。
それでも、画面に表示された小さな「スキ」に救われることがある。
「こんなことを書いてもいいんだ」
少しだけ、そう思えるようになった。
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それに、文章には俺にとってもう一ついいところがある。
会話とは違って、自分の考えていることを整理できる。
人と直接話していると、相手の表情や反応が気になる。
「今の言い方、どう思ったかな」
「こんなこと言わない方がよかったかな」
そんなことまで考えてしまう。
でも文章なら、一度自分の中にあるものを取り出して、考えて、言葉を選んでから伝えられる。
相手の反応をその場で気にすることなく、自分が本当に言いたかったことを書ける。
ただ、それについても考える。
相手の反応を気にせず、自分の言いたいことだけを書く。
それって、自分勝手なんじゃないか。
わがままなんじゃないか。
そんなふうに思うこともある。
まだ答えは出ていない。
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6年ぶりに会う友人
でも最近、一つだけよく思うことがある。
人は、自分が思っているほど、他人のことを気にしていないんじゃないか。
俺はずっと、
「こんなことを知られたら、見る目が変わるんじゃないか」
と思ってきた。
でも、それは俺が勝手に想像して、勝手に怖がっているだけなのかもしれない。
実際に話してみたら、
「あー、そうなんだ」
それくらいで終わるのかもしれない。
近々、久しぶりに友人と会う。
地元を離れて仕事をしていて、
会うのは、たぶん6年ぶりくらいだ。
高校の頃からの友人だから、もう30年以上の付き合いになる。
友人といっても、頻繁に連絡を取り合うような関係ではない。
年に3回くらい。
お互いの誕生日と、年が明けたときにLINEを送り合う。
それくらいだ。
でも、不思議と関係は切れない。
俺には、このくらいの距離感が心地いい。
ずっと会っていなくても、久しぶりに会えば普通に話せる。
毎日のように連絡を取り合わなくても、友人は友人。
そういう関係だ。
そいつに、少し話してみようかなと思っている。
借金のこと。
パチスロのこと。
noteを書き始めたこと。
まあ、あいつはそんなに人のことに興味があるタイプでもない。
たぶん、
「あー、そうなんだ」
くらいで終わる気もする。
でも、それでいいのかもしれない。
今までの俺なら、
「別に話す必要もない」
で終わっていた。
実際、話す必要なんてない。
今だって、そう思う。
友人だからといって、何でも話さなければいけないわけじゃない。
秘密を共有することが、友人の条件でもない。
それでも今は、
酒でも飲みながら、ちょっと話してみようかな。
そんなふうに思っている。
何か答えが欲しいわけでもない。
助けてもらいたいわけでもない。
理解してもらおうと必死になる必要もない。
ただ、
「実は俺、こんなことがあってさ」
と話してみる。
それだけ。
そして本当に、
「あー、そうなんだ」
で終わったら、それはそれでいい。
もしかすると俺は、「心を開く」ということを難しく考えすぎていたのかもしれない。
全部さらけ出すことでもない。
秘密を全部告白することでもない。
相手に100%理解してもらうことでもない。
今まで言わなかったことを、少しだけ話してみる。
それくらいからでもいいのかもしれない。
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それと、誰かに読んでもらうことだけが、書く理由じゃないとも思うようになった。
もちろん、読んでもらえたら嬉しい。
「スキ」がつけば、今でも嬉しい。
でも、もし誰にも読まれなかったとしても、こうやって書くことには意味がある気がしている。
自分の中に溜め込んでいたものを、文章にして外へ出す。
書いている途中で、
「ああ、俺は本当はこう思ってたんだ」
と気づくこともある。
あとから読み返せば、自分を振り返ることもできる。
同じ失敗を繰り返しそうになったときには、自分への戒めにもなる。
そして何より、書いたあと、ほんの少しだけ心が軽くなることがある。
俺はこれまで、何でも自分の中で解決しようとしてきた。
でも、全部を自分の中だけに置いておく必要はないのかもしれない。
吐き出すことって、大事なんだと思う。
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「ちょっと話してみようかな」
8月14日。
まだnoteを始める前の俺は、Xにこう書いていた。
「心を開く」って、なんだろう。
本音を話せること?
弱さを見せられること?
無理に全部さらけ出す必要はない。
今、改めてその投稿を読む。
あのときの俺は、答えを知らなかった。
そして今も、やっぱり答えは分からない。
「心を開けるようになりました」
なんて、まだ言えない。
現実の俺を知っている人に、このnoteを読まれるのは今でも怖い。
人に頼るのも、相変わらず苦手だ。
46年間そうやって生きてきた人間が、ほんの数週間で全部変わるわけがない。
でも、誰にも言えなかったことを、こうして文章にしている。
誰かに読んでもらっている。
そして、
「こんな自分でも受け入れてもらえるんだ」
と、少しずつ知り始めている。
近々、6年ぶりに会う友人と酒を飲む。
何を話すのか。
本当に話すのか。
結局、昔の話やくだらない話だけして帰るのか。
今はまだ分からない。
でも、
「ちょっと話してみようかな」
と思っている自分がいる。
変わったとは、まだ言わない。
ただ、何かを変えようとしている。
8月14日に自分で投げかけた問いの答えを、これからも探してみようと思う。
心を開くって、なんだろう。
その答えも。
俺自身も。
まだ途中。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
こうして自分のことを書き続けられているのも、読んでくださる方がいるからだと思っています。
スキも、本当に励みになっています。
まだ答えの出ないことばかりですが、これからも自分なりに考えながら書いていきます。
また、続きを読んでもらえたら嬉しいです。
X|まだ途中。
@madatochuu
