見出し画像

空の回想録 Les Mémoires du Ciel ㊶

第五部 高二

 ~手紙(前編)~

 学校は別になったが、高校へ進学しても、毎週末に文雄ブンの家へ通うのは、中学時代と変わらなかった。漫画や動画アニメの話をする以外に、ほぼ毎月、一本か二本、保護者の同伴無しで映画をに行った。機動戦士の劇場版三部作やタンリーキューブリック 監督の『二〇〇一年宇宙の旅』と『時計仕掛けの橙子オレンヂ』の二本立てが印象に残っている。特に『二〇〇一年』は、上映時間が百四十二分と長過ぎて、映画の途中で intermission (休憩) の字幕が出て、一旦場内が明るくなったのには驚いた。途中に休憩時間の入る映画は、初めてだった。
 又、夏休みには、これも保護者の同伴無しで、神戸の博覧会へ泊まり掛けで行ったり(帰りの新幹線に乗り遅れた時に、文雄がもう一度切符を買い直さなければならないと思って、「乗り遅れたのはシンのだぞ!」と、ブチ切れて駅の物入れロッカーに八つ当たりしたのは、今では笑い話である)、母の実家へ海水浴に行ったりした(牧子も誘ったが来なかった。後で文雄から、その日は生理の予定日に当たるから来なかったのだと聞かされ、文雄にはそんな事まで話すのか、と衝撃を受けた)。『絲綢之路シルク・ロード』で有名になった合成器シンセサイザー奏者・喜多郎の演奏会コンサートに二人で行ったのも、この頃だったと思う。
 文雄との親密度は、中学の頃より一層深まって行ったが、逆に牧子との距離は、高校へ入ってから、段々開いて行ったように思われる。振り返ってみれば、三人一緒に過ごしたのは、高一になる前の春休みの、あの滑雪スキー学校が最後だったかも知れない。

 文雄は、高校へ入ってから吹奏楽部に入り、号筒トランペットを吹くようになった。信悟は文芸部に入り、一箇月に一遍発行する部誌に、SFの掌編小説ショート・ショートを書き始めた。信悟の父親も文章を書くのが好きな人だったが、その血を継いだらしい。
 最初は、小学生が使うような、茶色いけい線が印刷された、一枚物の大きな原稿用紙をまとめ買いしていたが、何度も書き直すので、緑色の罫線で、五十枚が一冊にじられた帳面ノウトみたいな原稿用紙の方がお得感が有り、こちらを主に使うようになった(後には報告レポート用紙に替わった)。その原稿用紙を数冊買い置きして、部誌に載せるSF以外に、随筆エセイも書き散らして、文章を書く練習をした。最初は書くだけで満足していたが、る程度書きめると、今度は誰かに読んでもらいたくなり、でも文雄に読ませるのは恥づかしかったので、「暇な時にでも読んで、感想を聞かせて。」と、牧子に渡した。
 一週間ほどするとその原稿が返されて、その中に数枚の便箋が挟まれていた。感想でも書いてくれたのかと思ったが、随筆集の終わりの方に書いた、酔っ払いの戯言たわごとのような質問集——懸想文ラヴ・レターの続編と言っても良い内容——への回答だった。その手紙は、信悟に、壊滅的な衝撃を与えた。

 以下に、信悟の質問と牧子の回答を一問一答形式で原文のまま転載し、更にそれを読んだ時の信悟の感想を追記する。

皇紀二六四二年水無月廿日
  久々に(ホント、何年振りだろ)こーゆー(アホらしい、落書きの様な) 随筆エセイ を書いてみたくなった。現在、私は〝鬱性無気力症〟(欄外註:何もする気が起こらない)に囚われている。半年周期の鬱が今になって回って来た。すっかり忘れてた。アレ(懸想文)以来だな。多分、これは誰に読まれる事も無く(読んでもらう勇気も無い)自分でも忘れてしまう事だろー。
 しかし、それでも、尚且つ、まだ、(読んでもらえない、とゆー事が解っていても[欄外:本途は読ませたいと思っているので])僕は君に問いたい。〔 過去いままでの事について〕 

(この間に、後述の十二の質問が有る。)

 随分前の随筆とかなり重複してんな。ホントにオレは疑り深い奴だ(自嘲)。
[欄外:でも、この前は御返事書いてくんなかったっしょ。今度は余白にでも書いてほしーなー(そんな機会は無いと思うが)。と言いつつ〝その時〟を期待したりして。]

1.まづ、中三の七月二十一日辺りに戻って。「わいから懸想文もろて、どない思た?」
 気恥づかしさを護摩化そうと、変な関西べんになっている。

1.すごくあせった。どっか行って帰って来たら 机の中に‥‥。
  でも すぐに ❝まずいものもらった❞ と 思ったよ。

 もう細かい状況スィチュエイションは忘れられているようだが、「どっか」とは、教壇の事であり、「机の中」ではなく、手提げかばんの中である。人が悪戦苦闘の末に仕上げた労作を、「まづいもの」扱いとは……ひどい!

