スケッチしない、スケッチブック
大原美術館へ行ったときにね、ミュージアムショップでスケッチブックを買ったの。
私ね、スケッチはしないのよw
したこともないの。
絵を描く才能は、母のお腹の中に置いてきたみたいなのよwww
生まれてくるときに、うっかり忘れてきたとしか思えないのwww
それなのに、スケッチブックを買ったの。
我ながら、意味不明な行動だと思いながら買ったのよwww
だってね、そのスケッチブックから、どうしても目が離せなかったのよ。
ここね、テストに出るところww
通り過ぎようとしても、氣がついたら、またスケッチブックの前に戻ってきているの。
手に取っては戻して、また手に取っての繰り返しよ。
絵を描かない人間が、スケッチブックの前で何をしているのという話なの。
ただね、目が離せない理由は、自分でも分かっていたのよ。
何に使うのかの、心当たりがあったの。
それは、節句のような節目の日に、叶えたいことを書くためなの。
節目の日にはね、1年以内くらいに叶えたいことを書いた方がいいの。
それまでは、そのときに手元にあるものに書いていたの。
大原美術館のスケッチブックは、3色あったの。
赤と、青と、黒。
どれも同じ形で、同じ大きさなのよ。
それなのに、どうしても赤に目がいってしまうの。
青も黒も手に取ってはみるのだけれど、結局また赤に戻ってくるのよね。
今年のカラーだかかな〜w
こういうときの選び方ってね、頭で決めていないの。
3つ並んでいたら、比べて選んでいるつもりでいるんだけれど、実際は、先に決めているのよね。
理由は、あとから探しているだけなのw

そしてね、重陽の節句の日に、初めて使ったの。
1年以内に叶えたいことを書いたのよ♪
そうしたらね、しっくりきたの。
これがね、自分でも驚いたの。
これまでは、いろいろなノートに書いてきたのよ。
でも、どれもしっくりこなかったのが本当のところなの。
書いていることは同じなのに、初めてしっくりきたのよ。
なぜかなと考えてみたら、思い当たったことがあるの。
道具にはね、名前がついているよね。
スケッチブックは、絵を描くためのもの。
ノートは、文字を書くためのもの。
手帳は、予定を書くためのもの。
その名前を聞いた時点で、私たちは用途を決めてしまっているのよ。
でもね、その名前は、作った人がつけた呼び方であって、使い方の決まりではないのよ。
考えてみるとね、そういうことはよくあるよね。
マグカップに筆を立てている人がいるよね。
お重を、お正月以外の日の器に使う人もいるよね。
風呂敷を鞄がわりにする人もいるものね。
どれも本来の名前とは違う使い方なんだけれど、誰も困っていないのよ。
名前を守らなくても、道具はきちんと働いてくれるの。
スケッチブックはね、絵を描く人のために作られているから、紙が厚いの。
ペンで書いても、裏に透けにくいのよ。
叶えたいことを書くのに、これほど向いているものもないってことに、書いてみて初めて氣づいたの。
絵を描くための紙だけれど、書くための紙としても、とてもいいのよ。
それとね、もう一つ氣がついたことがあるの。
厚みのことよ。
ノートってね、分厚いほうが得な氣がするでしょう。
たくさん書けるし、長く使えるものね。
でもね、そこそこの厚みのほうが使いやすいのよ。
分厚いと、重いし、開きにくいし、だんだん前に書いたページを見直さなくなって、結局、書かなくなってしまうの。
持ち歩けるくらいということはね、思い立ったときに書けるということなのよ。
書くための道具なのに、書かなくなるなら意味がないからね。
用途を限定しないこと。
これがね、思っていたよりずっと大切なことだったよ。
スケッチブックだから絵を描くものと決めていたらね、私はあの棚の前を、そのまま通り過ぎていたはず。
目が離せなかったのに、意味不明だからと諦めていたら、めっちゃもったいなかったってこと。
「これは◯◯用」と決めた瞬間に、使える場面は減っていくの。
そして、それを決めているのは、いつも自分なの。
書いたことが叶うかどうかは、また別の問題なんだけれどねww
ただ、書いていて心地よいものを選べたことは、それだけで一つの収穫だったわ。
スケッチしないのに買ったスケッチブックが今のところ、いちばんしっくりきているの。
意味不明に見えた行動にも、潜在意識には理由はあったということだから、あなたも大切にしてね。
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