見出し画像

【#ドラマ感想文】 TRICKシリーズ一挙批評 「宝女子村」――古典的仕掛けを昇華した見事なエピソード2 その3 【#Podcastエピソード紹介】

Reel Friends in Tokyo」は、パーソナリティの“まこ”と“オーマ”がお送りする映画紹介Podcastです。このnoteでは、ポッドキャスト本編で取り上げた話題作や名作、はたまた迷作たちを、番組で語りきれなかった裏話や個人的な深掘り、そしてリスナーの皆さまへの補助情報として、二人ならではの視点で掘り下げていきます。

毎回、Podcastで交わしたトークやディスカッションの要点、まこ・オーマ両名による独自の考察、時に脱線しがちな本音トークから個人的に見た映画Reviewまで、記事としてまとめております。リスナーの方も、そうでない方も、ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください。

なお番組の最新エピソードご聴取はこちらよりどうぞ↓





第7章 「消す」という行為が持つ哲学的な重さ

7.1 ミラクル三井が最後に「消えた」ことの意味

火の見櫓の上から、ミラクル三井は飛び降りた。

「私がインチキだと、馬鹿な!」という言葉を残して。それは「自分を消す」という最後のイリュージョンだった。正確に言えば、彼は櫓の後ろに落ちただけだ。超能力で消えたわけではない。マジシャンとしての技術で消えたわけでもない。ただ落ちた。

しかしそこに、このエピソードの最大の皮肉が宿っている。

「消すこと」で一世を風靡した男が、最後に「消えること」を選んだ。他者を消し続けてきた人間が、最終的に自分自身を消した。これは単なる死ではなく、彼のアイデンティティの完結として読める。彼の存在そのものが「消すこと」と一体化していたとすれば、「自分を消す」という行為は、彼にとって最も純粋な自己表現だったかもしれない。

解釈は観客に委ねられている。TRICKはここでも答えを語らない。語らないことで、ミラクル三井という人物は死後も「終わらない」。観客の中で問い続ける存在として残る。霧島澄子が「流しましょう、私たちの人生」という言葉と共に残ったように、三井は「私は本物の霊能力者に会ったことがある」という言葉と共に残る。

TRICKの登場人物は、死んでも完全には消えない。それが皮肉か、必然か。消失を専門とする男が、最後まで消えきれないでいる。

7.2 「本物の霊能力者」というシリーズを貫く問い

三井の最期の言葉は、シリーズ全体に対する伏線でもある。

「母之泉」で霧島澄子は「この世には本物の霊能力者がいる。お前は殺される」と言い残した。「宝女子村」でミラクル三井は「私は本物の霊能力者に会ったことがある」と言い残した。二人の「死の際の証言」が、「本物の霊能力者」の存在を示唆している。

TRICKというドラマは、表向き「インチキを暴くドラマ」として始まった。しかし実際には、「インチキを暴くたびに、本物の存在を示唆する」という構造を持っている。これは非常に巧みな設計だ。

インチキを暴けば暴くほど、「では本物とは何か」という問いが深まる。山田と上田がトリックを解明するたびに、解明されないものの輪郭が浮かび上がる。「全てはインチキだ」という上田の立場が揺らぎ続けることで、ドラマの根底的な問いが維持される。

哲学的に言えば、これは「否定神学」の構造に似ている。「神とは何か」を直接語るのではなく、「神ではないもの」を取り除いていくことで、語りえない何かの輪郭を浮かび上がらせる手法だ。TRICKは「インチキとは何か」を暴露し続けることで、「本物とは何か」という問いの輪郭を、解答なしに保持し続ける。

"What we cannot speak about we must pass over in silence." (翻訳:語りえないものについては、沈黙しなければならない。) ―― ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

