一拍が生まれる神経条件
反応は起きているのに、
なぜか次の動きが雑になる日がある。
考えているつもりで、
同時に考えられること(選択肢)
が減っている。
一方で、 疲れていない日、
あるいは、少し「待てる」日は、
一拍おいてから動ける。
選択肢を並べる余裕があり、
進む・降りる・様子を見る、が
同時に視界に入ってくる。
この違いは、 意志の強さでも、性格でもない。
麻雀を打っていると、
一手しか見えない日がある。
「上がる」ことしか 頭にない状態。
降りる、という選択肢が
最初から視界に存在しない。
結果、振り込んで負ける。
これは、
判断力が落ちたからでも、
欲が強かったからでもない。
その場にあった選択肢の数自体が、
最初から少なかった。
見えていなかった、
というより
保持できていなかった。
降りる、という選択肢を
「考えなかった」のではなく、
同時に、載せておく余地がなかった。
同時に考えられることには、
実は上限がある。
頭の中には、
「今、置いておける台」のようなものがあって、
その広さは一定ではない。
余裕があるときは、
その台が広い。
手牌、場、点棒状況、
降りるという選択肢、
次に起きそうな流れ。
複数の要素を、
同時に載せておくことができる。
一拍おける、というのは、
この台に
複数を並べて眺められる状態のことだ。
逆に、疲労や緊張が強いとき、
この台は物理的に狭くなる。
すると、
一つ載せただけで、いっぱいになる。
「上がる」という方向性で、
台が埋まってしまう。
他の選択肢は、
落ちたのではなく、
最初から載らなかった。
ここで起きているのは、
判断の失敗ではない。
保持できる数の問題だ。
この「台」に近い働きをするのが、
ワーキングメモリと呼ばれているものだ。
ワーキングメモリは、
考えたり、選んだりするときに、
一時的に情報を載せておく場所。
ここに、
いくつの要素を、
同時に載せておけるか。
それが、
一拍おけるかどうかを
かなり直接的に左右している。
この台は、
状況によって広さが変わる。
疲労が強いとき。
緊張が続いているとき。
不安や恐怖で、身体が構えているとき。
台は、狭くなる。
思考力が落ちたというより、
同時に扱える数が減る。
すると、
方向性のある情報だけで、
台が埋まる。
上がりに向かう、という方向性。
それだけで、いっぱいになる。
降りる、という選択肢は、
落ちたのではない。
最初から、
載る場所がなかった。
一拍が消えるのは、
怠慢でも、衝動性でもない。
神経条件の話だ。
一拍は、
考えて生み出すものではない。
台に空きがあるとき、
自然に、そこに生まれる。
だから必要なのは、
もっと考えることではない。
正しい判断をしようと
力を入れることでもない。
一拍を取り戻す、というより、
一拍が生まれる条件に戻る。
神経に、
同時に置ける余地がある状態。
そのとき、
視野は勝手に広がり、
選択肢は並び、
動きは一段、遅くなる。
それでいい。
一拍ある、というのは、
何かができている証拠ではなく、
今、使える余白がある
という、ただそれだけの話だ。
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