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【小説・ヴィーナス症候群】(番外編41)YouTuberに突撃される

茨城県土浦市の静かな高台に佇む、国立先端医工学研究センター附属傷痍軍人記念館。

天井の太い木梁が重々しい影を落とす第2展示室には、張り詰めた静寂が満ちているはずだった。
ガラスケースの向こう、あるいは木製の長机の上に厳かに並べられた、旧陸軍の義手や義足の数々。
それらはかつて国策によって傷を負わされ、戦後の動乱期を必死に生き抜いた人々の生々しい遺物だ。

だが今、その静謐は、自撮り棒を掲げた一人の青年の早口な声によって無残に引き裂かれていた。

「はい、どうも皆さんこんにちは! 現実派チャンネルのKスケです! 今日はここ、茨城県土浦市にあります、傷痍軍人記念館に来てみました!」

カメラに向けて1.5倍速の調子で捲し立てるKスケは、自ら「現実派」と名乗る通り、ネットの右派層に受ける過激な逆張りトークを売りにする配信者だった。
彼は並べられた木製の義足を指さし、顔をしかめてみせる。

「館内に入ってみたんですけど……いやー、見てくださいこれ。戦時中の義手や義足がたくさん展示してあるんですけど……正直、エグいですよね。ぶっちゃけ、ちょっと夜、夢に出てきそうなくらい生々しいというか、不気味ですらあります。
でもね、皆さん。僕たちはこのビジュアルにただ『可哀想〜』とか『戦争反対ー』って思考停止して涙を流すんじゃなくて、国際政治の冷徹なリアリズムの視点を持たなきゃいけないわけですよ。まさにね、当時の日本が彼我の国力差を知らず、まともな安全保障戦略もなしに無謀な戦争を仕掛けた結果が、この痛々しい義手や義足の数々なわけです!」

Kスケはステップを踏むように展示室を歩き回り、ますます声を張り上げる。
自分の「地政学トーク」が滑らかに繋がっていく全能感に、彼は完全に酔いしれていた。

「よく左派リベラルメディアや野党なんかは『日米同盟なんて必要ない』なんて軽々しく言いますけど、あれ、地政学的に見たら完全に『自殺志願者』のセリフですからね? 僕も大学でガチで安全保障論をやってたから骨身に染みて分かってるんですけど、現代の国際秩序っていうのは、綺麗事の平和条約じゃなくて『圧倒的な軍事力のバランス』、つまり抑止力だけで成り立ってるわけです。
いいですか、もし今、日本がアメリカの核の傘から外れてみろと。周りを見てくださいよ。中国、ロシア、北朝鮮。全部、核を持った怪物たちですよ? 最強の盾を失った瞬間、日本は秒で『核恐喝』のターゲットになります。
これ、僕の妄想でも何でもなくて、歴史の明確な証明があるんですよ! 1992年にフィリピンから米軍が撤退した瞬間、どうなりましたか!? わずか3年後、力の空白を突いた中国がフィリピンにドカンと攻め込んで、ミスチーフ礁を強奪したじゃないですか! これが『米軍が撤退した国』のリアルな末路なんです! 日本から米軍が消えたら、次は尖閣や沖縄が同じ目に遭うのは火を見るより明らかでしょうが!!
そうなった時、待っているのは過酷な支配と一般市民の強制徴用です。抵抗したって無駄。またこのようなエグい義手や義足を、画面の前の『あなた』や、あなたの『子供たち』がつけることになるかもしれない。怖いですよね!? リアルに想像したらゾッとしますよね!?」

Kスケはここで一呼吸置き、カメラを大きく煽るように掲げた。

「だからこそ、僕たちはお仕着せの平和主義を捨てて、強固な日米安保体制を強化しなきゃいけないんです。ねえ、そこの学芸員さん? 専門家から見ても、この悲劇を繰り返さないためには日米安保の抑止力しかないって、そう思いま――」

「あの、すみません」
背後から掛けられた、低く平坦な声。

Kスケが弾かれたようにカメラを向けた先、いつの間にかそこに立っていたのが、この資料館の学芸員、冨手小春だった。
その目は完全に据わっており、一片の感情も混じっていない完全な虚無の表情で、Kスケを正面から見据えている。

「動画撮影の申請はいただいていますでしょうか」

「え? あ、いや……あの、ネット配信用の個人の取材というか、歴史の啓発動画なんですけど……」

出鼻をくじかれたKスケは一瞬フリーズしたが、すぐに防衛本能からニヤニヤとした歪んだ笑みを浮かべ、カメラをさらに小春に近づけた。

「ていうかちょっと待ってくださいよ学芸員さん。ここって独立行政法人、つまり元は国、僕たち国民の【血税】で維持されてる公的な施設ですよね? 国民が税金を払って維持している場所の展示物を、国民が撮影して何が悪いんですか? あなた方に、国民の知る権利や表現の自由を不当に制限する権利なんてあるんですか?」

