【#ドラマ感想文】 TRICKシリーズ一挙批評 「パントマイムで人を殺す女」――後味の悪さに全振りした見事なエピソード3 その1 【#Podcastエピソード紹介】
「Reel Friends in Tokyo」は、パーソナリティの“まこ”と“オーマ”がお送りする映画紹介Podcastです。このnoteでは、ポッドキャスト本編で取り上げた話題作や名作、はたまた迷作たちを、番組で語りきれなかった裏話や個人的な深掘り、そしてリスナーの皆さまへの補助情報として、二人ならではの視点で掘り下げていきます。
毎回、Podcastで交わしたトークやディスカッションの要点、まこ・オーマ両名による独自の考察、時に脱線しがちな本音トークから個人的に見た映画Reviewまで、記事としてまとめております。リスナーの方も、そうでない方も、ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください。
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第1章 TRICKが「本気の後味の悪さ」を解禁した夜
1.1 緩急の達人が、緩を捨てた回
TRICKの持ち味は「緩急」だ。ゲラゲラ笑っていたら、物語の終わりとともに静かに刃を差し込まれる。その落差が心地よくて、私たちはこのドラマを手放せない。
しかし第1シリーズ・エピソード3「パントマイムで人を殺す女」は、その緩急の設計が根本から異なる。
このエピソードは、「緩」の部分を削ぎ落とすことで成立している。いや、正確には「緩」があるにはある。上田が黒坂美幸を監視しながら下品な妄想を膨らませる場面があり、そこには深夜ドラマらしい下ネタが炸裂する。しかしその「緩」は、後に続く重さを際立たせるための露払いに過ぎない。笑った分だけ、最後に裏切られる落差が深くなる。そのために「緩」が置かれている。
エピソード1「母之泉」のほろ苦さ、エピソード2「宝女子村」の切なさ、そしてエピソード3「パントマイムで人を殺す女」の後味の悪さ。シリーズを通じて、TRICKは「笑った後に残るもの」の質を変えてきた。最初は哀愁だった。次に切なさになった。そして第3エピソードで、初めて「怒り」と「やるせなさ」が残るエンディングが来た。それは、TRICKが「感傷」から「不条理」へと踏み込んだ瞬間だった。
1.2 予告殺人というミステリの禁じ手
「これから霊能力で3人の男を殺すので、自分を監禁・監視してほしい」
黒坂美幸がこの依頼を警察に持ち込んだとき、物語の構造そのものが転倒した。
通常、犯罪者は罪を隠す。証拠を消す。アリバイを作る。しかし黒坂美幸は逆のことをした。自分を監禁させ、完璧な証人を揃えた上で、堂々と殺人を予告した。
これは本格ミステリの文脈で言えば「予告殺人」というジャンルだ。アガサ・クリスティの『予告殺人』(1950年)が有名だが、クリスティが描いた予告殺人は「犯人が罠に追い込まれる構造」だった。しかし黒坂美幸の予告殺人は真逆だ。予告すること自体が「犯罪を完成させる手段」として機能している。告白が、免罪符になる。
このトリックの根幹にあるのは「不能犯」という法律概念だ。冒頭で示されるように、呪いや霊能力で人を殺すことは、科学的に証明できない。「超能力によって人を殺した」と主張しても、法律は超能力の存在を認めない。認めない以上、罪に問えない。丑の刻参りで人を殺そうとした実例でも「不能犯」として殺人未遂は適用されなかった歴史がある。
黒坂美幸はその法律の盲点を、完全に自分の設計図に組み込んだ。「霊能力で殺した」と言えば逮捕できない。「トリックで殺した」と証明しようとすれば、今度は「では誰が実行したのか」という問いに直面する。どちらに転んでも、彼女は逃げ切れる構造が最初から完成していた。
"The law is reason, free from passion." (翻訳:法とは、情念から解放された理性だ。) ―― アリストテレス
アリストテレスの言葉は、法の理想を語る。しかし黒坂美幸は、その「情念から解放された理性」の隙間に、情念を詰め込んだ。法の冷静さを利用して、最も熱を帯びた復讐を完遂させた。
1.3 佐伯日菜子という「冷たい狂気」の体現者
黒坂美幸を演じたのは佐伯日菜子だ。
