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リバティアイランド一回忌 追憶

 2025年4月27日。
 あれからもう一年になる。今でもぼんやりと、実感が沸かない。

 数多の競走馬たちのように、生まれ故郷に帰っているような気がする。一ファンには、大抵引退後を見ることが出来ないのもあるだろうか。
 特に繫殖牝馬は基本どこの牧場でも見学出来ない。種牡馬はシーズンが終われば見学出来るところもあるけれど、発情期や妊娠期間、出産後も仔馬の世話をする牝馬では事情が違うのだろう。

 日本最大の生産牧場、ノーザンファームも見学禁止だ。
 彼女の生まれ故郷。

 そこから少々離れた位置、ノーザンホースパークに彼女のお墓はある。
 花に包まれた、ガーデンの中に。


二歳 【衝撃のデビュー】

 私がリバティアイランドという名前を認識したのは新馬戦のニュースだった。新潟芝1600m。上がり3F31.4はあのディープインパクトに並ぶ日本記録だという。この時点でもう随分と話題になっていたのを覚えている。

 もっとも、私が彼女をはっきり認識したのは阪神JFからだ。その新馬戦も、教育に使われたアルテミスSもその瞬間に見ていたわけじゃない。
 子供が親に物事を聞いて「ああそうなんだ」って思うように、私は世間の評判を聞いた。そんな空気感でレースを見ていたけれど、圧巻だった。何度か二歳GIをリアルタイムで見ていたけれど、物が違うなと思ったのを憶えている。

三歳 【目の前で見届けた三冠】

春 桜花賞~オークス

 彼女の性格的な魅力が取りざたされて来たのはこの頃からだったように思える。蹴り癖を示すお尻のリボンと、何よりタテガミの髪飾り。桜花賞はピンク色だった。あれは中内田厩舎リバティアイランド担当だった松崎さんの奥様が手作りしていたものだそうで。レースごとに、一つずつ。

 桜花賞は本当に衝撃的だった。殆どの人が勝ちを疑わない中で全く進んでいかなかった。最後方だ。川田騎手は後になって、休み明けで馬の方が全く進む気がなかったと語っている。

 直線を向いても、まだ16頭立て前から数えて14頭目という所。
 そこから伸びる。まだまだ伸びる。直線一気。
 先頭をひた走るキタサンブラック産駒、コナコーストを差し切る。

 直線だけで勝ったと言って差し支えない競馬だった。
 信じらない勝ち方。上り3Fは2位に0.7差をつける32.9。

 それなりの人が、川田騎手の桜花賞、それも追込という事でハープスターを思い出した。ハープスターはオークスで破れてしまったけれど、今度こそはと願いを託すように。まあ、当の彼女はパドックの花壇を食べていたりして、まるで緊張感がなかったけれど。

 そして、今ではレースの定番となったジョッキーカメラも、ここから始まったのだ。

 川田騎手が海外レース経験を参考にJRAへ打診し、その初回がこの桜花賞だった。競走馬や騎手、調教師の素顔が見れると話題となり人気を博した。
 取り分け、川田騎手がリバティアイランドに対して「お嬢さん」と呼んだのは一斉に広まり、そのまま彼女の愛称となった。

 オークスはそれなりに不安の声もあったような記憶もある。やはりハープスターの記憶なんだろうか。近い年にソダシが圧倒的一番人気を背負い馬券外へと高く飛んで行った事も少なからずあったのだろうか。

 そんな不安はさておいて、オークスは黒赤黄色のサンデーレーシングカラーに彩られた髪飾りをつけ、圧巻の六馬身差でハーパーに勝ち切る。一番危なげない勝利が何だったかと言われれば、私はオークスと答えるだろう。普通に前に出て、圧倒的なスペックで引き離す。

 そしてまた、ジョッキーカメラで語録が飛び出す。
 「これが東京だ、お嬢さん」

 三冠への期待が高まっていく中、どんどん彼女は愛されていった。川田将雅という騎手がナンバーワンジョッキーとしての立場を確立する時代に現れたのも、どこか運命的である。

秋 秋華賞

 まず何よりも、秋華賞。
 なぜなら牝馬三冠がかかっている。近年牝馬二冠を成し遂げる馬はリバティの前年にもスターズオンアースがいたし、直近ではチェルヴィニア、エンブロイダリー等があげられる。これだけの名馬が居て、成し遂げられなかった三冠の耀きは、やはり本物なのである。