これで見事に論破してやった――Kスケは内心でガッツポーズを決めた。

しかし、小春の反応は彼の予想とは全く違っていた。

「……」

小春は何も言わず、ただ事務的に小さく一礼すると、踵を返してスタスタと事務室の方へ去っていった。

「あ、ほらね! 皆さん見ました!?」

Kスケは完全に論破して追い払ったと確信し、カメラに向かって勝ち誇ったように笑った。

「言い返せなくなって逃げちゃいましたよ! これが典型的なお役所の隠蔽体質、事なかれ主義ってやつです。いやー、やっぱり青学の国際政経で鍛えた僕のロジックの前には、お堅い学芸員さんも形無しですね。というわけでね! 話を戻しますけど、やっぱり僕たち日本人がこの平和ボケから脱却して、強固な日米安保体制を――」

「あ、もしもし、お兄さん。ちょっといいかな?」
突如、Kスケの背後から太く低い声が掛けられた。

振り返ったKスケの視界に飛び込んできたのは、制服を身にまとった2名の警察官だった。

「え……? あ、はい……? なんすか……?」
一瞬でKスケの声が裏返る。

「施設の方からね、無許可で大声をあげて撮影をしていて、注意してもやめない人がいるって通報が入ったもんでね。他のお客さんの迷惑にもなっちゃうから。ちょっとカメラ止めて、詳しいお話あっちの事務室で聞かせてもらえるかな」
「え? ちょっと待って! 警察とか大げさすぎでしょ! いや、あの、これYouTubeの、その、歴史の啓発動画のロケで……あの、政治の勉強を……」

焦って言い訳を並べるKスケの腕を、警察官が優しく、しかし抵抗を許さない力強さで掴んだ。

「うん、お話は事務室でね。ほら、カメラ止めて。行こうか」
「いや、ちょっと待ってくださいって! なんでそうやってすぐに話し合いもせず警察沙汰にするわけ!?」

両脇を固められ、事務室へとズルズル連行されていくKスケは、廊下の奥でこちらを見つめる小春の冷ややかな視線に気づき、半狂乱になって叫んだ。

「女っていっつもそうだよね!!! そうやってすぐ感情的になって、対話から逃げて、権力の陰に隠れて男をハメようとするんだよ!!! だからお前らは――」
「はいはい、大きな声出さない。いいから来い!」

警察官に一喝され、「痛っ、あ、ちょ、待っ……!」と情けない声を上げながら、Kスケは完全に画面外へと回収されていった。

ドタバタとした足音が遠ざかり、再び記念館に静寂が戻った。
事務室のデスクで、小春はパソコンの画面を見つめていた。
警察官に身分証を提示させられたあの男――「Kスケ」の本名をもとに、手持ち無沙汰な気持ちで検索をかけてみる。
すると、彼の過去に関する情報が、ネットの海から次々と芋づる式に湧き上がってきた。

それは、主に匿名掲示板やSNS、まとめサイトに転がっている、青山学院大学時代の同級生やゼミ仲間と思しき人物たちの書き込みだった。

『Kスケ、YouTubeでめちゃくちゃ過激なこと言っててビビった。大学の頃はあんなんじゃなかったのに』
『ゼミの時はむしろ一番真面目で、夜遅くまで図書館で安全保障の専門書読み込んでたよ。ディベートでも感情論を嫌う冷静な奴だった』
『就活で大手のシンクタンクとか報道機関の最終で全落ちしてから、明らかに様子がおかしくなったんだよね。プライド高かったから壊れちゃったのかな』
『あいつの今の動画、全部ビジネス右翼だよ。あんなに真面目に国際政治勉強してた奴が、今じゃウケるためだけにデマ混じりの陰謀論喋ってて本当に悲しい』

画面に溢れるかつての知人たちの証言は、どれも一様に「元は優秀で真面目な学生だった」と彼の変貌を嘆くものばかりだった。
不採用通知が重なるにつれ、彼のプライドはズタズタになり、社会への呪詛へと変わっていったのだろう。
そして行き着いた先が、過激な言動で信者を囲い込み、手っ取り早く「儲かる」迷惑YouTuber同然の泥沼だったのだ。

「……」

小春は静かにパソコンの画面を閉じた。

自分は運が良かっただけなのかのかもしれない、と小春は思った。
大学で歴史を修め、倍率数百倍とも言われる狭き門をくぐり抜けて、運よく自分の専攻分野でこの資料館の学芸員として採用された。
それは実力というよりも、ほんのわずかな巡り合わせの妙に過ぎない。

もし、あの時のボタンを一つ掛け違えていたら。
もし、自分も就職活動という名の冷酷なシステムに全否定され続け、どこにも居場所を失っていたら。

あのKスケのように、自分の知識を歪め、他者の尊厳を傷つけてでも、自らの存在意義を叫び散らすモンスターになっていたのではないか。

窓の外からは、パトカーへと押し込まれるKスケの、まだ何事かを喚き散らす声が微かに聞こえていた。

彼はただの迷惑配信者だ。
犯したルール違反も、展示物への不敬も決して許されるものではない。
それでも小春には、彼が底なしの「就活戦争」に敗れ、心をすり潰された哀れな犠牲者の生き残りのようにも見えていた。

小春はゆっくりと立ち上がり、乱れた衣服を整えた。
あの男が「エグい」と吐き捨てた、しかし誰かが語り継がなければならない義足たちの待つ、静かな展示室へと歩みを進めた。

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