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【#ドラマ感想文】 TRICKシリーズ一挙批評 「母之泉」――シリーズの方向性を決定づけた見事な第1話 その2 【#Podcastエピソード紹介】

Reel Friends in Tokyo」は、パーソナリティの“まこ”と“オーマ”がお送りする映画紹介Podcastです。このnoteでは、ポッドキャスト本編で取り上げた話題作や名作、はたまた迷作たちを、番組で語りきれなかった裏話や個人的な深掘り、そしてリスナーの皆さまへの補助情報として、二人ならではの視点で掘り下げていきます。

毎回、Podcastで交わしたトークやディスカッションの要点、まこ・オーマ両名による独自の考察、時に脱線しがちな本音トークから個人的に見た映画Reviewまで、記事としてまとめております。リスナーの方も、そうでない方も、ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください。

なお番組の最新エピソードご聴取はこちらよりどうぞ↓


第4章 霧島澄子という「最大の誤読」を正す

4.1 一つだけ、致命的な誤りがある

ここで、私はこのエピソードについての重大な事実を指摘しなければならない。

「母之泉」エピソードの最大の仕掛けは

霧島澄子は、本物の霊能力者だというところだ。

彼女は以降のエピソードで登場するインチキ霊能力者とは異なり、知る術がない奈緒子の過去を読み取るなど、紛れもない本物の霊能力者である。そして最終話(第3話)で明かされる彼女の告白がある。かつては何もかも失って自殺にまで失敗し、目を覚ました時に不思議な力が備わっていたことに気づいた。ただ人の気持ちを感じ取り、助けたかっただけだった。ところがそこに幹部の津村俊介が現れ、彼女の力を利用して「母之泉」という宗教団体を作り上げた。霧島澄子は、組織の「顔」として利用された側だったのだ。

つまりこのエピソードの構造は、「インチキを暴く話」ではない。「本物が、嘘の組織の中に閉じ込められていた話」なのだ。この逆転が、「母之泉」を単なる勧善懲悪から引き剥がし、後味の悪い切実な物語に仕立てている。

4.2 「本物が詐欺に利用された」という構図の倫理的複雑さ

改めて整理すると、エピソードの構造はこうなる。

霧島澄子は本物の霊能力者として人助けを始めた。それを商業的に組織化したのが津村俊介だ。津村は「母之泉」を信者から水を高額で売りつける悪徳団体に育て上げた。脱走しようとした信者は消され、組織は巨大な詐欺機構になっていた。しかし霧島澄子本人は、その歪んだ組織の「看板」として機能しながらも、もはや自分の意思では止められない場所まで来ていた。

山田と上田が「インチキの証拠」として暴いたトリックの一部——たとえば空中浮遊にはクレーンのような装置が使われており、読心術の一部にはアルコールで封筒を透かすマジシャン的技法が用いられていた。これらは確かに「仕掛け」だ。しかし霧島澄子が本物の霊能力で「奈緒子が知るはずのない過去を読み取る」場面は、作中で明確に「トリックで説明のつかない現象」として描かれている。

最終的に、津村から矢で射られた霧島澄子は、信者たちの前で言葉を残して息絶える。「本当にいるのですよ、本物の霊能力者が。お前は殺される」。これはシリーズ全体の伏線でもあるが、それ以上に、「私自身が本物だった」という死の間際の告白でもある。

ここで「母之泉」エピソードが提示する問いは、「本当に人を救ったのは誰だったのか」よりもさらに鋭い。「"本物"の力が"偽物"の組織に包まれたとき、それは何になるのか」という問いだ。

4.3 2000年という年に、この問いを放ったことの意味

2000年という放送年を思い出してほしい。

1995年に地下鉄サリン事件があった。オウム真理教による事件は、日本社会に「宗教とは何か」「信仰とは何か」という問いを、トラウマ的な形で叩き込んだ。その5年後に放送されたTRICKは、宗教団体と霊能力者を正面から扱った。

表向きはコメディだ。「おっかあさまー」「流しなさい」という信者たちのコールは笑えるし、矢部刑事の適当さも笑える。しかし笑いの底に、非常に生々しいテーマが潜んでいた。善意から始まった信仰が、組織の論理に飲み込まれる。信じる者が、信じること自体を利用される。そのテーマは、1995年以降の日本社会が処理しきれないまま抱えていた問いと、完全に重なる。