三井の最後の言葉は、その「沈黙すべき領域」への最も誠実な接近だったかもしれない。「本物がいる」とだけ言って、消えた。証明せず、反証もせず、ただ証言して死んだ。

7.3 「消失」というテーマが示す現代社会の病理

もう少し広角に引いて考えてみたい。

「宝女子村」が「消えること」というテーマを中心に据えたのは、2000年という時代とも無関係ではないと思う。バブル崩壊後の長い停滞の中で、日本社会は「消えていくもの」に溢れていた。企業が消え、雇用が消え、将来の見通しが消えた。確かにあったはずのものが、気づいたら消えている。その感覚は、世紀の変わり目の日本に広く共有されていた。

ミラクル三井というキャラクターは、その「消えていくもの」の象徴としても読める。テレビというメディアが一つの黄金時代を終えつつあった2000年に、テレビに「使い捨てにされた男」の物語が深夜に放送された。持ち上げられて消えた男が、最後に自分自身を消す。

そして現代の私たちは、彼の後継者たちをSNSで毎日目撃している。バズって持ち上げられ、炎上して消える。消えたと思ったら別のアカウントで再起して、また消える。「消失」と「復活」と「再消失」のサイクルが、かつてより遥かに速いスピードで繰り返される。ミラクル三井が経験したことは、現代では数ヶ月単位で起きる。

TRICKが今も色褪せないのは、こういう理由もある。2000年の物語が描いた「消費と消去のサイクル」は、四半世紀後の現在において、より苛烈な形で継続しているからだ。


第8章 このシリーズを愛し続ける理由

8.1 「エピソード2は傑作」という確信

TRICKシリーズを一挙に振り返るこの連載で、私が最初に確信を持って「傑作」と言いたいエピソードが「宝女子村」だ。

「母之泉」は「見事なオープニングエピソード」だと書いた。しかし「傑作」という言葉は少し保留していた。なぜなら「母之泉」は「始まり」としての評価が混入するからだ。最初である、という文脈が評価を押し上げる部分がある。

「宝女子村」にはその補正がない。純粋に、エピソードとしての完成度で評価できる。そして完成度は高い。

消失という古典的仕掛けを、重ね掛けによって新鮮にした。ミラクル三井という多層的な被害者を生み出した。因習の村という舞台で「信じることの罪」というテーマを展開した。コメディと恐怖を混在させる成熟した手法を示した。奈緒子と矢部というサブコンビを発見した。そして曖昧なまま終わる三井の死と最後の言葉で、観客の中に問いを残した。

これだけのことを、一つのエピソードでやってのけた。しかも深夜の限られた予算の中で。

才能と制約が出会うとき、時々奇跡が起きる。「宝女子村」はその奇跡の一つだ。

8.2 シリーズを通じて蓄積されるものの話

TRICKというシリーズを一挙に見返していると、面白い現象が起きる。

各エピソードが単体で面白いのはもちろんだが、エピソードが蓄積されることで「まこ(私)が山田と上田とともに歩んでいる」という感覚が生まれてくる。これは没入の深化だ。

エピソード1で二人の出会いを見た。エピソード2で二人が初めて「本物の霊能力者」の存在を示唆されながら事件を解決した。エピソードが積み重なるごとに、山田の「本当の霊能力者はいるのか」という問いが深まり、上田の「全ては科学で説明できる」という立場が試され続ける。

この「蓄積による深化」は、一本の映画では得られないドラマ固有の体験だ。映画は一夜の体験として完結する。しかしドラマは、回を重ねることで「関係の歴史」が生まれる。観客は登場人物と「時間を共有した」という感覚を持つ。

社会学的に言えば、これは「準社会的相互作用(parasocial interaction)」の一形態だ。心理学者のホートンとウォールが1956年に提唱したこの概念は、メディアの登場人物に対して観客が「本物の関係」に似た感情的な絆を形成するプロセスを指す。TRICKの登場人物たちへの愛着は、まさにその形成過程の産物だ。

