見出し画像

悲しくないのに、なぜ音楽で涙が出るのか

聴いている途中で、気づいたら目が熱くなっていた。
悲しいわけでもない。なのに、確かに何かが来た。


音楽家が、自分の曲で泣いていた

1893年、ピョートル・チャイコフスキーはこう書いた。
「旅の途中、頭の中で交響曲を作りながら、
何度も泣いてしまいました」

書いているのに、泣いた。
聴く前から、泣いた。

その曲は「悲愴」と名付けられた。
初演の9日後、チャイコフスキーは世を去った。

感動は、音楽の中にあったのか。
それとも、チャイコフスキーの中にあったのか。

「静かに聴く」という作法は、200年前に生まれた

今では当然の「演奏中は席に座って静かにする」というコンサートの文化は、
19世紀のロマン派の時代に生まれたものだ。

それ以前、聴衆はコンサート中に立ち歩き、
談笑しながら演奏をながら聴きしていた。

音楽が「感じるもの」になってから、
聴き方そのものが変わった。

つまり——「感動のしかた」は、時代とともに変わりうる。
人は、感動の「様式」を学ぶのかもしれない。

音楽で鳥肌が立たない人が、4人に1人いる

音楽を聴いて「ぞわっとする感じ」を、フリッソンという。
フランス語で「震え」という意味だ。

この体験ができるのは、全人口の65〜75%とされている。
つまり4人に1人は、音楽で鳥肌が立たない。

脳の構造の違いだ。
感情をつかさどる部位と、音を処理する部位が
より密接につながっているかどうか——生まれつきの差がある。

「音楽で感動できない人は、感受性が低いのか」
それとも、感動の「形」が人によって違うだけなのか。

「裏切られた予測」がドーパミンを出す

感動の瞬間、脳の報酬系からドーパミンが放出される。
そのタイミングが面白い。

サビが来る「前の期待」の瞬間に、もうドーパミンは出始めている。

脳は「次にこう来るだろう」と予測する。
それが少しだけ意外な形で当たったとき——快感が生まれる。

何度か聴いた曲のほうが感動しやすいのは、
脳が音楽の「文法」を学習しているからだ。

感動は「音楽の中」にあるのではなく、
「脳が音楽を処理するその瞬間」に生まれるのかもしれない。

「感じているのは誰か」という問い

ドーパミンが出たことは説明できる。
予測誤差が解決されたことも説明できる。

でも——「涙が出そうになった」あの感覚は、
説明できても、説明で終わらない。

「ドーパミンが感動した」とは言わない。
「私が感動した」と言う。

その「私」は、どこにいるのか。

ある研究では、同じ音楽でも
「人間が作った」と伝えた場合と
「コンピューターが生成した」と伝えた場合で、
感動の強さが変わったという。

音楽は同じなのに。

感動は、音楽の中に固定されているのではなく、
聴いている「誰か」との関係の中に生まれるものなのかもしれない。


「感動は、脳の反応なのか」でしょうか。
「感じているのは、ドーパミンなのか」でしょうか。
「音楽が美しいのか、美しいと感じる私がいるのか」でしょうか。




#音楽 #感動 #なぜ泣くのか #脳科学 #チャイコフスキー #悲愴 #ドーパミン #フリッソン #報酬系 #感情 #神経科学 #美意識 #体験 #AIと感情 #人工知能 #哲学 #心理学 #感受性 #音楽と脳 #クラシック音楽 #考察 #読み物 #大人の学び #ハルとおじいさん #学びの地図 #ManabiMap

いいなと思ったら応援しよう!