2.次に。「わいの懸想文を御両親に見せて、御両親はどない言わはったん?」

2.両親には 見せておりませんので 御安心を‼ ただし 従兄には 見せ
  たかな? よくおぼえてないけど

 ほっ。

3.「なしてわいの懸想文の事、ケーチに喋った?」ケーチは知っとったぞ。あないに言うたら殺スと書いとったやんか。[欄外:別に殺しゃしなかったけどね]

3.なぜか? と言われても…。その日 たまたま 帰りが一緒になった
  んだ。それで 私,タカハシ君のこと 好きだったもんだから … つい,
  見せて,やきもち やいて欲しいな と思ったんだと 思うよ。今になっ
  て考えれば‥‥。あのころの私は 男子(ママ)の子の 気を引いて すぐに遊
  び半分で ❝好き❞だの 何だの 言ってたから‥‥。
 
  絹川君にだけ言うけど 私の 初恋の人は 城戸君? だと思う。
  あのころは 船橋さんに 手紙( Love letter )を むりやり書かされて
  手渡したり してたの‥‥。きっと かすみちゃんも 城戸君が 好きだっ
  たんだろうね。(小学2年のころかな?) よくおぼえてない。
  でも,あげた 手紙を 目の前で やぶられたのは ちょっと ショック
  だったんだ。 今でも 覚えてる くらいだから‥‥。今は なんとも 思っ
  てないよ。   タカハシ君が 好きになったのは  4年生ごろ
  から ―― ズ~ット!! クラス変えを 4年生になるとき やったの。
  その 時から ズ~ット! 中学 の 時 も ひそかに ……。 です。
  この 時 は  自主的に  ラブ・レター ♡ 書いたりして, 母におこられた
  けど かまわずに 出しちゃった♡ だって, 好きだったんだもママ
  今に なって 思えば 彼も いろんな人から 好かれてたんだよね!
  私って 本当 に バカ なこと してたんだね!!  これ 読んで
  くれれば わかると思うけど 私の心は ズ~ット 彼を 追って
  いたので ありました。  ということは  絹川君は ? ‥‥。
 
  私の“好き”ということばには 2通りの意味があり,
  1つめは “好き” ただそれだけ, ようするに good fliend(ママ)
  又は Boy fliend の意味, すなわち I “like” you .
  2つめは ‥‥ 本当 に 好き。 “love ” に近い方‥‥。 心を
  うばわれてしまって 他の こと 考えられないし, 自然に 姿を
  追ってしまう方   I love you .
  絹川君は  1つめの方 ‥‥ が かなり強 いかな ?
                            ごめんね!!

 やっぱり見せてたんだ……。でも、中身を? ……外身(封筒)だけぢゃ、内容まではわからないよな……? いや、中学生が同級生(しかも異性の)にわざわざ手紙で渡すような内容なんて、大体想像が着くか。彼女だって「まづいもの」と感付くぐらいなんだから。
 文中で幾ら口止めしてあっても、開封前であれば、読んでもいないのだから仕方無い。しかし……。「つい」って…………。こっちの気にもなって欲しい。……無理か。「恋は盲目」とはよくったものだ。
 ……ケーチの反応は、どうだったんだろうか? 多分、彼女の期待するような(少なくとも、彼女の目から見て、嫉妬していると感じ取れるような)反応ではなかったはずだ。
 自分も、「遊び半分で『好き』」と言われた多くの犠牲者のうちの一人なのか。
 作家の赤坂真理氏の言う、「大して美しくもない私が複数の男性に愛される物語」という「女子の恋愛妄想の最高形態」に、これもそのまま当てまるのか。

 初恋の相手がキッタン? へぇえ。意外(と言ってしまっては、亙に失礼か)。でも、傾向は中三の時と変わってない。亙も、頭が良くて、運動スポーツも出来て、絵も上手うまくて、動画アニメ狂いで、学級クラスでは目立つ方の部類だからな。小学校低学年でも、そのへんりんは有ったんだろう。
 「あげた手紙を目の前で破られる」って、自分が恐れていた少女漫画の、まるっきり逆ヴァージョンではないか。何て事を。まぁおかげで、自分はその事態を避けられたわけだ。……でも、男の立場から亙のこの行動の理由を考えてみれば、単なる照れ隠しだったんでないかい? 彼女はその行動を額面通り悪意と受け止めて、今でも心的外傷トローマになっているようだけども。小二という年齢を考えれば、男女関係に全く不慣れな筈で、突然の出来事にどう対処して善いか判らなかった亙は、その事態を引き起こした物品を手っ取り早くいんめつする、という乱暴な行動に出たのではないだろうか。実際、彼は自分の初恋の人は牧子だ、と言っていたし(真偽の程はともかく)。……そんな過去が有ったから、中三の夏前の〝告白〟の時には、亙の名前は入ってなかったのね。
 「今はなんとも思ってないよ」にはちょっとホッ。亙も恋敵ライヴァルだったらと想像すると、ゾッとしてしまう。