"We are not the same persons this year as last; nor are those we love. It is a happy chance if we, changing, continue to love a changed person." (翻訳:私たちは去年と同じ人間ではないし、私たちが愛する人もそうではない。変化しながらも、変化した人を愛し続けられるなら、それは幸運なことだ。) ―― W・サマセット・モーム

山田と上田は、エピソードを重ねるごとに少しずつ変化する。その変化を見届けることが、このシリーズを「一挙に見返す」という体験の核心にある。

8.3 「宝女子村」から始まるシリーズの長い旅へ

「母之泉」で始まり、「宝女子村」で確立されたTRICKのフォーマットは、その後どこへ向かったか。

シリーズを通じて「本物の霊能力者」という問いは維持され続け、山田自身の出自と能力に関わる謎として深化していく。上田の「全ては科学で説明できる」という立場は、繰り返し試され、揺らぎ、しかし完全には崩れない。矢部は適当なままで、しかし要所で機能する。このフォーマットの安定性と、その中での変化の積み重ねが、シリーズを長期的に成立させた。

「宝女子村」はその長い旅の、最初の「証明」として位置づけられる。ここで証明されなければ、旅は続かなかった。

だから私はこのエピソードを、単なる「面白い回」として愛しているのではない。TRICKというシリーズが「長く続く価値のある旅だ」と証明した回として愛している。あの深夜の画面の前で膝を抱えていた小学生が、今も同じ旅を続けているのは、「宝女子村」がその旅の意味を証明したからだ。

ミラクル三井は消えた。しかし彼が残した問いは消えていない。「本物の霊能力者に会ったことがある」という言葉と共に、私はこのシリーズの次のエピソードへと進む。消えないものが、どこかにある。その予感と共に。


#TRICK #トリック #ドラマ感想文 #ドラマレビュー #ドラマ批評 #ドラマ好きと繋がりたい #日本ドラマ #テレビ朝日 #仲間由紀恵 #阿部寛 #生瀬勝久 #篠井英介 #ミラクル三井 #山田奈緒子 #上田次郎 #矢部謙三 #宝女子村 #まるごと消えた村 #深夜ドラマ #2000年ドラマ #懐かしドラマ #名作ドラマ #ドラマ名作 #霊能力 #インチキ霊能力者 #マジシャン #物理学者 #宗教 #因習 #村社会 #詐欺 #騙し #トリック解説 #ミステリードラマ #コメディドラマ #サスペンスドラマ #緊張と緩和 #笑いと涙 #Podcast #ポッドキャスト #ポッドキャスト紹介 #note #noteで書くこと #noteクリエイター #まこ #オレモノ #映画感想文チャンネル #ドラマ考察 #社会学 #心理学 #集団心理 #同調圧力 #村文化 #因習の恐怖 #認知心理学 #騙される理由 #マジック #エンタメ分析 #カルチュラルスタディーズ #文化批評 #日本文化 #テレビドラマ史 #2000年代文化 #サブスク #ストリーミング #見逃した人へ #おすすめドラマ #ドラマ紹介 #ドラマあらすじ #ドラマ解説 #エピソード紹介 #第二話 #シリーズ批評 #一挙批評 #深夜テレビ #平成ドラマ #仲間由紀恵ファン #阿部寛ファン #生瀬勝久ファン #篠井英介 #怪演 #名演技 #個性派俳優 #種明かし #謎解き #ほろ苦いエンディング #哲学するドラマ #倫理 #正義とは何か #信じることの罪 #集団の暴力 #知的好奇心 #教養エンタメ #笑えるドラマ #泣けるドラマ

podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

エピソードの公開は毎週or隔週となります。


ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ #リルパル #ReelPal でツイートをお願いします。

いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。

テーマトーク投稿フォームはこちら↓

直接のメッセージを送る場合はこちらまで↓

⁠⁠yomoyamakobanashi@gmail.com⁠⁠

※Amazonのアソシエイトとして、適格販売により収入を得ています。

これからも番組をよろしくお願いします。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集