ホラー映画『エコエコアザラク』(1995年)で一世を風靡した女優で、「異質な美しさ」と「得体の知れない冷たさ」を同時に持つ俳優だ。これ以上のキャスティングはなかったと思う。
他のエピソードの霊能力者たちと、黒坂美幸は根本的に異なる。霧島澄子は哀愁があった。ミラクル三井は切なさがあった。どちらも「人間的な傷」が動機の核にあった。しかし黒坂美幸にはそれがない。あるのは「不敵な笑み」と「論理的な冷静さ」だ。彼女はコメディタッチな他の霊能者たちとは異なり、終始「冷酷さ」が強調されている。
パントマイムを演じる彼女の表情に、共感を求める視線がない。観客に「理解してほしい」という欲求がない。ただ実行する。ただ計画通りに進める。その「感情の不在」が、このエピソードに独特の寒さをもたらしている。
また佐伯日菜子が一人二役で妹・洋子も演じている点も重要だ。容姿が瓜二つで、性格は正反対。美幸が冷酷なら、洋子は感情的だ。同じ顔が全く異なる人格を持つという視覚的な不気味さが、双子トリックの心理的効果を増幅している。
第2章 三つの殺人トリックの解剖
2.1 第一の殺人――「共犯者の存在」という最もシンプルな答え
第一の殺人は、梅木隆一の絞殺だ。
黒坂美幸が監視下でベルトで首を絞めるパントマイムを行い、同時刻に崖の下で梅木の死体が発見される。しかも凶器のベルトには美幸の指紋があり、死体の手には美幸の毛髪が握られていた。「完璧な証拠」が揃いながら、「完璧なアリバイ」もある。
種明かしは単純だ。実行犯は双子の妹・洋子だった。事前に準備した美幸の毛髪とベルトを使い、洋子が梅木を坂に誘い込んで絞殺した。
この「シンプルさ」が実は最も重要な点だ。三つの殺人の中で、最初のトリックが最もシンプルに設計されている。なぜか。観客と山田・上田を「複雑なトリックを想定する方向」に誘導するためだ。「こんな完璧な状況を作り出せるなら、さぞ複雑な仕掛けがあるはずだ」と思わせる。その思い込みが、後の推理を狂わせる。
シンプルなものをシンプルに見せないことで、複雑に見せる。これはマジックの基本原理だ。山田はマジシャンのはずなのに、この原理に引っかかった。それ自体が、黒坂美幸の「知性の高さ」を示す演出になっている。
2.2 第二の殺人――双子という古典トリックの正しい使い方
第二の殺人、竹下文雄の刺殺では、双子トリックが使われた。
二人とも監視された状態で殺人が起きる。観客の多くは「双子か」と思った瞬間に「種が割れた」と感じるかもしれない。双子トリックは本格ミステリの「古典中の古典」だからだ。
しかしここで重要なのは、「古典的なトリックを使う」という判断自体が、黒坂美幸の計画の一部だということだ。「双子だ」と気づかせる。気づかせることで、「謎が解けた」という満足感を山田と上田に与える。しかしその満足感は罠だ。「双子だと分かった」ということは、まだ計画の途中に過ぎない。次の手が来る。
心理学で言う「認知的完結欲求(need for cognitive closure)」の逆用だ。人間は謎が解けた感覚を得ると、次の謎に対する警戒が一時的に緩む。双子だと分かった安堵の隙間に、第三の殺人が設計されていた。
2.3 第三の殺人――「合理」の行き着く先としての直接犯行
第三の殺人、松井一彦の銃殺が最も重要だ。
二人の姉妹がともに監視された状態で、松井が射殺される。これはもはや「双子トリック」では説明できない。山田と上田が追い詰められた局面で、奈緒子がある不審点に気づく。タネ明かしを見た後に理解できるのは、第三の殺人は美幸の単独犯行だったということだ。美幸は事前にライフルで松井を直接射殺し、「パントマイムで引き金を引く」タイミングと銃声を合わせるために音声録音を使った。
ここで明らかになる真相の「気が抜けるほど単純」な側面がある。三つの殺人の根幹にあるのは、「共謀」と「事前準備」というきわめて現実的な手法だ。超常現象も、複雑な機械装置も、奇跡的な偶然も関係ない。計画と、人間と、タイミング。それだけで、不可能に見えた三つの殺人は完成した。
「うまくいくかどうか分からないトリックに頼ることなど、はなから必要なかった」。これが黒坂美幸の設計思想だ。確実に殺す。その確実性のために、「霊能力のように見せる」という余分な装飾を足した。装飾が複雑に見えるほど、実態のシンプルさは隠れる。
