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【小説・ヴィーナス症候群】(644)新自由主義者の苛立ち

第1章 セグウェイ型車椅子

柏に住む柴伏みのりのもとに、西土浦の国立先端医工学研究センターから連絡が来たのは、まだ春の気配が残る頃だった。

セグウェイ型車椅子のモニターをお願いしたい、という。

みのりは先天性尾部後退症――CRSで、腰から下が生まれつき無い。
普段は電動車椅子で生活しているが、新しい移動機器の試験には時々声がかかる。

柏から西土浦までは電車で一時間ほど。
遠すぎるというほどでもない。

みのりは特に迷うこともなく、快諾した。

そして試験当日。

研究センターの敷地内で、白いセグウェイ型車椅子の試作機に乗せてもらう。
人が立つ位置に腰掛けるような構造で、重心移動でゆっくりと進む。

「では、構内を走ってみましょう」

研究員が言った。

みのりは軽く体を傾ける。

静かな電動音とともに、機体は滑るように前へ進んだ。

研究センターの敷地は思ったより広い。
新しい研究棟のガラス壁が並ぶ一方で、敷地の端の方には古い木造建物も残っている。

そのうちの一つが、みのりの目に入った。

少し離れた場所に、平屋の古い建物がぽつんと建っている。
入口の上には、小さな看板がかかっていた。

傷痍軍人記念館

「……あれは何ですか?」

みのりが聞くと、研究員が少し振り返った。

「ああ、あれですか」

「昔の施設の名残なんですよ」

この国立先端医工学研究センターは、もともと別の施設だった。
戦争の時代、この場所には「国立土浦傷痍軍人療養所」が置かれていた。
戦地で負傷した兵士――とくに手足を失った傷痍軍人のための療養施設で、義肢の研究やリハビリもここで行われていたという。

戦後、療養所は「国立土浦リハビリテーションセンター」となった。

だが一部の建物は保存され、
傷痍軍人の義肢や資料を展示する小さな博物館として残された。

それが、あの記念館だった。

みのりは少し体を前に傾けた。

「せっかくですし」

研究員に向かって言う。

「ちょっと寄ってみてもいいですか?」

構内の隅にひっそり建っているその建物は、
新しい研究棟とはまるで別の時代のもののように見えた。

「中、見学できますよ」

研究員が言った。

「学芸員さんも常駐してます。規模は小さいですけど」

第2章 傷痍軍人記念館にて

引き戸を開けると、館内には古い木の匂いが漂っていた。
天井の梁は太く、照明もどこか昔風だ。

展示室の壁際にはガラスケースが並び、その中に義肢が展示されている。

木製の義足。
革のベルトで固定する金属の膝関節。
そして、腕の代わりに取り付ける器具のついた義手。

小さな札が添えられていた。

昭和十七年製 義足
海軍病院式 義手
陸軍式 作業義手

みのりはしばらくそれを眺めた。

いま自分が乗っているセグウェイ型車椅子と、
ガラスケースの中の義肢。

同じ「身体を補う機械」なのに、
技術の距離はほとんど一世紀ある。

研究員が説明する。

「当時、この療養所は義肢研究でも有名だったらしいんです」

「戦争で手足を失った兵士のリハビリ施設ですね」

「戦後しばらくは民間人の患者も受け入れていたそうです」

みのりはゆっくり展示室を進む。
車椅子のモーター音が、木の床にやわらかく響く。

そのときだった。

外から、少し騒がしい声が聞こえてきた。

革靴の足音。
何人かが一緒に歩く気配。

そして、はっきりした声。

「ここよね?」

入口の引き戸が開いた。

先頭に入ってきたのは、紺色のスーツを着た女性だった。
後ろにはスーツ姿の男たちが数人ついている。

その顔を見て、みのりは少しだけ目を瞬かせた。
テレビでよく見る人だった。

河田祥子議員――通称「マーガレットさっちゃん」は、ガラスケースの前で腕を組んでいた。

中には古い義足が並んでいる。
木製の脚。革のベルト。重そうな金属の膝関節。

「年間来館者、何人?」

館長が答える。
「昨年度は三千二百人ほどで――」 
「三千人?税金で?」

館長が小さくうなずく。
議員は展示室を見回した。

古い義足。
白黒写真。
療養所の病室の記録。

「……暗いわね」

館長が説明する。
「ここは戦前の国立土浦傷痍軍人療養所の資料を保存し、戦争の歴史と医療の発展を――」

「ちょっと待って」
議員が遮った。

「館長」
少し笑う。

「私は歴史を否定してるんじゃないの」
ガラスケースを指さす。

「でもね、専門家のための博物館はいらないんです」

展示室が静かになる。
官僚たちは黙ってメモを取っている。

議員は続ける。
「政治は誰のため?」

館長は答えなかった。

議員が言う。
「国民のためですよね?」

義足のケースを指さす。

「年間三千人しか来ない施設、それ、誰のため?」

少し間を置く。

「研究者?」
肩をすくめる。

「そういうの、税金でやる時代じゃないの」

館長が言う。
「ここは戦争の悲惨さを伝える施設でして――」

「だーかーら、悲惨さだけ見せてどうするの?」

展示室をぐるりと見回す。
「今、日本の周りどうなってる?」

誰も答えない。

議員が自分で言う。

「中国、軍拡、台湾有事!」

「なのに、古い義足?」

首を振る。
「税金の使い方、間違ってるわよ」

そして言った。
「こんな陰鬱な博物館、やめてしまえばいい」

館長の顔がわずかにこわばる。
議員は続けた。
「その代わり、若者の国防意識を高める施設にする。自衛隊の装備とか、最新ドローンとか、そういう展示にすればいいの。その方が人来るわ」

官僚の一人が小さくうなずきながらメモを書いた。
議員はもう一度展示室を見回した。

それから踵を返す。
「次、研究棟でしょ?」

「はい、先生」

視察団はそのまま展示室を出ていった。

革靴の足音が廊下の奥へ遠ざかっていく。
しばらくして、館内は元の静けさに戻った。

みのりはセグウェイ型車椅子の上で、その一連の騒ぎをぼんやり見ていた。
さっきまでの勢いが嘘みたいに、展示室はまた静かな博物館に戻っている。

ガラスケースの中には、さっきと同じ木製の義足が並んでいた。

館長が小さく息をついた。
それから頭をかきながら、ぽつりとつぶやく。
「……噂には聞いてたけど、強烈だな。マーガレットさっちゃん」

みのりはその言葉を聞きながら、ゆっくり体を前に傾けた。
セグウェイ型車椅子が静かに動き出す。
古い義足の展示を横目に、みのりは出口へ向かって滑っていった。

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