社会学者のアンソニー・ギデンズは、著書『近代とはいかなる時代か』(1990年)において、近代における「信頼(トラスト)」の問題を論じた。近代社会では、人々は顔の見えないシステムや専門家への信頼で生きている。その信頼が裏切られたとき、人は「何を信じればいいのか」という根本的な不安に直面する。オウム事件はまさにその不安を日本全体に可視化した事件だった。

TRICKはその不安を笑いに変換しながら、しかし笑いの後に問いを残す。霧島澄子という「本物が詐欺組織に閉じ込められた人物」の存在は、「信じること」と「利用されること」の境界がいかに曖昧かを、静かに示している。

"The most courageous act is still to think for yourself. Aloud." (翻訳:最も勇気ある行為は、今でも自分で考えることだ。声に出して。) ―― ココ・シャネル


第5章 上田次郎というキャラクターの、精緻な機能設計

5.1 「騙されやすい天才」という矛盾の、意図的な設計

上田次郎というキャラクターは、表面だけ見ると「コメディ要員」だ。自称天才物理学者で、著作本のタイトルが「IQ200」。しかし怪奇現象を見るとすぐ気絶し、簡単なトリックにはコロっと騙されてしまう。阿部寛の大きな体がちっちゃく縮こまる様子が毎回笑いを生む。

しかしこのキャラクターは、笑わせるためだけに設計されているわけではない。

上田が「騙されやすい」という設定には、物語的な必然性がある。インチキ霊能力者と対決するドラマにおいて、「霊能力は存在しない」と主張する物理学者が、一度も騙されないとしたら、物語の緊張感が生まれない。上田が騙されることで、「相手のトリックはここまで精巧だ」という情報が観客に届く。騙される場面が、実質的にトリックの「難易度説明」として機能している。

さらに、上田が騙されることで、山田の「種明かし」が引き立つ。上田が「分からない」から、山田が「分かる」場面の意味が生きてくる。この対比は、山田の能力を観客に印象づけるための、最も効率的な演出法だ。

認知心理学で言う「コントラスト効果」がここに働いている。同じ刺激でも、前後の文脈によって印象が変わる。「賢い上田が分からない謎」を先に見せることで、「山田が分かる」という事実が強調される。上田の失敗が、山田の成功の輝きを増幅させる装置になっている。

5.2 狂言回しにしてトリックスター――キャラクター論として

上田は下書きが指摘する通り「狂言回し」であり「トリックスター」だ。ただしこの二つの役割は、一見矛盾するように見える。

狂言回しとは、物語の流れを観客に説明し、進行を補助するキャラクターだ。一方、トリックスターとは、秩序を乱し、予想外の展開を引き起こす存在だ。上田はこの両方を同時に担っている。

物理学者という立場で「超常現象は存在しない」という秩序の側に立ちながら、その秩序の守護者であるはずの自分がトリックに騙され続ける。これは「秩序の代弁者が秩序を乱す存在になる」という逆説だ。この逆説が、上田というキャラクターの笑いと、同時に深みを生む。

「空手黒帯」という特技も絶妙だ。通信教育で取得という非正統的な経緯が、それ自体をギャグにしながら、同時に「いざとなれば物理的に解決できる」という伏線として機能する。ブルデューの「身体資本(physical capital)」という概念で言えば、上田の空手は、象徴的に価値を剥奪されながらも、実際的な機能を持つ身体技法として存在している。これが笑いと実用性を同時に持つギャグの構造だ。

5.3 「自分のお手柄にする」という人間臭さが、上田を愛させる

上田の最も愛すべき欠点は、「山田の推理を自分のお手柄にしようとする」癖だ。「そんなことは最初から分かっていた」「フフン」という態度で、実際には山田が見破ったトリックを自分の成果として主張しようとする。

これは倫理的にはかなり問題のある振る舞いだ。しかし、だからこそ上田は「理想化されたヒーロー」ではなく、「現実にいそうな、ちょっとずるい人間」として観客に受け入れられる。

心理学者のアルフレッド・アドラーは、人間の行動の根底に「優越性への欲求」があると論じた。自分が賢く、有能で、認められたいという欲求は、誰もが持つ根本的な動機だ。上田の「お手柄横取り」は、その欲求が抑制なく表れた姿であり、観客は笑いながら「分かる、分かるぞその気持ち」と思う。

この「分かる」感覚こそが、上田というキャラクターへの愛着の本質だ。完璧でなく、小さくずるく、しかし肝心な場面では体を張る。人間の矛盾をそのまま体現したキャラクターが、長く愛されるのは必然だ。