 休み明けはどうも動きが鈍いとは陣営の談だが、オークス後は前哨戦を挟まず、秋華賞に直行。個人的には、彼女のレースの中で、最も特別。
 始めて現地で観戦したGIだったからだ。それも人と。

当時の入場券

 私は明確に「三冠馬」が誕生する瞬間を見届けたくて、京都に赴いていた。始めてのGIは、本当に凄まじかった。人でごった返すってこういう事だ、と慣用句をやっと肌で理解した。確か入場人数は三万人程だったはずだ。

京都競馬場 ゴール前再現エリア

 ここってこんな風になってたんだ、とかそんな風にはしゃいで、気がついたらレースの時間。スタンドで見たレースは、リバティアイランドもそうだけれど、外から迫るマスクトディーヴァが印象に残っている。GIをとる器だと、勝手に思っていた。怪我をして、引退してしまったけれど。今はお母さんになった頃だろうか。

 ゴールの瞬間と口取り式の時、川田騎手は指を三つ立てた。
 古くはシンボリルドルフの三冠レース。
 これはヒーロー列伝にも使われ、彼女を象徴する一枚となっている。

 この瞬間を見届ける事が出来て、本当に良かったと。歴史の証人に、私はなったんだと思った。

 奇しくも、その日は川田騎手の誕生日だった。当日のインタビューで、彼はこう語っている。

「ジョッキー生活20年目で神様がくれた最大のプレゼントだと思っています」──川田将雅

https://www.chunichi.co.jp/article/789131

 本当に、川田将雅という騎手を語る上で彼女は欠かせない存在なのだと、書き続ける度感じる。

ジャパンカップ

 当時のジャパンカップには、三冠馬となった彼女すら凌駕する絶対的なスターが出走を表明していた。世界ナンバーワンホース、イクイノックス。
 ロンジン社のレーティングで2023年当時世界ランキング一位。結局彼は世界一の座を譲らず、135という衝撃のレーティングで23年度ランキングの覇者となるのだが、そのレーティングを獲得したのは他ならぬジャパンカップ。日本レースとして始めて世界ナンバーワンレースとなった、歴史的な一戦に挑んだ一頭だった。

 彼女は歴戦の古馬達を抑え、二番人気。肉薄する存在として見られていたのは間違いない。しかも、両方とも一枠。一番リバティアイランド、二番イクイノックスと並び立つ形になった。今振り返っても、こんなに枠順が極端になったGIレースはそう思いつかない。

 しかし、四歳秋、まさに完成したイクイノックスには及ばず。先行した彼に迫ろうと足を延ばすも四馬身差の二着と完敗。
 暫くして、イクイノックスは有馬記念に出走せず引退する事を表明。
 現役最強の座は最後に彼に最も迫ったリバティアイランドという声もあっただろう。始めての牝馬限定、世代限定の区切りを超えた身としては十二分に、走った。そんな評価だ。

四歳 【もどかしさ】

ドバイターフ~天皇賞・秋

 四歳になった彼女はその後ドバイシーマクラシックを選択。一番人気を背負うも、26年現在も走り続けるセン馬のベテラン、レベルスロマンスに逃げ切りを許す。そして、二つ歳上のダービー馬シャフリヤールにも先着を許し、三着となってしまう。
 私としては、海外初戦だし休み明けだし、まあこんなものでしょうという風に受け取っていた。本質的に2400は長いと思っていたし。やや伸びないなとは思ったが。

 そうしていたら、存外ネットが荒れた。コントレイルも現役時代の批判は凄まじかったが、本当に「三冠馬」という肩書きの重さを少し感じた。
 その春にもう一戦して勝利を、というわけにもいかず、右前種子骨靱帯の炎症が発覚し、春と夏を休養にあてる事になった。ドゥラメンテ産駒は足元が弱いのではと囁かれるようになったのもこの頃だろうか。

 結局、次走は天皇賞秋となった。
 イクイノックスのライバル、ドウデュースを抑え堂々一番人気。しかしこのレース、外を走った馬が全員吹っ飛ぶという魔のレースだった。外を回っていた彼女も途中で明らかに手応えがなくなり、そのまま伸びずに13着。
 ドウデュースの圧倒的な末脚と同じぐらいに、リバティアイランドは無事なのかと心配する声があった。

