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【#ドラマ感想文】 TRICKシリーズ一挙批評 TRICK2「六つ墓村」――第2シーズンの滑り出しを飾った横溝正史パロディワールド その3 【#Podcastエピソード紹介】

Reel Friends in Tokyo」は、パーソナリティの“まこ”と“オーマ”がお送りする映画紹介Podcastです。このnoteでは、ポッドキャスト本編で取り上げた話題作や名作、はたまた迷作たちを、番組で語りきれなかった裏話や個人的な深掘り、そしてリスナーの皆さまへの補助情報として、二人ならではの視点で掘り下げていきます。

毎回、Podcastで交わしたトークやディスカッションの要点、まこ・オーマ両名による独自の考察、時に脱線しがちな本音トークから個人的に見た映画Reviewまで、記事としてまとめております。リスナーの方も、そうでない方も、ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください。

なお番組の最新エピソードご聴取はこちらよりどうぞ↓




第7章 シーズン2がシーズン1より「ダーク」になった理由

7.1 「喜劇的人物の色彩が濃くなった」という逆説的な成熟

シーズン2について語られる特徴として、「シーズン1よりダークサイド寄り」という評価がある。しかし同時に「キャラクターの喜劇的な色彩がより濃くなった」という評価もある。この二つは一見矛盾するように見える。

なぜ笑いが増えながら、同時に暗くなれるのか。

その答えは、笑いと重さの関係の質が変化したからだ。シーズン1では、笑いと重さが「交互に配置される」ことで緩急が生まれていた。笑いのシーンがあり、その後に重いシーンが来る。二つが分離されていた。

しかしシーズン2では、笑いと重さが同じシーンの中に共存し始める。「お食事券→汚職事件」の聞き間違いによる自白は笑えるが、その背後には殺人と隠蔽という重い現実がある。笑いながら、重さが届く。この「同時性」が、全体としてのトーンを「成熟させる」と同時に「ダーク」にしている。

シーズン2の上田と奈緒子について、「ボケとツッコミの役割分担がほぼ固定的だった前作に比べ、今作では立場がめまぐるしく入れ替わるようになった」という観察もある。役割の固定が解かれたということは、二人の関係がより複雑になったということだ。単純な「上田が騙される/奈緒子が見破る」という構図を超えて、どちらがどちらを笑わせるかが流動的になった。

この流動性が、コメディとしての深度を増しながら、同時に物語の不確実性を高める。

7.2 「ありもしない霊能力に振り回される人間の哀しみ」という主題の深化

シーズン2の特徴として、「ありもしない霊能力に振り回される人間の哀しみとやるせなさを描いた作品が多い」という評価がある。

これはシーズン1からの変化として重要だ。

シーズン1は「インチキを暴く」という行為の快楽に重点があった。謎があり、トリックがあり、解明がある。その構造の中で、騙された側の感情は「後味の悪さ」として残されたが、解明の快楽が前景に出ていた。

シーズン2では、この重心が移動する。インチキを暴いても、「なぜその人は信じたのか」という問いへの関心が強まる。霊能力を信じた人間の「哀しみ」を、解明の快楽と同等の重さで描こうとする。

「六つ墓村」においても、この傾向は見て取れる。亀岡議員を動かしたのは「汚職を隠したい」という欲望だったが、その欲望の下には「自分の地位を守りたい」という人間的な恐怖がある。落ち武者の祟りを利用した者も、利用された者も、信じた者も、信じていない者も、全員が「恐怖」と「欲望」の間で動いていた。

その人間的な動機への眼差しが、シーズン2を「よりダーク」にしながら同時に「より人間的」にしている。

7.3 黒門島の因縁がシーズン2でも続くという設計

シーズン2の最終エピソードでは、シーズン1で決別したはずの黒門島の因縁が再び降りかかってくる。

「六つ墓村」エピソードはその意味で、シーズン2の「幕開け」として正確に機能している。シーズン1の大団円から始まり、新しい舞台と新しい事件を提示しながら、しかし「本物の霊能力者は存在するのか」「奈緒子のアイデンティティの謎」という問いは継続される。

「六つ墓村」自体にはその問いへの直接的な回答はない。しかしエピソードを通じて提示された「信じること」と「騙されること」の構造が、その問いへの伏線として機能している。

