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【#ドラマ感想文】 TRICKシリーズ一挙批評 「黒門島」――第1シリーズの大団円 エピソード5 その1 【#Podcastエピソード紹介】

Reel Friends in Tokyo」は、パーソナリティの“まこ”と“オーマ”がお送りする映画紹介Podcastです。このnoteでは、ポッドキャスト本編で取り上げた話題作や名作、はたまた迷作たちを、番組で語りきれなかった裏話や個人的な深掘り、そしてリスナーの皆さまへの補助情報として、二人ならではの視点で掘り下げていきます。

毎回、Podcastで交わしたトークやディスカッションの要点、まこ・オーマ両名による独自の考察、時に脱線しがちな本音トークから個人的に見た映画Reviewまで、記事としてまとめております。リスナーの方も、そうでない方も、ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください。

なお番組の最新エピソードご聴取はこちらよりどうぞ↓





第1章 「まだ撮影が終わっていません」という前代未聞の予告

1.1 深夜ドラマが引き起こした、前例のない製作報告

TRICKシリーズ第1シーズンの最終エピソードへの予告は、異例だった。

前エピソード「千里眼の男」のラストで、主役の仲間由紀恵と阿部寛が画面に向かって「次回予告ですが、まだ撮影が終わっていません」という旨を伝えた。通常のドラマではあり得ない建付けだ。放送される段階で撮影が終わっていない。深夜ドラマという枠の予算的・スケジュール的なギリギリ感が、そのまま視聴者への「告白」として届いた。

この「建付けの悪さ」が、なぜかエンターテインメントとして機能した。

考えてみると、不思議な体験だ。「まだできていない」という事実は、本来であれば制作側の失態として映るはずだ。しかし深夜ドラマという文脈と、仲間由紀恵と阿部寛という二人のキャラクターによって、それは「一緒に作っている感覚」として視聴者に届いた。完成品を一方的に届けられるのではなく、まだ走っている物語を一緒に追いかけている。その臨場感が、最終エピソードへの期待をむしろ高めた。

リアルタイムで見ていた当時の私は、「次が楽しみ」ではなく「次、大丈夫なのか」という、全く異なる種類の前のめり感を持って翌週を待った。心配と期待が混ざったあの感覚は、ストリーミング全盛の現代では再現できない体験だ。

1.2 「突貫工事」という言葉が示す、深夜ドラマの美学

話数も少なく、予算も潤沢ではない深夜ドラマで、シリーズを通じた伏線を張り、それを最終話で回収する。これは「無謀」と言っても過言ではない試みだ。

霧島澄子の「本物の霊能力者はいる」という言葉。ミラクル三井の「本物に会ったことがある」という言葉。奈緒子の父・剛三が「霊能力は存在する」と言い残して死んでいるという事実。千里眼の男・桂木がインチキを暴かれても消えない「本物かもしれないもの」の残滓。これらを10話という短いシーズンの中で積み上げ、最終エピソードで回収しようとした。

しかも撮影スケジュールがギリギリの状態で。

この「突貫工事」という条件が、逆説的に作品の強度を生んだ側面がある。余裕がないから、無駄なものが削ぎ落とされる。計算し尽くされた伏線よりも、切迫感の中から生まれた「とりあえずここに繋げてしまえ」という直感的な構造が、時として作品に生々しい力を与える。

「黒門島」エピソードが持つ、独特の「まとまりきらない豊かさ」は、この突貫工事の産物だと私は思っている。

"Necessity is the mother of invention." (翻訳:必要は発明の母である。) ―― プラトン(に帰せられる言葉)

制約が創造を生む。深夜の予算とスケジュールという制約が、TRICKというドラマを「ゆとりのある大作」では絶対に出せない質の「切迫感」として結実させた。

1.3 第1シーズン全体が積み上げた問いの重さ

「黒門島」エピソードが背負うものを、改めて整理しておきたい。

シーズン1を通じて、TRICKは「信じること」と「騙すこと」という二つのテーマを、5つのエピソードで描き続けた。霧島澄子は本物だったが組織に利用された。ミラクル三井はインチキだったが本物を信じていたかもしれない。黒坂美幸は騙すことを完全犯罪の道具にした。桂木弘章は単純な詐欺で純粋な悪意を体現した。

