福沢諭吉は、たぶん今の日本を見てキレている
福沢諭吉といえば、
「学問のすゝめ」
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
そして、かつての一万円札。
つまり彼は、
日本人が最も頻繁に財布から取り出し、
最も無意識に使ってきた思想家である。
これ、よく考えると相当な扱いだ。
福沢諭吉が生きていた時代、
「学問をする」ということは、
今ほど気軽なものではなかった。
学ぶことは、
身分や立場から自由になるための
ほとんど唯一の手段だった。
だから彼は言った。
「天は人の上に人を造らず」
これは希望の言葉だったはずだ。
努力すれば、
自分の頭で考えれば、
生まれに関係なく未来を切り開ける、と。
それが今ではどうだろう。
この言葉は、
だいたい次のように変換されて使われている。
「平等だけど、格差はあるよね」
「チャンスは平等、結果は自己責任」
「努力した人が偉い」
福沢諭吉、
ここで一度メガネを外す。
「だいぶ話、端折られてない?」
彼が本当に伝えたかったのは、
「努力しろ」でも
「成功しろ」でもない。
「自分の頭で考えろ」
ただそれだけだった。
誰かがそう言ったから、ではなく。
昔からそうだから、でもなく。
偉い人が言っているから、でもなく。
なのに私たちは今、
フォロワー数で意見の価値を決め
バズった言葉を正解として扱い
空気を読めない意見を排除する
自分の頭で考える前に、
まず“場の雰囲気”を読む。
福沢諭吉、
ここでたぶん軽くキレている。
彼は「学問」を勧めたが、
「正解を覚えろ」とは言っていない。
むしろ、
間違えながら考え続けることに
意味があると言っていたはずだ。
それなのに今は、
間違える人は無能
分からないと言う人は空気が読めない
自信なさげな意見はスルー
知識があることより、
ミスをしないことのほうが評価される社会になった。
これを見た福沢諭吉は、
おそらくこう思っている。
「いつから学問は
減点されない技術になったんだ?」
そして、最大の皮肉がある。
福沢諭吉は、
お金の象徴として最も長く使われた思想家だ。
学問で自由になれと言った人が、
資本主義の顔として流通していた。
彼は毎日、
なんとなくの出費に使われ
気づいたら消え
レジ前で「やっぱいいや」と戻される
思想家として、
これ以上ないアイロニーだ。
しかも最近では、
キャッシュレス化が進み、
財布からも消えかけている。
福沢諭吉、
存在ごとフェードアウト。
もし彼が今の日本にいたら、
テレビにもSNSにも
あまり出てこない気がする。
理由は簡単だ。
炎上が面倒だから。
でも、小さな講義室で、
静かに、しかししつこく
こんなことを言い続けると思う。
「自由とは、
好き勝手やることではない。
考える責任を引き受けることだ」
「学問とは、
正解を知ることではない。
問い続けることだ」
そして最後に、
少しだけ皮肉を込めて
こう付け足すかもしれない。
「それと私は、
一万円札として
雑に扱われるために
この人生を生きたわけではない」
そう思って
旧一万円札を見ると、
少しだけ姿勢が正される。
そして今日も私たちは、
福沢諭吉を
“使いやすい言葉”だけに切り取り、
できればあまり深く考えずに生きている。
彼はたぶん、
それを一番嫌がる。
静かな顔で、
ずっとこちらを見ている。
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