【小説・ヴィーナス症候群】(番外編14)母親思いの男・修羅の国
平浜優は、土浦の国立先端医工学研究センター(NCAME)に所属する義肢装具士だった。
東京から小倉へ向かう新幹線の中で、彼女は一度だけ資料に目を落とした。
高齢者向け膝継手の試験説明会。対象者、七十代後半から八十代。義足はあるが使っていない層。
「一歩目が出やすい」
それだけ伝わればいい、と考え、資料を閉じた。
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筑豊の町に着いたとき、すでに何かがおかしかった。
遠くでサイレンが鳴っている。救急車が一台ではない。二台、三台。音が重なって、空気がざわついている。
地図アプリを見ながら筑豊義肢株式会社の方向へ歩き、コンビニのある角を曲がった瞬間、優は足を止めた。
黄色いテープが、道路を横断していた。
その向こう側に、現場があった。
救急車が斜めに止まり、後部ドアが開け放たれている。警察官が数人、規制線の内外で動き、無線で短くやり取りしている。鑑識が路面にしゃがみ込み、何かを拾い、袋に入れている。
コンビニのガラスは破れていた。外側に向かって弾けたような割れ方ではなく、内外が混ざった、複雑な破断。壁には黒ずんだ跡が残り、入口のポスターは半分剥がれている。
道路の中央には、転がったバイクが三台。いや、四台か。
フロントが潰れ、ハンドルが曲がり、ミラーが砕けている。タイヤは横を向いたまま動かない。破片が周囲に散っていた。
ブルーシートが三つ、少し間隔を置いて置かれている。
優は、そこまでを一息で認識した。
「入らんでください」
規制線の手前で警察官に止められる。優は小さく頷き、一歩下がった。

野次馬のおばさん達が話をしている。
「この手榴弾事件、犯人捕まったらしいばい!」
「捕まったんか!? 誰やったと?」
「地元の42歳の男やて。母親と二人暮らしで、元建設作業員の今は無職やったらしいよ」
「何でこんな大それた真似したっちゃやろ?」
「夜中に暴走族のガキ7人くらいが団地の前でエンジンぶん回してたむろしよったんよ。母親が『うるさいけん静かにせんね』って注意したのに、『うるせえババア! 死ね!』とか罵倒されて完全無視されよったんやて。母親が家に帰って泣いとるのを見て、息子がブチ切れてしもうたらしい」
「それで手榴弾投げたんか……やりすぎやろ!」
「家に隠し持っとった手榴弾を、ガキどもの真ん中にポイッて投げ込んだんやて。ドカーン! って大爆発で死者3人、重傷2人、軽傷2人や。バイクも何台か吹っ飛んで、えげつないわほんま」
「手榴弾って……どこから手に入れたんやろね。普通の男が持っとるもんちゃうやろ」
「警察が今、必死で入手経路調べとるって。男はすぐに自首して、『母ちゃんが泣いとるの見たら我慢できんかった。静かにせんかい言うたった』って泣きながら言うとったそうや。お母さん思いなのは可愛いけど、手榴弾はアカンやろ!」
「ほんまそれ。ハンマーやったら『北九州の男らしいわ』で済むけど、手榴弾は次元が違いすぎるわ。死者3人は重すぎるけん、さすがに擁護できんよな」
「近所じゃ『暴走族が毎日迷惑かけよったけん自業自得や』って声もあるばってん、『いくら何でも手榴弾はやりすぎや』って言う人の方が多いみたいや。顔見たら普通のオッサンやったらしいけどな」
「福岡の外の人、こんな話聞いたらドン引きやろうね。『北九州は怖いわ』って思われて終わりやわ」
「修羅の国も大概にしてほしいわ。ほんまに」
優は、しばらくその場に立ったまま、黄色いテープの揺れを見ていた。
そして、小さく、ほとんど息のように言った。
「こ、これが北九州なの……?」
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