そしてラストエピソードで問われるのは、「では山田奈緒子自身は何者なのか」という問いだ。

インチキを暴き続けてきた女が、自分の中にある「本物かもしれないもの」と向き合う。他者の霊能力を否定してきた女が、自分自身の出自として「巫女の血」を突きつけられる。「疑う才能」を武器にしてきた女が、自分自身については疑いきれない何かを抱える。

これはアイデンティティの危機として、シリーズの必然的な結末だ。他者を疑い続けた者が、最後に自分自身を疑わざるを得なくなる。その構造が「黒門島」というエピソードを、単なる「謎解きの最終話」ではなく「奈緒子という人間の物語の転換点」として機能させた。


第2章 沖縄という選択の、必然的な正しさ

2.1 仲間由紀恵のふるさとが、物語の核心になった理由

「黒門島」の舞台が沖縄に設定されたことには、複数の意味がある。

まず最も表層的な理由として、山田奈緒子を演じる仲間由紀恵のふるさとが沖縄だという事実がある。これは単なるキャスト設定との一致ではなく、「奈緒子が自分のルーツに直面する物語」と「仲間由紀恵がふるさとに帰る映像」が重なり合うことで、ドラマとしての現実感が増す。フィクションと現実の境界が、ロケーションによって曖昧になる。

しかしより深い理由は、沖縄という土地が持つ文化的・宗教的な固有性にある。

沖縄には「ユタ」という霊能力者の存在が、文化として根付いている。ユタとはいわゆる霊能力者だが、単なる個人の職能ではなく、共同体の精神的な支柱として機能してきた存在だ。病気、冠婚葬祭、凶事への対処。「人知を超えると考える問題」に向き合うとき、人々はユタに頼ってきた。

これはオカルト的な話ではない。文化人類学的に言えば、ユタという存在は集団の不安を管理するシステムとして機能してきた。近代化が進んでも、合理的に説明できない事態への対処として、ユタという文化的リソースが維持されてきた。

TRICKが「本物の霊能力者は存在するのか」という問いを最終エピソードで問い直す場所として、ユタの文化が根付く沖縄を選んだことは、単なる「南国ロケの映像的効果」ではない。「霊能力が文化として成立している土地」を選ぶことで、その問いに地に足のついた具体性を与えた。

2.2 「かみぬーり」という概念が持つ神話的深度

「黒門島」エピソードで登場する「かみぬーり(神乗り)」という概念は、沖縄の信仰形態に根ざしたものだ。

神が人に降り、その人を通じて神の意志が伝えられる。巫女はその媒介者として機能する。これはシャーマニズムの普遍的な構造であり、世界中の宗教・信仰に共通するパターンだ。宗教学者のミルチャ・エリアーデは、著書『シャーマニズム』(1951年)において、シャーマンを「精霊や神々の世界と人間世界の橋渡しをする者」として定義した。その定義に従えば、奈緒子の母・里見はシャーマンであり、その血を引く奈緒子もまたシャーマン的な資質を持つ存在として描かれる。

しかしTRICKがここで巧みなのは、「かみぬーりの力が本物かどうか」を最後まで確定させないことだ。

シリーズを通じて「インチキを暴く」物語として機能してきたTRICKが、ラストエピソードで「インチキかどうか判定できない何か」を主人公の内側に置いた。暴く対象が、今度は奈緒子自身になった。自分がインチキかどうかを、自分で判定できない。この自己言及的な構造が、「黒門島」エピソードを他の4つのエピソードと根本的に異なる質にしている。

2.3 本州とは異なる文化圏が生む「異質な神聖」

「宝女子村」エピソードでも「因習の村」という舞台設定が使われた。あのエピソードでは、閉じた共同体が維持する因習の暴力性が描かれた。

「黒門島」が描く「島の信仰」は、それとは性格が異なる。宝女子村の因習は「犯罪の隠蔽のために維持されていた」側面が強かった。しかし黒門島の信仰は、もっと根本的な「共同体の秩序原理」として機能している。巫女が島を守る。巫女が島を去れば島は死にかける。これは因習というより、共同体の存在原理だ。

本州から来た「外部の者」にとって、その原理は理解しにくい。しかし黒門島の住人にとっては、それが現実だ。奈緒子はその「外部の者」でありながら、「内部の血」を持っている。この中途半端な位置が、彼女のアイデンティティを揺さぶる。完全な外部者なら「インチキだ」と言い切れる。完全な内部者なら「信じるべきだ」と言える。どちらにも属せない奈緒子は、「信じるべきか疑うべきか」を自分で決められない場所に立たされる。

