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【小説・ヴィーナス症候群】[221]企画倒れ

第1章 郷里より

名古屋から電車でさらに一時間。私のふるさとは、そんな場所にある。
コンビニはあるけどスタバはない。マックはあるけど映画館はない。
そんな町で、私は「ヴィーナス児」として生まれ育った。

両肩の先からは何も生えてこなかった。母は泣いたという。父は黙っていたという。
けれど私自身は、なにも知らないまま育ってきた。ただ、腕がないという事実だけが、常に周囲と私のあいだに線を引いていた。

それでも、今の仕事を選んだのは自分だ。
生まれつき両腕のない女性に多い職業、「トルソーさん」。
健常者向けのファッションを着せるための“動くマネキン”。
私はいま、その仕事をフリーで請け負っている。撮影やフィッティングの現場を、そのつど渡り歩きながら。

──その日は、ガーリー系ブランド〈clematis & nest〉の撮影だった。
甘い色合いのフリルワンピースに、チュールのカーディガン。
控室ではスタッフが「次のカット、ベランダ光きれいだったよ」とかなんとか言いながら、笑っていた。


その仕事が終わって、義手を付けて私服に着替え、控室を出た瞬間だった。スマホが鳴った。知らない番号。
けれど、地域表示を見てすぐに察した。故郷の市外局番だった。

「……はい、呼続です」

「おう芽衣!ひっさしぶりじゃーん!元気しとる?トルソー、頑張っとるみたいやん、AEDのビデオ見たよ〜」

その声は、即座に中学のサッカー部の顔を思い出させた。
名前は……たしか、黒川。特別親しかったわけじゃない。
むしろ、苦手だった。

「えっと……どうされました?」

なるべく事務的に聞き返す。中学校の頃なら「どのような用件ですか?」と聞いただけで「は?用件?」と機嫌を損ねて、翌日からいじめが始まっただろう。そのくらい中学校の中で運動部員とヤンキーを頂点とする「カースト」は厳格だった。
それと、なぜ私の番号を知っているのかも不審だったが、それを問いただすのは後回しにした。

「いやいや、まつり!町の夏まつりあるやん?あれでさ、芽衣に出てもらえんかなって話で。市役所でな、俺いま観光課におるんだけど、上司とか観光協会もノリノリでさ!」

……は?
中学校の頃なら、「カースト上位様が機嫌よく話してるだけでも光栄に思え」というのが成立したかもしれない。でも今は教室の中とは違う。聞くべきことはきちんと聞いても明日から生きていけなくなるなんてことはないはずだ。

「それ、私に何の相談もなく進められてたんですか?」

「いや、企画はこっちで練ってて……っていうか、芽衣ならやってくれるかなーと思って」

「困ります。私はその話、一切聞いてませんし」

「はぁ!?こっちも困るんだわ!俺の上司マジ怖えーんだぞ!?なんとかしろや!」

スマホ越しに怒鳴るような声が響いてくる。
懐かしい……いや、うんざりする声だった。中学の頃、オタク気味の男子を小馬鹿にして笑いを取っていたときの、それと同じトーン。

「一応、業務として引き受ける場合の見積もりは出せますけど」

「……見積もり?金取んの?ああ?貧乏な田舎町の血税から、金取るってか?あんた、そういう薄情なやつだったんだな」

──もう、いい。

「それなら私から観光課の上司の方に直接説明を……」

「いらねーよ!もういいわ、企画倒れじゃん!」

そう言い捨てるように通話は途切れた。まるで受話器を叩きつける音が、デジタル回線越しに聞こえた気がした。

私はスマホをテーブルの上に置いた。
画面がまた光る。着信。名前を見て、ため息が出た。

──中学時代の女友達。たぶん、あの子が番号を教えたのだ。

電話をかけるつもりだった。
でも、その前に、彼女の方からかかってきた。

第2章 祭りのない町

電話が切れてしばらく、私は何もできなかった。
スマホの画面は真っ暗で、私のぼんやりした顔だけが映っている。
自分の目つきが、呆れているようにも、泣きそうにも見えた。

尾州織物でファッションショー──

黒川はたしか、そう言っていた。
地元の特産である「尾州のウール」を使った衣装を、市民祭りのステージで披露したいのだという。
しかも「モデルは東京で活躍中のヴィーナス児、呼続芽衣さんです!」と謳えば、SNSでバズる。注目される。町が盛り上がる。──そんな構想だったらしい。

なんでも、観光協会の若手が「トルソーさんっていいよね」と言い出し、黒川が「あ、俺の中学の同級生にいたわ」と乗っかり、それを上司に報告したら「面白いじゃん!やろう!」と拍車がかかったらしい。