"Simplicity is the ultimate sophistication." (翻訳:シンプルさとは、究極の洗練である。) ―― レオナルド・ダ・ヴィンチ(に帰せられる言葉)
黒坂美幸の計画は、この言葉の体現だ。最も洗練された犯罪は、最もシンプルな実態を持つ。
第3章 「先生、超能力で人は殺せないと法廷で証言してね」
3.1 このセリフがTRICKシリーズ史上最も胸クソ悪い理由
妹・洋子が毒を飲んで死んだ後、黒坂美幸が残した捨て台詞がある。
「全て洋子がやったこと。私はパントマイムを演じただけ。先生、超能力で人は殺せないと法廷で証言してね。」
そう言って、彼女は去った。
このセリフが、シリーズ史上最も胸クソ悪い言葉だと私は思う。理由を整理する。
第一に、妹を「使い捨て」にしたという事実の露骨さだ。洋子は実行犯として三つの殺人に加担し、最後に自ら命を絶った。美幸は妹の献身を「道具」として使い、その死を「証拠の消去」として利用した。肉親を駒として使い、死んだ後に「全て洋子がやったこと」と言い放つ。この冷徹さは、もはや人間関係の話ではなく、人間性の話だ。
第二に、上田と山田への逆バインドが完成しているからだ。「超能力で人は殺せないと証言してね」というセリフは、二人の立場を完璧に逆用している。上田は一貫して「超能力は存在しない」という立場を取ってきた。その立場を証言すれば、「霊能力で殺したと言い張る美幸を逮捕できない」という論理が成立する。二人が正直であることが、美幸を守る盾になる。誠実さが、悪意の味方をする。
第三に、「法では裁けない」という結末が、カタルシスを根本から奪うからだ。ミステリの快楽の本質は「謎が解ける」という認知的快楽と、「悪が裁かれる」という道徳的快楽の組み合わせにある。このエピソードは前者を与えながら、後者を完全に奪う。謎は解けた。しかし悪は逃げた。その不完全燃焼が、エンディングの後味の悪さとして体に残る。
3.2 矢部謙三が、初めて「本気で怒った」
このエピソードには、もう一つ見逃せない場面がある。
矢部謙三が黒坂美幸に向かって「お前のような奴は絶対に許さへん!きっちり法の裁き受けさしたる」と激怒する場面だ。
矢部という人物は、TRICKの中で「正義感がない」キャラクターとして描かれてきた。権力者に媚び、弱者に横暴で、奈緒子たちが危機に陥れば逃げ出す。そんな人間が、黒坂美幸に対してだけは本気で怒った。
これは演出として非常に巧みだ。「笑いの人」が笑わない瞬間は、それ自体が感情的な衝撃を持つ。第6章「宝女子村」批評で書いた「普段ふざけている者が急に本気になる瞬間の反則性」が、ここでも機能している。
しかし矢部の怒りは、結果として何も変えない。怒っても、美幸は去る。法が彼女を守る。正義感のない人間が初めて正義感を見せた瞬間に、正義は機能しない。これはTRICKが意図的に設計した皮肉だと思う。「正義の側にいる者が怒っても、正義が実現されるとは限らない」という現実の提示だ。
"The arc of the moral universe is long, but it bends toward justice." (翻訳:道徳的宇宙の弧は長いが、それは正義の方向へと曲がっている。) ―― マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
キング牧師のこの言葉は希望だ。しかしTRICKのこのエピソードは、その「長い弧」の途中で物語を終わらせる。弧が正義に届く前に、美幸は去った。キング牧師の言葉が正しいとしても、「今この瞬間」には正義は来なかった。その「今この瞬間」の重さが、このエピソードの核心にある。
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podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(#ポケ沼 )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。
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