「手放した人たち」の表情を見てから、私は旅に出た│手放した2週間 #2
銀座コリドー街、細い道沿い。
昭和レトロな佇まいの建物に、ガラスがピカピカに磨かれたギャラリー。 中をのぞくと、白黒写真が等間隔に並んでいて、訪問者と参加者がゆるやかに談笑していました。
「あ、入りやすい」
誘われて訪れたその場所に、ふらりと足を踏み入れた、4月11日のことです。
◇◇◇
少し前に、こんなnoteを書きました。
長野・静岡・函館・札幌の4都市が、不思議とぴたりと2週間に収まり、「行けってことだ」と感じてそのまま出発した話。
実は、その旅の出発の2日前に、私は銀座にいました。
今思えば、この日が「役割を手放した2週間」の、本当の始まりでした。
◇◇◇
訪れたのは「一蓮托笑」(リンク)というギャラリーイベント。
50代の女性50人が、一枚の写真と、一遍の文章で人生を切り取って、銀座の空間に並べたもの。参加者の一人である友人が誘ってくれたんです。彼女を含め、尊敬する先輩コーチたちが何人も参加している、ずっと気になっていた企画でもあります。
会場の雰囲気は、思ったよりずっと柔らかでした。
「絵画のギャラリー」というより「町のサロン」みたいな、人の温度感を感じる場所。ふらりと立ち寄れて、誰かと自然に話し始められる、ゆるい空気が流れていました。
◇◇◇
最初に足を止めたのは、ある女性の写真の前でした。
笑顔の花が満開みたいな、まぶしい表情。
その隣の文章を読み始めて、息を呑みました。
母親の苦労多き人生に自分を重ねて、ずっと「自分は不幸だ」と思いながら半生を生きてきた——という書き出し。世間の価値観に当てはまらない自分は半人前。ずっと自信がなかった、と綴られていました。
それが、昨年お母様を見送ったあと、世界の見え方が180度変わったのだそうです。
不幸から、幸せへ。 半世紀をかけた、静かな転回。
実は私自身も、親を看取ったことが大きな転機になっています。
看取った後、しばらくして気づいたことがありました。
「自分らしくいられる時間は、思っているより短いかもしれない」
それまでの私は、どこか「いつかやろう」と思いながら生きていました。でもその「いつか」が、実はとても有限だということを、親の死が静かに教えてくれた。
気づいたら「こうしちゃいられない」と思っていて、長年勤めた会社を早期退職していました。
その方の文章にあった「世界が変わる感覚」が、自分の体験と一気に重なって——その場で、しばらく動けませんでした。
◇◇◇
ふと顔を上げると、50枚の写真が、私を取り囲むようにして並んでいました。
なんていい表情をしているんだろう——というのが、第一印象。
でも、添えられた文章を一つひとつ読んでいくと、次々に胸がギュッとなりました。
キラキラした笑顔の奥に、えっ!と驚くような葛藤や出来事が、静かに語られているんです。半世紀にわたる、深いストーリー。
乗り越えているかどうかは、わからない。 でも、自分なりに心の中でカタをつけながら、こうして人に見せることができている。
その「踏んできた段階そのもの」が、あの表情を作っているんだと思いました。
みなさん、同じ人間だった。
そして、素の姿がなんと美しい!
涙をぬぐいながら、凛とした気持ちで、お一人お一人の笑顔とストーリーに見入っていました。
◇◇◇
そのとき、友人に聞いたんです。
「どうやってこんないい写真を撮ってもらったの?」
すると友人は教えてくれました。
「この写真を撮るとき、何時間もかけて、自分のことを話したんです」
撮影の前に、ぐっと深く話を聞いてもらう時間がある。フォトグラファーの方は、さらけ出してもらわないと、いい写真が撮れない・・・というような話をされていたそうです。
——あ!と思いました。
そうか。あの表情は、「さらけ出した時間の後にしか生まれない表情」なんだ!
私はもう一度、目の前の写真を見つめ直しました。
そして、はっとしました。
その表情は、ただの「いい笑顔」ではなく——全てを手放した、開放感に満ちた表情だったんです。
◇◇◇
ここで、私の中で何かが繋がりました。
「手放す」と「さらけ出す」は、表裏一体なんだ、と。
手放すは、自分の側で「これはもう要らない」と何かを脱ぐこと。 さらけ出すは、脱いだ後の素の姿を、人の前に置くこと。
写真の女性たちは、自分が抱えてきた半世紀分の重みを、いったん手放せた人たちだった。だから、あの開放感が表情に滲んでいた。
そしてそれを引き出していたのは、フォトグラファーさんが作っていた「さらけ出していい場」でした。
私はまだまだですが、このことは、私がインナーストーリーライティングやコーチングで日々向き合っていることと、本質的に同じだったんです。
「さらけ出せる場」を作ったとき、人は、抱えてきた重みを少しだけ手放せる。手放すと、それまで隠れていた素の表情が、ふっと出てくる。それを見て、本人がまた「ああ、私はここにいたんだ」と気づく。
私が銀座で見ていたのは、その、ひとりの人間が回り回って自分に着地するような「自分を取り返した瞬間」が並んだ空間だったんですね。
◇◇◇
ギャラリーを後にして、2日後。
私は長野行きの特急列車に乗っていました。 そこから始まる、長野・静岡・北海道の、2週間。
正直に言うと、この旅で何を「手放しに行く」のかは、出発の時点ではまだ言葉になっていませんでした。
でも、銀座で見たあの開放感に満ちた表情が、ずっと胸に残っていて。
「私もまだ、手放しきれていない何かがあるな」
そんなふうに、ぼんやり感じていたのを、覚えています。
◇◇◇
実際にこの2週間で、私はたくさんの「自分」を手放すことになりました。
眠れない自分。 頭の中がいっぱいだった自分。 未来のことばかり心配してしまう自分。 成長し続けることが正解だと思い込んでいた自分。
そして、いろいろな「役割」を着ていた自分も。
その一つひとつを、これから少しずつシリーズで書いていこうと思います。 これは、その「プロローグ」とも言えるかも。
◇◇◇
最後にひとつ。
ここまで書きながら、自分でも改めて思ったのですが——
あの銀座のギャラリーは、ふらりと入って、ふらりと座って、ふらりと話せる空間でした。「ここなら、ちょっと話してもいいかな」と思える、ゆるい場。
そういう場って、私たちの周りには、もしかしたらもっと必要なのかもしれません。
あなたが、ふっとさらけ出せる場は、どこにありますか?
そしてその時、いっしょに手放せるものは、何でしょう?
◇◇◇
あらがき ゆきこ|インナーストーリーを探り当て、魅力を「手の内」に
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