香港カップ

 復活を期して目指したレースは、年末に開催される香港国際競争でも最も賞金の高い香港カップ。シャティン芝2000m。
 彼女以外に出走していたのは同い年のダービー馬タスティエーラ。そして何より、香港の英雄にして2026年現在世界賞金王。ロマンチックウォリアー。
 レース振りは三冠馬の意地を十分に見えたと言っていいレースだった。ゲートはまずまずだったが、中段につけ、しっかりと伸びきってタスティエーラを差し切るも、その更に先にはロマンチックウォリアー。一馬身差と少しの差は大きかったけれど、彼女らしい走りだった。

五歳 【ひたすらに、ひたすらに】

 五歳初戦はドバイターフ。しかし、ロマンチックウォリアーとソウルラッシュの壮絶な叩き合いを、後方から観戦するような形に終わる。
 次走はもう一度、香港のシャティン芝2000m。
 クイーンエリザベス二世カップ。日本馬は過去五頭が優勝を果たすなど、よく知られたレースと言ってもいいだろう。毎年グリーンチャンネルで中継もされている。

 彼女はいつも通り、ゲートで少し暴れて、すこし落ち着きのないようにスタートを出た。かかっていたのかなと今は思う。
 レース中盤までは後方で待機し、段々と位置を上げていった。まくりともちょっと違う。そうやって、直線を向いて。不思議なほど手応えがなかった。

 次第に離されて行って、中継にも映らないぐらい、失速した。

 ここでも一緒にいたタスティエーラが強い先行競馬で勝ち切って、しばらくして。入線後の映像にも映らない距離で、川田騎手は下馬した。

 左前脚種子骨靱帯断裂。
 それが彼女に下された診断だった。

 故障が発生しても、彼女はバランスを崩さず、しっかりと川田騎手をおろしたそうで。当時怪我をした写真がネットで流れてきた。本当に本当に痛ましい写真だった。

 ひたすらに、ひたすらに悲しかった。

2025/04/27の私

 私の話をしよう。
 その日、別に香港にいたわけではないんだけれど、ひとまずさせて欲しい。

 その日は競馬の分かる友人と分からない友人二人と久々に遊んでいた。前々から行きたかった店に行って、それなりに話して。ああ満足だって解散して、わかる方の友人と電車に乗っていた時だった。

 本当に、なんとなくとか、せっかくだからとか。そんな理由で、スマホで中継をつけた。音声は切って。

 クイーンエリザベス二世カップしか、中継は残っていなかった。
 神様が見逃すなと言っていたのかもしれない。

 そうやって、レースを見た。
 タスティエーラに湧いた。プログノーシスに湧いた。
「リバティは?」二人してそう言ったし、思った。

 ネットは情報が錯綜としていた。海外競馬で落馬が発生した時はいつもそうだった。あまり信じたくない情報が、時間が経つにつれ増えていく。情報というのは、基本的に時間が経てば経つほど精査され、正確性を増していく。

 これは、本当にマズいんじゃないかと、私達は焦った。
 焦ったって、情報を探すばかりで、何も出来やしなかったが。

 安楽死のニュースが、やがてやってきた。
 しっかりとした報道機関で。

 あれはどれぐらい時間が経った頃だっけ。
 あんまり憶えていない。
 憶えておくには悲しすぎた。

 友人の家に着いた。
 二人して、何も喋れなかった。
 二人揃えば無限に喋っているような私達が、ただひたすらに打ちひしがれていた。

 しばらくして、友人の亡くなった祖父に貰ったという焼酎を開けた。
 献杯にでもなればと思ったし、本当にそのままじゃ二人共潰れてしまうと感じたから。

 その日は全く酔えなかった。
 ぐるぐると、ぐちゃぐちゃと、頭が壊れていくだけだった。

 その日はそのまま友人の家に泊まった。
 いつにも増して、暗い夜だった。

2026/04/27の私

 今の私の話をしよう。
 この記事を書いている。

 この記事を書いたのは、自分の中で消化する為だ。
 ずっと前から構想はあったけれど、結局今になって書いている。

 向き合うのがどうも苦しかった。
 でも、彼女を忘れないようにと言葉を紡いだつもりだ。

 あの日以来、あのレースを見た。
 見なけらばならなかった。向き合わねばならなかった。

 今後の人生に、彼女はいない。多分きっと、これからの方が長い。
 それならまだ覚えてるうちに、言葉を残せるうちにと。そう思った。

 いつか、ノーザンホースパークにいかなくちゃならない。
 それが歴史の証人になろうとした、私の責務だと思うから。

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