良いシリーズの中間エピソードは、「完結した物語」でありながら同時に「大きな問いの一部」でもある。「六つ墓村」はその両立を達成した。水上荘の謎は解けた。しかしTRICKという物語の謎は続く。

"The best stories are those that leave us wanting more, not because they are incomplete, but because they are complete in the best possible way." (翻訳:最良の物語とは、不完全だからではなく、最良の形で完結しているから、続きを求めさせるものだ。) ―― ニール・ゲイマン

「六つ墓村」は完結した。その完結の仕方が「最良の形」だったから、シーズン2の続きを見たくなる。


第8章 横溝正史という「先達」が確立したものの偉大さ

8.1 本格ミステリが「日本の村」という舞台で機能することの発見

横溝正史が金田一耕助シリーズを通じて確立したのは、「本格ミステリは洋館だけでなく、日本の村でも機能する」という発見だった。

本格ミステリというジャンルは、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンを筆頭に、「隔絶された空間」「限られた登場人物」「論理的な謎解き」という構造を持つ。その構造が、20世紀初頭のイギリスの屋敷やアメリカの都市で磨かれた。

横溝正史はその構造を、日本の因習にまみれた村という舞台に移植した。怨念、血縁、土着の信仰、閉じた共同体。これらが「隔絶された空間」と「限られた登場人物」という本格ミステリの条件を、日本的な文脈で満たす。しかも「因習」が「動機」と直結するため、日本の村では動機の説明が文化的に自然になる。

「八つ墓村」(1971年)が提示したこの「日本型本格ミステリ」のフォーマットは、半世紀後のTRICKに至るまで有効に機能し続けた。フォーマットが半世紀生き延びるとは、そのフォーマットが人間の何か根本的なものに触れているということだ。

8.2 パロディが機能するための条件

「六つ墓村」は「八つ墓村」のパロディだが、ただ真似ているのではない。

パロディが機能するためには、二つの条件が必要だ。一つは「元ネタへの理解」。もう一つは「元ネタとの明確な差異の創出」だ。元ネタを知らない者にも楽しめ、知っている者にはより深く楽しめる。その二層構造が、良いパロディの条件だ。

「六つ墓村」は、「八つ墓村」を知らない視聴者には「因習の村のホラーミステリとコメディの融合」として機能する。「八つ墓村」を知っている視聴者には、「あのフォーマットをTRICKがどう料理するか」という別の楽しみが加わる。

しかもTRICKが加えた最大の「差異」は、「コメディの導入」だ。横溝正史の世界は基本的に陰鬱で重い。しかしTRICKの「六つ墓村」は、その陰鬱さを保ちながら、随所にコメディを仕込む。番頭・平蔵の丁寧すぎる喋り方、上田の的外れな推理、奈緒子のリアクション。これらが「八つ墓村」的な重さを中和しながら、同時にその重さを引き立てる。

バフチンが論じた「カーニヴァル的な笑い」がここに機能している。笑いが秩序を一時的に転倒させ、その転倒が「恐怖という秩序」をより鮮明に浮かび上がらせる。パロディのコメディが、元ネタの恐怖を増幅させるという逆説だ。

8.3 「受け継ぐ」ということの創造性

横溝正史から受け継いだフォーマットを使いながら、TRICKは独自のものを作った。

「受け継ぐ」ということは「模倣する」ことではない。先達が確立したものの本質を理解した上で、それを自分の文脈に引き寄せる行為だ。横溝正史が確立した「日本の村という閉じた空間、因習と怨念、血の呪い」という骨格は、TRICKの「六つ墓村」においても維持されている。しかしその骨格に、「霊能力のインチキを暴く」という現代的な問いと、「コメディと重さの共存」というTRICK固有の美学が重ねられた。

文化は常に「受け継ぐ」ことで生き続ける。横溝正史が1971年に確立したフォーマットが、2002年のTRICKを通じて新たな視聴者に届いた。TRICKがそのフォーマットを使ったことで、横溝正史への「逆参照」が生まれた。「六つ墓村」を見た若い視聴者が「八つ墓村」に辿り着く経路が生まれた。

文化の継承とはそういうことだ。直接の模倣ではなく、変容を通じた伝播。「六つ墓村」はその伝播の、一つの節点として機能した。

"The secret of change is to focus all of your energy, not on fighting the old, but on building the new." (翻訳:変化の秘訣は、古いものと戦うことにではなく、新しいものを築くことに全エネルギーを注ぐことだ。) ―― ソクラテス(映画「ウェイ・オブ・ザ・ピースフル・ウォリアー」より)

