見出し画像

【小説・ヴィーナス症候群】[番外編67]限度を知らない男

土浦の風は、湖が近いせいか夏になるといつも湿り気を帯びて重たかった。

国立先端医工学研究センターの広大な敷地、その北東の片隅にひっそりと佇む木造平屋が「傷痍軍人記念資料館」である。
ここは日本の義手や義足、あるいは近代の義肢技術の移り変わりを静かに保存・研究するための施設だ。

学芸員の冨手小春は、事務所のパイプ椅子に深く腰を掛け、左脚の義足を脱ぎ、溶けかけたオレンジ味のアイスキャンディーを一口かじった。

「ふう……これで今年の夏休み用も終わり、と」

全国の小中学校で行われる「平和学習」の展示向けに、保存庫から木製や金属製の旧式義肢を梱包して出荷する作業がようやく一段落したところだった。
木目とオイルの匂いが充満する静まり返った室内で、小春は手持ち無沙汰にテレビの小型モニターの電源を入れた。

画面には、ニュース番組のキャスターが真面目くさった顔で画面を凝視している。
流れてきたテロップを見た瞬間、小春はアイスを喉に詰まらせかけた。

【速報】アメリカ横断中の日本人男性、野生動物を無許可で殺傷・調理し現地警察に逮捕

画面の隅には、粗い画質のマグショット(逮捕写真)と、インスタグラムに投稿されたという、焚き火で肉を豪快に炙る男の画像が躍っている。

『逮捕されたのは、東京都出身のフリーアルバイター、大久保剛士容疑者です。大久保容疑者は自転車でアメリカ大陸を横断中、夜間に襲いかかってきた大型の野生動物を返り討ちにし、さらにその場で解体してバーベキューにした疑いが持たれており……取り調べに対し「襲ってきたから食った」などと容疑を認めており……』

「……嘘でしょ」
小春は絶句した。

大久保剛士。
間違いようもない。あの、都立愛宕高校で同じクラスだった大久保くんだ。

愛宕高校は、かつて旧制高等女学校だった伝統を引く、都立銀座高校に次ぐ二番手の進学校だ。
品が良くスマートな生徒が多い校風の中で、彼ひとりだけがどこか異質のオーラを放っていた。

「限度を知らない大久保君……」

小春の脳裏に、高校時代の思い出が一気に押し寄せてくる。
噂によれば、中学のシニアリーグ時代、理不尽にしごいてきた先輩を殴り返して病院送りにし、保護者に怒鳴り込まれても「殺されるのが嫌ならいじめて来るんじゃねえ!」と一喝して私立強豪校からの推薦をすべて蹴られたという伝説の持ち主だった。
都立入試の一発勝負で愛宕に滑り込んできた男。

高校の野球部でも、彼の投げる球が凄まじすぎてキャッチャーが誰も捕球できず、結局「本気を出さずに打たせて取るピッチング」に徹するという不完全燃焼な3年間を送っていた。

『大久保容疑者は大学時代、鳥人間コンテストにも出場しており……』

ニュースのアナウンサーが淡々と過去の経歴を読み上げている。
滋賀大学に進学した彼は、積年のストレスを爆発させるように人力飛行機サークルへ入部。
しかし圧倒的な脚力でペダルを漕ぎすぎた結果、機体が爆発的な揚力で垂直上昇し、そのまま湖面に刺さって珍記録を作ったのだった。

「どこに行っても変わってないじゃない……」
小春は呆れを通り越して、クスッと笑ってしまった。

アメリカ大陸を自転車で渡り、襲ってきた猛獣を返り討ちにして逮捕される。
法や社会規範からは盛大にはみ出しているが、彼の中では最初から最後まで1ミリもブレていないのだ。

モニターの中では、現地警察の広報官が「正当防衛の主張は理解できるが、なぜ食べたのか理解に苦しむ」と頭を抱えていた。

小春は残りのアイスを口に放り込むと、自分の左脚に視線を落とした。
蝉の時雨が降る土浦の午後に、テレビの中の騒動だけがどこか遠くの出来事のように響いていた。
小春はそっとリモコンのボタンを押し、静寂を取り戻した資料館で、再び夏の展示計画書に目を落とした。

#AI小説 #小説 #ヴィーナス児 #ヴィーナス症候群 #近未来小説
#冨手小春
#木曜日は3ースデイ

いいなと思ったら応援しよう!