 え〰〰〰〰〰っ! 小四の頃から、ずっと? 自分が転校して来るより、五年も前から?? 中学の時も? したら、初めっからかなう訣、無いっしょ。あの「好きな人当ててみて」問題クヰズは、一体、何だったんだ? 単なる照れ隠しの付け足し?
 中三の時から今までの、俺の気持ちはどうなるんだ、どうすりゃ良いんだ? 色々悩んだだけ、損だったんだべや! 真剣に悩んだのに! これからどう付き合ってったら良いんだ? ブンとも。
 ――これは、なんまらすんごく破壊力の有る内容だった。あれから何十年もった今ですら、読み返すと、まだ軽く一週間程度はへこめるくらいの、大きな心的外傷になった。
 予想はしていたが、やはり、風船はケーチだったか……。
 て事は、常にケーチと比較されてたって事か。否、比較にもならないか。ケーチは絶対的な「一番」だった訣だから、「その他大勢」はどういたって塵芥ごみ以下だ。ぢゃ、ケーチに対抗するには、何をどうって売り込めば良かったんだ?――顔は無理だ(最初から負けてる)し、運動スポーツも駄目(片や蹴球サッカー部の主将キャプテン、片や運動神経人並未満)だし、口も悪いし性格もひねくれてて悪いし目も耳も悪いし(裸眼で〇・一が見えないし、よく聞き間違える)おしゃとも縁遠いし貧乏だし……唯一勝てるのは頭脳ぐらい(自分の方が入学した高校は格上)だけど、一勝八敗(多分それ以上の大差)で、負け越しだ。(嫁は「声がい」と言ってくれるが、そんな点には当時気付いていないし、今でも、本途に自分の声が万人受けするものなのか、単に嫁の個人的な好みに過ぎないのか、評価を下し兼ねている。)
 「絹川君にだけ言うけど」というくだりにはちょっと優越感。信用されているのかな、と思うと同時に、これも「遊び半分で」「気を引」く手では? とも思ってしまう。……かなしいな、俺。
 まあ、それだけこの手紙に書かれている事が真剣な態度で書かれているという証左でもあり、真実でもある事の裏付けにもなるので、真実として受け止めねばならない俺は……………………心底悲しい。
 自分自身の懸想文は、お母さんに見られているのね。そんでもって、「おこられた」という事は、叱られるような、過激な内容だったのか知らん? 何年生のときの話なんだべか。「中学の時もひそかに」と書いてるんだから、小学生のころ……恐らくは、四年生のクラス替えが有った後くらいか?
 この手紙では触れられてないけど、ケーチは手紙をもらった後、どう反応したんだべか? 真面目で、しかも優しいヤツの性格からして、必ず何か反応リアクションは有った筈だけれど。「私の心はズ~ット彼を追っていたのでありました。」(ズキッ!)という、特に変化が有ったとは読み取れない文から推すと、「うれしいけど、困ったな。」的な、どっち着かずの返事だったのかも知れない。それとも、何も返答は無かったのか。
 俺は知っているが、中三のころ、ケーチも彼女の事が好きだった筈(少なくとも「気になる存在」だった事は確実)で、その意味では、彼と彼女は両おもいだった筈だ。俺的には幸いな事だったが、彼女からは、積極的に彼の本心を確かめなかっただけで。彼女から過去に懸想文を貰っているなら、それが仮令たとい小学生時代の事であったにしても(中学生男子の精神構造なんて、小学生男子と大して変わらない)、あの優越感交じりの言動には、そういう裏付けが有ったのか、と納得が行く。

 ということは、俺は? 「“好き” ただそれだけ」?? 「それだけ」って、何だよ?! あの〝告白〟の後、無い頭をかなり悩ませたんだぞ‼ それなのに、「それだけ」って……! 軽過ぎない? それなら最初から誤解しないように、「“好き”」なんぞと言ってくれない方が良かった。
 「友達」なんてくそらえだ!
 英語での本途の意味は、‘good friend’ は「良いお友達」ぢゃなくて「親友」だし、 ‘boyfriend’ は「男友達」ぢゃなくて「恋人」なんだぞ!
 何だよ、「ごめんね」って! 謝られても、この想いをどうする事も出来ないよ!!

いいなと思ったら応援しよう!