"The privilege of a lifetime is to become who you truly are." (翻訳:一生の特権とは、本当の自分になることだ。) ―― カール・グスタフ・ユング


第6章 「母之泉」エンディングが残すもの

6.1 霧島澄子の死が「後味が悪い」のは、正しく設計されているからだ

「母之泉」エピソードのエンディングは切ない。しかし「切ない」という言葉では、少し足りない。正確には「切なくて、重くて、簡単に消化できない」だ。

霧島澄子は最終的に、信者たちの前で自分の過去を告白し、津村に矢で射られて死ぬ。「流しましょう。私たちの人生」という言葉を残して。このセリフが全ての核心だ。「流しましょう」という言葉は、複数の意味を同時に持つ。津村の詐欺に加担してきた自分の人生を「もう諦めましょう」という意味でもあり、「私たちはずっと何かに流されながら生きてきた、だからせめて最後は」という意味でもある。

彼女が死んだ後、信者たちは救いを失う。信仰の対象が消えた後に残るのは、「では私たちが信じていたものは何だったのか」という問いだ。本物の霊能力者だったとしても、その力が悪用された組織を信じていたという事実は消えない。しかし、その信仰によって「救われた感覚」を持っていた人々の体験も、消えない。

山田と上田がしたことは「正しかった」のか。組織の欺瞞を暴き、人々を「解放した」。しかし解放された後に残ったのは喪失だ。このエンディングが不快なのは、「正しいことをした結果として悲劇が残った」という、倫理的に解消しがたい状況が提示されているからだ。

6.2 「インチキを暴く」ことの暴力性

山田と上田の行為を、もう一段掘り下げて考えたい。

霊能力者のトリックを暴くことは、一般的に「良いこと」として描かれる。詐欺から人を守る、正しい認識に目覚めさせる、科学的な思考を広める。これらはすべて「善」の文脈で語られる行為だ。

しかし「母之泉」エピソードはその「善」に、静かに疑問を投げかける。

信者の大森美和子は、子どもを病気で亡くした悲しみの中で霧島澄子に出会い、「母之泉」に入信した。彼女にとって「母之泉」は、耐えがたい喪失を生き延びるための拠り所だった。その拠り所が「インチキだ」と暴かれた後、彼女は何を持って生きるのか。真実を知ることは、常に人を幸せにするのか。

これはソクラテスが提示した問いとも接続する。「知らないことの幸福」と「知ることの苦しみ」、どちらが人間にとって本質的な善か。プラトンの『国家』における「洞窟の比喩」では、洞窟の壁に映った影だけを現実として生きてきた人間が、外に連れ出されて太陽の光を見せられたとき、その光は目を焼き、痛みをもたらす。真実は、常に歓迎されるとは限らない。

「母之泉」エピソードは、それをコメディドラマの文脈の中で、笑いながら刃を突きつける形で提示した。これが「見事なオープニングエピソード」と言える本当の理由だ。

"The truth will set you free, but first it will make you miserable." (翻訳:真実はあなたを自由にする。しかしまず、あなたを惨めにする。) ―― ジェームズ・ガーフィールド(に帰せられる言葉)

6.3 「何も考えずに見れそう」の罠にかかった視聴者への、最後の一撃

TRICKというドラマの最大の才能は、「何も考えずに楽しめる」という顔をしながら、「最後に一発、考えさせる」という構造にある。

その構造は第1話から既に確立されていた。「おっかあさまー」で笑い、スカラベならぬ矢部の的外れな推理で笑い、山田と上田のギャグ的な掛け合いで笑う。そうして観客が完全に油断したところに、霧島澄子の告白と死が落ちてくる。笑っていた口が、最後の最後で、閉じる。

これは笑いの機能として、非常に高度な設計だ。笑いは防衛反応を緩める。緊張を解き、心を開かせる。その開いた隙間に、重い問いを差し込む。笑いと問いを「対立するもの」として使うのではなく、「笑いが問いを深く届かせるための媒体」として使っている。

社会学者のミハイル・バフチンは、著書『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(1965年)において「カーニヴァル的笑い」という概念を提唱した。祭りの笑いは単なる娯楽ではなく、日常の秩序を一時的に転倒させ、隠れた真実を暴露する力を持つ、と彼は論じた。TRICKの笑いはその系譜にある。ふざけているように見えて、笑いによって社会の「信仰と詐欺の境界」という隠れた問題を可視化する。


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podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

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