横溝正史という「古いもの」と戦わず、その上に「新しいもの」を築いた。「六つ墓村」はその態度の産物だ。


第9章 シーズン2の幕開けとして「六つ墓村」が達成したこと

9.1 「また見たい」から「続きが見たい」への転換

シーズン1のエンディングが生んだのは「また見たい」という感覚だった。完結した物語を、もう一度最初から見たい。黒門島の砂浜と鬼束ちひろの「月光」が、そういう感覚を生んだ。

「六つ墓村」が生み出したのは「続きが見たい」という感覚だ。これは質が異なる。「また見たい」は完結への回帰だ。「続きが見たい」は前進への欲求だ。シーズン2のオープニングエピソードとして必要なのは後者だ。

水上荘の謎は解けた。しかし六つ墓村の因縁は、「六つ墓村」だけでは完結しない。シーズン2全体を通じた問いへの回答は、まだ先にある。「六つ墓村」はその「先への欲求」を生み出すことに成功した。

しかも同時に、「六つ墓村」というエピソード単体でも完結した物語として機能している。水上荘の謎、落ち武者伝説の正体、汚職の証拠、亀岡の自白。これらが一つのエピソードとして着地している。「単体でも楽しめ、シリーズ全体の一部としても機能する」という二重性が、「六つ墓村」の設計の正しさを示している。

9.2 第2シーズン開幕に相応しい「規模の拡張」

「六つ墓村」は、設定の規模においてシーズン1の各エピソードより大きい。

シーズン1の「パントマイムで人を殺す女」は「一人の犯人と主人公たちの密室での対峙」という構造だった。「千里眼の男」は「一人の詐欺師のホットリーディング」という単純な事件だった。

「六つ墓村」は「400年前の歴史」「現代の汚職」「複数の被害者と複数の共犯者」「落ち武者伝説と手毬歌という二重の恐怖演出」が絡み合う、シーズン1の多くのエピソードより複雑な構造を持つ。

この「規模の拡張」が、「シーズン2はシーズン1より本格的だ」という印象を与える。深夜枠から金曜ナイトドラマ枠への移行も、制作規模の拡大を後押しした。より多くの予算で、より複雑な物語を、より広い時間帯に届ける。その変化が、「六つ墓村」という幕開けに具体的な形として反映されている。

9.3 私が「六つ墓村」に返り続ける理由

最後に、個人的なことを書く。

TRICKシリーズを見返すとき、「どこから始めるか」という問題がある。第1シリーズの「母之泉」から始めるのが正統だが、「気分によって途中から見たい」ときがある。そういうとき、私はしばしば「六つ墓村」から始める。

なぜか。

このエピソードが、「TRICKとはこういうものだ」という感覚を最もコンパクトに体現しているからだ。因習の村、落ち武者の祟り、着メロの恐怖、密室の死、汚職の隠蔽、掛け軸の裏の証拠、「お食事券→汚職事件」の聞き間違い。これだけの要素が2.5話という構成の中に詰め込まれ、笑いながら後味の複雑さを残して終わる。

TRICKの美学の全てが、「六つ墓村」にある。

横溝正史へのリスペクト、着メロ文化という時代性、落ち武者という日本的恐怖、単純な真実が複雑に見えるという認知の皮肉、そして「お食事券」という間抜けな解決の痛快さ。どれをとっても、「TRICKらしさ」の見本として機能する。

「あのTRICKが帰ってきた」という興奮は、「六つ墓村」がそのTRICKらしさを全開で発揮したことで、実感として届いた。帰ってきたことへの喜びが、このエピソードを見終わった後も続いた。続いたから、次が見たくなった。

それがシリーズというものの力だ。

"We don't remember days; we remember moments." (翻訳:私たちは日々を記憶するのではない。瞬間を記憶するのだ。) ―― チェザーレ・パヴェーゼ

「お食事券→汚職事件」の瞬間を、私は今でも笑いながら思い出せる。掛け軸の裏に証拠が隠されていたと分かった瞬間の「そんなところに」という気持ちも。落ち武者の掛け軸が血の涙を流しながら、その裏に汚職の受領証が挟まっているという「神聖と世俗の不釣り合いな共存」への可笑しさも。

それらの瞬間の記憶が、私をTRICKに返り続けさせる。


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podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

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