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【第1話】歴史王国(ヒストリア)と赤点の解答用紙 〜島根の女子高生、異世界で「日本」を売る〜


島根。 悠(はるか・17歳)は、山陰の静かな町で生まれ育った。

毎朝起きて、同じ道を歩いて高校に通う。
それが悠にとっての、世界のすべてだった。
学校に行っても心は弾まず、家に帰っても居場所はない。

「……はあ」

きっかけは、ほんの些細なことだった。
信じていた友人からの、ひどい裏切り。
昨日まで隣にいたはずの輪から弾き出され、教室の空気は針のむしろのように冷たくなった。

そのせいで、得意だった勉強も手につかなくなった。
事情も知らない親からは、成績が落ちたことだけを理由に、夜が明けるまで説教を浴びせられた。

――もう、ここには居たくない。

――こんな思いをするなら、生まれてこなきゃよかった。

「もう……死んじゃおうかな」

ポツリとこぼれた独り言は、湿った夜風に消えた。

翌日、学校では抜き打ちテストがあった。 数学、歴史、英語。
いつもなら80点は軽く取れる得意の歴史さえ、今の悠には文字の羅列にしか見えなかった。

放課後の帰り道。 自己採点した解答用紙を眺めながら、悠は力なくつぶやいた。

「歴史、13点。数学、29点。英語、42点……」

真っ赤なバツ印が、自分の存在を否定しているように見えた。
これを見た母親が、またどんな顔をして怒るのか。
想像するだけで胃の奥がギュッと縮まる。

「……もう、嫌だ」

限界だった。

天を仰ぎ、重い、重いため息をついた、その時。

灰色の雲を割って、一筋の光が悠を貫いた。

「っ……!」

あまりの眩しさに、思わず目を閉じる。
それは太陽の光よりもずっと、芯まで熱くなるような……。
冷え切っていた悠の心を、内側から溶かしていくような、不思議な温かさだった。



眩しさが引いていくのを感じ、おそるおそる目を開けた。

「……えっ?」

目の前には、見たこともない風景が広がっていた。
さっきまで歩いていたはずの、島根の平凡な住宅街はどこにもない。

ふと気づくと、右手に何かを固く握りしめていた。
クシャクシャになったその紙を広げてみる。

「……13点」

さっきまで自分を絶望の淵に突き落としていた、歴史のテスト用紙だ。
カバンも、他の教科のプリントも消えているのに、なぜかこれだけが手元に残っている。

「……あはは」

思わず乾いた笑いが漏れた。 こんな見知らぬ場所で、赤点の解答用紙が何の役に立つというのか。

辺りを見渡すと、そこはどう見ても日本ですらなかった。
真っ白な壁の家々が整然と立ち並び、まるでおとぎ話に出てくる異国の街角のようだ。

戸惑う悠の前を、一人の影が横切った。
悠はその少年の姿に、思わず目を奪われる。

(……なんて綺麗な金髪)

透き通るような白い肌。
彫りの深い、整った顔立ち。

「すみませんっ!」
無意識に声が出ていた。

「……何?」

振り向いた少年の瞳は、突き抜けるような空色。
その奥には深海のような、静かな青が潜んでいた。

(言葉が、通じる……?)
「あ、あの……ここはどこなんですか?」

「ここ? ……地名のことか?」
「地名というか、その、国の名前とか……」

場違いな質問に、少年は不審者を見るような目で眉を寄せた。
そして、短く答えた。

「歴史王国(ヒストリア)」

予想もしなかった名前に、悠は言葉を失う。
「……れきし、おうこく?」

「お前、何も知らずに来たのか。
この国では『歴史』そのものが価値を持つ。
情報の古さや希少性が、そのまま金になる国だ」

呆然とする悠に、少年は淡々と問いを重ねた。
「……お前、どこから来た」

「……日本、です」
「ニホン? ……聞いたことがないな」

少年が興味を失ったように背を向けた。
行かせてしまったら、もう二度と帰れない。悠は必死に呼び止めた。

「待ってください! 私を、この国の責任者に会わせてください!」

「責任者? ……雪也(ゆきや)のことか。会ってどうする」

「この国は歴史に価値を置くんでしょう? なら、私のいた『日本』の歴史を情報として提供します。
その代わり……私を元の場所に帰す手助けをしてほしいんです!」

「日本」を知らないと言った彼の言葉を、逆手に取った。

少年はしばらく悠を見つめていたが、やがて短く言った。

「……ついてきな」

少年の後を追い、白い壁の街を抜け、悠は国の中心にそびえ立つ城へと足を踏み入れた。



城の重厚な門が開くと、門番たちが拓夜へ深く、敬意を込めた礼を捧げた。 圧倒されながら歩を進めると、階段の上から涼やかな声が響いた。

「拓夜、遅かったな。……おや、その子は?」

そこにいたのは、穏やかな笑みを浮かべた若い男だった。

「ああ、雪也。こいつ、日本から来たんだとよ」
拓夜がぶっきらぼうに指をさす。
「迷子らしくてな。
日本の歴史の情報を提供する代わりに、帰り方を探してくれってさ。
連れてきた」

悠は慌てて頭を下げた。
「は、はじめまして! あの、雪也さんがこの国の責任者ということは……」

「そうだね。僕がこの『歴史王国』の国王、雪也だよ」

悠の心臓が跳ねた。
まさか、異世界に来て数十分でトップに謁見できるなんて。
(……だとしたら、案内してくれたこの金髪の男の子は何者なの?)

「君をここまで連れてきたのは、僕の『配下』の拓夜だ」

「……はいか?」

「そう。この世界では『配下』が王を選び、儀式をすることで国が生まれる。ある意味、王より権力がある存在かもしれないね。
雪也がいたずらっぽく笑う。
「配下は王の守護者。特別な存在なんだよ」

「……あの、私が日本へ帰るまで、この国に置いていただけないでしょうか?」
悠はおどおどしながら、雪也の瞳を見つめた。

「いいよ。しばらくこの城で暮らしなさい」
雪也は迷いなく答えた。

「『日本』という国の歴史には、非常に興味がある。
君の話は、この国にとって素晴らしい財産になるはずだ」

ニッと口角を上げた雪也の表情に、悠は心の底から安堵した。

「その代わり」 雪也が言葉を継ぐ。
「拓夜を君の側に置かせてもらう。
完全に信頼できるまで、護衛兼、監視役だ」

「はぁ!? なんで俺が……っ!」
悠が返事をするより早く、拓夜が噛みついた。

「それも配下の役割だろう?」
雪也に諭され、拓夜は苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んだ。

「……っ、わかったよ!
おい、お前! さっさと情報吐き出して、早く自分の国へ帰る努力しろよな!」

「…っ!お前じゃないです! 悠っていう名前があります!」
あまりに失礼な物言いに、悠は思わず言い返していた。

(雪也さんは優しそうだけど、この拓夜ってやつは……!
絶対にさっさと帰ってやるんだから!)

島根で感じていたあの虚無感は、いつの間にか消えていた。
悠の胸には今、拓夜へのささやかな怒りと、未知の生活への高揚感が入り混じっていた。



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