とあるムラクラのひとりごと〜仁の書:不器用な優しさ
人が誰かを推すことに、年齢も性別も関係はない。
けれど、おっさんである自分が、同性であるRAB(リアルアキバボーイズ)のムラトミさん(以下ムラさん)を最推ししていると、少し不思議な目で見られることもある。
それは仕方のないことかもしれない。
ムラさんのファンは「ムラクラ」と呼ばれているが、現地イベントやSNSを見る限り、やはり女性ファンが圧倒的に多いからだ。
そして、多くのムラクラたちは、彼のビジュアルの良さを語る。
確かに、それもわかる。
彼が本当に楽しそうにしている時の笑顔には、人を惹きつけるチカラがあるのだから。
とはいえ、自分は、どちらかといえば外見よりも、言葉や行動の奥に垣間見える温かさ、そして照れ隠しのリアクションに惹かれているように思う。
彼は、ブレイクダンスをかっこよく踊り、自らの想いをラップにのせて歌う。
でも、次の瞬間に何をするのか予想がつかない。
ふとした仕草や言葉で、思いがけず心に触れてくることもあるから、なおさら目が離せないのだ。
ムラさんを最初に見かけたのは、YOASOBI「夜に駆ける」の踊ってみた動画だった。
秋葉原の硬い地面に手をついて、激しいフットワークを披露したあと、ふいに立ち上がって、空を仰いだときの歌詞は「寂しい目をしていた」。
黄と黒のチェックシャツの背中には、言葉にならない何かがにじんでいるように見えた。
楽しげな曲調と、かなり哀しい歌詞、そして懸命さを感じさせるダンス。
明るさの中に、どこか寂しそうな雰囲気がある。
それがムラさんの第一印象だった。
しかし映像やライブを見ていくと、彼の周りは、常に笑いにあふれていた。
無茶な展開になっても、予想外のことが起きても、最後には皆が笑顔でいる。
その輪の中にいる彼は、誰よりも空気を読みながら、懸命に周囲を楽しませようとする。
まるで、誰かの笑顔を見ることで、「自分にも人を喜ばせることが出来た」と噛みしめているかのように思えた。
彼は、思ったことをそのまま言葉にする率直さのある人だ。
特に、相手の顔が見えない場では、その傾向がやや強くなる。
例えば、配信でムラクラが軽く投げた一言に時に鋭く反応することがある。
けれどその直後、気まずさをほぐすように少し間を置いてから、照れたようにフォローの言葉を添える。
自分はそこに、彼なりの気遣いがそっと現れるのを感じて、微笑ましい気持ちになれるのだ。
人は時に、笑われることを恐れて、自分を飾ってしまうものだ。
でも彼は、そんな笑われることさえ、誰かをさらに笑わせるための武器にしてしまう。
その、どこか不器用で遠回りなやさしさが、自分にはとても尊く感じられる。
この想いを素直に伝えようとするムラさんの姿勢が、要領のよさや効率が求められる毎日の中で、自分が忘れていた、大切な気持ちを思い出させてくれるのだ。
だから、完璧じゃなくていいし、うまく言えないときがあっても、黙ったままの時間が続いても、SNSで発言を消したって、かまわない。
そうやって少しずつ彼の中に積もってきた心の余白が、自分には、いとおしくて、たまらないのだ。
そうした彼を見守るファンたちにも、また特別な優しさがある。
RAB全体を支えるファン名称は「保護者」であり、その名の通り、推したちの成長を見守り、ときに励まし、成功を祈る存在である。
そして、ムラさんのファン名称である「ムラクラ」というのは、「ムラトミクラスター」の略だ。
この呼び名を初めて聞いたとき、ふと思い出したのは、反応しやすい水素イオンを水分子が取り囲んで安定化させる「水和クラスター」という化学の構造である。
繊細なものを、そっと皆で包み込むようなその形が、どこかムラさんとムラクラの関係に重なるように思えたのだ。
こんなふうに、彼を推しながら支えられる人たちの中に、自分も加われていることが嬉しい。
その輪の中にいられることを、心から誇らしく思っている。
これから先、どんな道を進むにせよ、ムラさんのあたたかな視線と、照れくささの裏にあるまっすぐな想いがあれば、きっと大丈夫だ。
揺れやすさを抱えながらも、目の前の皆のために動こうとする彼の姿には、感謝の気持ちで一杯になる。
ムラクラの一人として、これからも色んな形で、彼を温かく支えていきたい。
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