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「なんなんだ、このドラマ」と思った。古いのは私のほう?違和感は、自分の「当たり前」を映す鏡なのかもしれない。|心が折れそうな夜の映像セラピー記録 #53『Tシャツが乾くまで』


心がちょっと疲れた夜、私はドラマや映画に避難する🌙
そこで引っかかった言葉や感情を、忘れてしまう前にここへ残しています。

『Tシャツが乾くまで』の最終回を見た。

見終わったあと、なんとも言えないモヤモヤが残った。

嫌だった、というほどでもない。

ただ、

「なんなんだ、このドラマは」

とは思った。

夫婦なのか。
友達なのか。
恋愛なのか。

「こんな関係もあるのか」と思う一方で、

「でも、周りから見たら不倫って言われるんじゃないの?」

とも思う。

ところが、当の本人たちは、こちらが思うほど「この関係は何なのか」を気にしていないようにも見える。

しかも見ていくうちに、

「いや、あなたたちもそうなるんかい」

と思うような展開まで出てくる。

そこで私は、ちょっと置いていかれた😂

「はぁ? どういうこと?」

そんな感じだった。


🌙 みんな、ずいぶん柔軟なんだな

見終わってから、ネットでほかの人の感想も読んでみた。

すると、また少し驚いた。

みんな、私が思っていた以上に柔軟なのだ。

「こういう関係もあるよね」

そんなふうに、ごく自然に受け止めている人が多いように見えた。

そこで今度は、ドラマではなく自分のほうが気になってきた。

「あれ? もしかして私の考え方のほうが古いのか?」

今の世の中では、人と人との関係は、私が思っているよりずっと自由になっているのかもしれない。

私は、その変化についていけていないのだろうか。

そんなことを考えた。


🌿 私は、人間関係を「名前」で見ていたのかもしれない

夫婦なら、夫婦らしく。

恋人なら、恋人らしく。

友達なら、ここまで。

男女が親しくしていたら、

「この二人、どういう関係?」

と考える。

知らないうちに私は、人と人との関係をいくつかの箱に分けて見ていたのかもしれない。

夫婦。
恋人。
友達。
家族。

名前がつけば、なんとなく分かる。

逆に、どの箱にもきれいに入らない関係を見ると、

「で、この人たちは何なの?」

と答えを探してしまう。

でも、このドラマを見ながら思った。

その答えを欲しがっていたのは、登場人物たちではなく、見ていた私のほうだったのかもしれない。


🌙 夫婦じゃなくなったら、仲良くなれることもある?

このドラマを見ていて、もうひとつ不思議だったことがある。

夫婦という関係ではギクシャクしていたのに、その枠を外したら、人と人として付き合いやすくなることもあるのだろうか。

私は結婚生活を経験していないので、その感覚を実感としては知らない。

でも、夫婦になると、

夫なんだから。
妻なんだから。
家族なんだから。

そんな「こうあるべき」が、知らないうちに増えていくことはあるのかもしれない。

それを外したら、

「この人にこうしてほしい」

ではなく、

「この人といると楽だな」

というところへ戻れる人もいるのだろうか。

夫婦ではなくなった。

だから関係も終わる。

必ずしも、そうではないのかもしれない。

それは私にとって、ちょっと新しい感覚だった。


🌿 「この関係は何?」と決めなくてもいいのかもしれない

考えてみれば、人と人との関係はもっと曖昧なのかもしれない。

気が合うから一緒にいる。

話したいから話す。

一緒にご飯を食べる。

離れたほうが心地よければ離れる。

また会いたくなったら会う。

それを、

恋人なの?
友達なの?
家族なの?

と、いちいち外側から名前をつけなくてもいい。

もちろん、誰かとの約束を破ったり、誰かを傷つけたりすることまで「自由だから」で済む話ではないと思う。

でも、人間関係の形そのものは、私が思っていたより自由なのかもしれない。

こんな関係は、きっと昔からあった。

ただ、それが今は以前より表に出てきて、

「こういう生き方もある」

と描かれるようになったのかもしれない。

ドラマで普通に描かれ、それを視聴者も普通に受け止めている。

そこに私は、

「ああ、時代が変わっているんだな」

と感じた。


🌙 じゃあ、私は古いのだろうか

ここで、ちょっと考えた。

私は新しい価値観についていけていないのだろうか。

でも、新しい価値観を何でも

「それも素敵!」

と受け入れることが、時代についていくことでもない気がする。

私はこのドラマを見て、モヤモヤした。

「はぁ? どういうこと?」

とも思った。

それも私の感覚だ。

一方で、

「こういう関係もあるよね」

と自然に受け止める人もいる。

それも、その人の感覚だ。

だったら、

どちらが正しいかを決めなくてもいいんじゃないか。

ありなのか。
なしなのか。

その判定そのものを、私がしなくてもいい。

「私はちょっと戸惑うけど、そういう人もいるんだな」

くらいで置いておけばいい。

そう思ったら、少し腑に落ちた。


🌱 モヤモヤしたから、自分の「当たり前」が見えた

考えてみれば面白い。

最終回を見たときには、

「なんなんだ、このドラマは」

と思っていた。

それが、ほかの人の感想を読んで、

「え、みんな普通に受け入れてるの?」

となり、

「もしかして私のほうが古い?」

と考え始めた。

そして最後には、

「そもそも私は、なんでこの関係に名前をつけたかったんだろう」

というところまで来た。

ドラマを見てモヤモヤすることって、悪くないのかもしれない。

すんなり共感できた作品より、

「なんで私は、ここに引っかかったんだろう?」

と思った作品のほうが、自分の中にある「当たり前」を見せてくれることがある。

時代についていくというのも、新しい価値観を全部取り入れることではなくて。

自分とは違うものに出会ったとき、

「おかしい」

で終わらせず、

「私は、なんでそう感じたんだろう?」

と、ちょっとだけ考えてみる。

そのくらいでいいのかもしれない。

🌙

『Tシャツが乾くまで』。

最後まで、なんとも不思議なドラマだった。

今でも「全部わかった」とは思っていない。

でも、それでいいのだろう。

理解できないものを、無理に理解しなくてもいい。

好きになる必要もない。

だからといって、すぐに「なし」と決めなくてもいい。

「へぇ、こんな関係もあるのか」

そのくらいのところに置いておく。

それもまた、自由なのかもしれない。

いやぁ。

すごい時代になったもんだ😊

まどか


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