当の私は何も知らないまま、「起用決定」になっていた。

……そんなの、冗談じゃない。

思い出すだけで、胃の奥にざらつくものがたまっていく。
私はスマホをもう一度取り上げ、連絡帳を開いた。
──大垣 美春。

中学の頃、同じ合唱部だった。
悪い子ではなかった。私が困っているときには、そっとプリントを拾ってくれた。昼休みに一緒に図書室へ行って、雑誌をめくって笑った。
けれど、強くはなかった。


強いヤンキーや派手な女子に目をつけられると、にこにこしながらうなずいて、巻き込まれる。
たぶん今回もそうだ。黒川たちに言われて、断れなかったんだ。

でも、私の電話番号を勝手に教えたことは、謝ってもらう必要がある。
私は意を決して、発信ボタンに指を伸ばす。──その瞬間、画面が先に光った。

着信──その美春からだった。

少しだけ、息をのんで通話ボタンを押す。

「もしもし?」

『ねえ、芽衣!?祭りの件、断ったんだって!?……冷たくない?』

「冷たくないよ。……というか、美春。あんたが私の番号、あいつに教えたの?」

『え?……悪いの?というか、私の立場も考えてよ!
 東京に行ったあんたと違って、私はこの町で暮らしてかなきゃいけないんだよ!』

──出た。
この感じ、この言い草。昔からずっとそうだった。

美春は私を庇ったこともある。けれどそれはいつも、陰で、こっそりだった。
表では笑って、流して、やり過ごしていた。
今も、あの頃と同じままだ。

「……だったら最初から関わらなければいい。私の電話番号、他人に渡さないで」

『でも芽衣、地元の祭りだよ?私も話ふられたとき困ったし、地元の人たちも喜ぶと思ったし……』

「“地元の人たち”って誰?黒川と観光協会の若手?
 ねえ美春。あの人たち、私が“腕がない”からって目立つから使おうとしたんだよ。
 “普通じゃない身体”が、“尾州ウールのPRになる”って本気で言ってたんだよ」

沈黙。

「私は動くマネキンじゃない。そういう使い方、仕事じゃないから」

その言葉に、彼女はなにも返さなかった。
ただ、受話器の向こうから、小さく唇を噛むような気配だけが伝わった。

「ふるさとは、遠きにありて想うもの──だね」

通話を終え、私はスマホを伏せた。
画面のなかには、誰の顔も映っていなかった。

第3章 観光課・午後四時

「で、“呼続さん”には一切の説明もなく、勝手に進めてたと?」

観光交流課の会議机に、低く響く声が落ちる。
冷房の効きすぎた応接室、カーテンはわずかに閉じられ、空気だけが冷たく漂っていた。

「……はい」

黒川は、机の端に視線を落としたまま答える。
その目の先には、小さなフォトスタンドがあった。
飾られているのは、中学サッカー部時代の集合写真。
泥だらけのユニフォーム、笑う自分。中央にいるのは当時の自分──キャプテンとして、仲間の中心にいた頃の自分だ。

東京に行って、トルソーとかになって、動画に出て、フォロワーがついて──
それで、偉くなったつもりかよ。芽衣。

「……で、おまえは何を見てるんだ?」

課長の声が鋭くなった。

黒川はびくりと肩を震わせた。

「えっ、いえ、あの、ちょっと……」

「そんなもん眺めてるヒマがあるなら、これでも読んどけよ」

課長はデスク脇の棚から、分厚い冊子を引っ張り出して叩きつけた。

『障害者への文化的配慮と地域行政の責任 ―観光・イベントにおける実践ガイド―』

「今どき、“インパクトがあるから呼びました”なんて話が通じる時代じゃないんだよ。
まして本人に無断で話進めて、断られたら“金取る気か”って逆ギレ?バカも休み休み言え」

「……すみません」

「尾州織物組合も怒ってる。“福祉と文化資源の混同はするな”って。
で、君のおかげで、市として謝罪文を出すハメになった」

課長は、もう一冊、手帳を開いて書き始めた。

「文書は俺が起案して、市長まで回す。君の名前は出さない。でも、その代わり、お前は一切口を挟むな。俺が責任持って処理する。いいな?」

「……はい」

「この件、公式に“企画は存在しませんでした”で処理する。お前が勝手にやったノリの話だったってことにする。だから二度と、観光協会とも口きくな」

「……わかりました」

黒川は、机の隅に置いた集合写真を、そっと裏返した。
もう、誰も自分のことを見ていない。


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