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広島原爆の日から81年

今日で広島に原子爆弾が投下されてから、81年が経ちました。

これまでの記事では触れてきませんでしたが、人類史上初めて核兵器が使用された広島という場所に、私が特別な想いを抱くようになってから、
今年で早くも14年と、人生の半分以上になります。

演歌と出会う前の小学6年生の時、私は『はだしのゲン』を読んだことを
きっかけに、原爆の恐ろしさと戦争の悲惨さを痛感しました。
偶然にも広島在住の叔父が学芸員をしており、平和関連の案内をしてくれたことで、その歴史を肌身で感じました。

何度も本を読み返していた矢先に下されたのが、これまでの記事でも繰り返しになりますが、軽度知的障害という診断名でした。

「繊細でマイペース」という特性、自分の性格や知能、周囲との摩擦。
家庭や部活動での過酷な環境から人間関係になじめず、心が悲鳴を上げていた時期、「私にはこれしかない」と夢中で独学したのが平和学習でした。

当たり前のように周囲と同じことができない絶望の中にいた私にとって、
一瞬にして日常や居場所を奪われた人々の悲嘆に触れることは、不思議と
自分の傷と重なり、心を繋ぎ止める救いでもあったのです。

その後、演歌の世界に飛び込み、社会人となり、放送大学で心理学を学ぶようになった今も、広島の出来事は私にとって人生の揺るぎないライフワークであり続けています。

そして今、私は様々な「喪失(グリーフ)」の視点から「演歌心理学」を提唱しています。舞psychologyの中核は演歌心理学ではあるものの、その眼差しは、命と平和をつないでくださった被爆者の方々の想いを受け継ぎ、学問や言葉として未来へつないでいくことです。

私がこの想いを捧げるもう一つの大きな理由は、私自身が障害者の当事者で
あるということ
です。

被爆者の方々は戦後、理不尽な差別や偏見に晒され、それに耐え切れず自ら命を絶たれた方も多くいらっしゃいました。さらに昨年、胎内被爆によって重い障害を負った「原爆小頭症」の方々の存在とその苦難の歴史を知ったことも、私の中で大きな衝撃でした。

周囲からの偏見や「当たり前ができない」不条理に苦しみながらも、そこから立ち上がってきた被爆者の方々の力強い人間性に、私自身が何度も何度も励まされてきました。それこそが、私がこの問題に向き合い続ける一番の理由です。

言葉にできないほどの傷や差別を抱えながらも生き抜いてきた歩みは、人間の持つ究極のレジリエンス(回復力)そのものです。個人が抱える日常の生きづらさや悲嘆も、社会や歴史が抱える大きな喪失も、「奪われた痛みを抱えながら、どう生き直すか」という問いにおいて本質でつながっています。

これが、被爆から81年を迎えた広島の日に、私がどうしても伝え残しておきたかったことです。

最後に祈りを込めて——ノーモア・ヒロシマ。


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