見出し画像

【小説・ヴィーナス症候群】(976)内閣情報局ってそんなに大事?

窓から差し込む初夏の日差しが、リビングのソファに座る神俣葵の横顔を柔らかく照らしていた。

「ふう……やっと終わった」

福祉専門のフリーライターとして、精神障害者の就労支援に関する長い連載記事を書き終えたばかりだった。
締め切りという名のプレッシャーから解放された、静かな午後。特に取材の予定もない。

葵は、ソファのサイドテーブルに置かれた紅茶のカップに、自然な動作で左手の義手を伸ばした。
紅茶を一口含んで一息つくと、右手の義手でリモコンを掴み、テレビをつけた。

チャンネルを切り替える中で、画面の文字に目が止まった。NHKの討論番組だった。

『内閣情報局に関する討議』

画面には、スーツ姿の与野党議員や、中立的な立場の大学教授など四人が並んでいる。
テロップには「情報の司令塔機能強化」「民主的統制のあり方」といった言葉が躍っていた。

葵はチャンネルを変える指を止めた。ソファに深く背中を預け直す。
「また、これか……」

数日前から、ニュースやネットはこの話題で持ちきりだった。
政府が、各省庁から独立した強大な情報機関「国家情報局(仮称)」の設置を目論んでいるという。
テレビ画面では、まさにその推進派である与党の中堅議員が、鬼気迫る表情で熱弁を振るっていた。

「――皆さん、甘く見ないでいただきたい!」

その剣幕に、葵は思わず眉をひそめた。
反対派や世間の冷ややかな視線をあらかじめ想定しているのか、推進派議員の声には尋常ではない切実さと、絞り出すような焦りが滲んでいた。

「いまこの瞬間も、日本のインフラや機密情報は目に見えないサイバー空間からハッキングされ、私たちの技術やデータが海外へ流出しているのです! 諸外国の諜報機関から見れば、現在の縦割りでバラバラな日本の省庁など『ザル』同然だ。テロリストや外国のスパイが国内でどう動いているか、個別の役所がそれぞれ隠し持っているピースを誰も一つに合わせられない。このままでは、ある日突然、水道や通信が完全に麻痺し、国民の命がなすすべなく奪われる! それを防ぐための司令塔を今すぐ作ることが、なぜいけないんですか!」

その必死すぎる訴えに、スタジオの空気がピリッと張り詰める。
推進派の元情報機関員(OB)も、それに同調するように畳みかける。

「現場にいた人間なら誰でも分かります。日本は長年、国際社会のインテリジェンスの世界で『裸の王様』だった。情報を集め、分析するプロフェッショナルな統括組織がなければ、国が内側から崩壊していくのを指をくわえて見ているのと同じです。手遅れになってからでは遅いんです!」

そのあまりの切迫感と「国を守るためなら手段を選んでいられない」と言わばかりの気迫に、反対派の野党議員がすかさず鋭く切り返す。

「だからこそ危険だと言っているんだ! そこまでの危機感を口実にして、今度は国内の人間をどこまで監視するつもりだ! 自衛隊が学者の性的指向や思想信条まで密かにリストアップしていた事件が記憶に新しいだろうが! 組織が大きくなり、強大な権限を持たせれば、その『切実な防衛』の名の下に、一般市民のプライバシーや言論の自由を踏みにじるブラックボックスが必ず生まれる!」

テレビ画面には、過去の防衛省による情報収集問題のニュース画像がインサートされた。
福祉や人権問題を取材し、マイノリティの立場に寄り添ってきた葵にとって、その不祥事の影と、推進派のあまりに前のめりな「切実さ」の対比は、ひどく不気味に映った。

(あの人たちにとっては、本当にそれが「国を守るための絶対正義」だからこそ、あんなに必死に……だからこそ、歯止めが利かなくなる)

推進派の「国を守るためなら何をしても足りない」という切実な恐怖心と、反対派の「その正義が国民を監視する牙に向く」という恐怖心。
その両者がぶつかり合う議論を、葵は銀色の指で紅茶のカップを握りしめながら、じっと見つめていた。

#AI小説 #小説 #ヴィーナス児 #ヴィーナス症候群 #近未来小説
#神俣葵

いいなと思ったら応援しよう!