"The most dangerous of all falsehoods is a slightly distorted truth." (翻訳:すべての偽りの中で最も危険なのは、わずかに歪められた真実だ。) ―― ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク

奈緒子の出自に関する「真実」は、完全な嘘でもなく、完全な真実でもない。「わずかに歪められた」形で彼女の前に提示される。その歪みが、彼女の判断を狂わせる。


第3章 山田剛三の死という、解かれない謎

3.1 父の死が「事故」として処理されていた理由

奈緒子の父・山田剛三は、15年ほど前にマジックの練習中に亡くなっている。水中から脱出しようとして失敗した。警察は事故として処理した。

しかしエピソードが進む中で、この「事故」という判定に疑問が生まれる。脱出用の鍵が誰かに盗まれていたために死亡したのではないか、という可能性が浮かび上がる。そしてその鍵を盗んだのが、幼い頃の奈緒子自身だったという可能性が示唆される。

「自分が父を殺したかもしれない」という絶望が、奈緒子を黒門島へと向かわせる動機の核になる。

この設定の残酷さは、「動機のない幼児の行為が、結果として父を殺したかもしれない」という点にある。悪意ではない。しかし結果として、最も愛すべき相手の命を奪った可能性がある。これは倫理的に処理のきわめて難しい状況だ。責任があるか。意図がなかった幼い子どもに、結果責任は帰せられるか。

カントの義務論的倫理学によれば、道徳的責任には意図が必要だ。意図なき幼児の行為に、道徳的責任を問うことはできない。しかし奈緒子が感じる「自分が殺したかもしれない」という感覚は、カントの理論で解消できるものではない。感情は論理に従わない。「論理的には責任がない」と分かっていても、「感情的には責任がある」という状態に人間は陥ることができる。

その感情的な「責任感」が、奈緒子を動かす。

3.2 里見の復讐説という解釈と、その倫理的複雑さ

上田が最終的に推理した説によれば、父・剛三を殺したのは黒門島の黒津兄弟(次男・三男)であり、里見はその復讐のために奈緒子を黒門島に導いた、という構図がある。

里見が奈緒子のからくり箱に脱出用の鍵を仕込み、父の手紙も奈緒子が見つけやすいようにしていた。「奈緒子が父を殺したかもしれない」という絶望を与えることで、奈緒子を黒門島に向かわせた。

しかしこの説には、極めて不快な含意がある。母が、娘に「父殺しの罪悪感」を植えつけることで、娘を復讐の道具として使った、ということになるからだ。

里見が「インチキを暴くという剛三の意思を奈緒子に引き継がせる」ために、あえてその道を選んだという解釈もある。愛情と操作が分離できない。復讐と継承が重なり合っている。里見という人物は、そのどちらでもあり得る。TRICKはここでも「単純に解釈させない」設計を選んだ。

母の愛と操作の境界はどこにあるか。それは永遠に答えの出ない問いとして、エピソードに残される。

3.3 「シニカミ」という言語トリックの美しさ

「黒門島」エピソードのトリック解明において、最も印象的な仕掛けが「シニカミ」の正体だ。

「シニカミ」とは黒門島に伝わる恐るべき存在、「死神」として恐れられていた。しかし実際には「ゼニカメ(銭亀)」であり、宝を意味する言葉だった。黒門島の言葉では母音の「o」が「u」に、「e」が「i」に変化するという特徴がある。この規則を知ることで、「死神」が「銭亀(宝)」に変換される。

このトリックが面白いのは、「言語そのものが暗号になっている」という点だ。

文化が異なれば言語のルールが異なる。そのルールを知らない外部者には、「宝への地図」が「死への警告」として見える。つまりこのトリックは、「文化的な文脈を持たない者が誤読する」という構造を利用している。黒門島の住人にとっては日常の言語が、外部者の目には恐ろしい呪いとして機能する。

言語哲学者のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは「言語の意味は使用だ」と論じた。同じ音の連なりでも、それが使用される文化的文脈によって意味が変わる。「シニカミ」は、その命題の最もコンパクトな体現だ。「言葉は文脈によって、死にもなり宝にもなる」。TRICKはその事実を、深夜ドラマのトリック解明の場面に仕込んだ。


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podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

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