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「平均的な人間」は、一人も存在しなかった

平均身長。平均体重。平均体温。

私たちは「平均」という言葉を日常的に使います。
そして自分が平均に近いか、外れているかを気にします。

でも「平均的な人間」とは、いったい誰のことでしょうか。


4000人を調べて、一人もいなかった

1950年代。アメリカ空軍の研究者ギルバート・ダニエルズが調査を行いました。

身長・胸囲・腕の長さなど、体の10の測定項目を計測する。
全ての項目で「平均」に当てはまるパイロットを探す。

4000人以上を調べた結果——

全項目で平均の範囲に収まる人は、一人もいなかった。

なぜか。
体の各部位は、独立して変化するからです。
背が高い人が必ずしも腕が長いわけではない。
胸囲が標準でも、足のサイズが標準とは限らない。

「平均的な人間」は、統計的な抽象であって、実在する人間ではなかった。


コックピットが「誰のためにも合っていなかった」時代

この発見は、空軍を動かしました。

「平均的なパイロット」に合わせて設計されたコックピット。
それは実際には、誰の体にもぴったり合っていなかった。

設計を変えました。
個々のパイロットが調整できる座席を作った。

するとパフォーマンスが向上した。

「標準に合わせる」ことが、長らく「誰にも合わせていない」ことだった。


「平均人」という概念が生まれた日

19世紀ベルギーの統計学者アドルフ・ケトレーは、「社会物理学」という学問を提唱しました。

人間の身体測定データを集計し、「平均人(l'homme moyen)」という概念を作りました。

これが医学・教育・建築設計の基準になっていった。

でも彼が生み出したのは、あくまで統計上の概念でした。
「平均人」は、いつも、どこにもいない誰かだった。


同じDNAでも、同じ人間にはなれない

一卵性双生児は、同じDNAを持ちます。

でも指紋は異なります。
顔は似ているが、同一ではありません。
腸内に棲む細菌のバランスも、違います。

子宮の中での位置、誰に育てられたか、どんな出来事を経験したか。

同じ遺伝子を持っていても、身体と精神は違う方向に育つ。

「この身体」は、DNA以上の何かでできています。


思考は脳の中だけで起きていない

心理学の研究が示す、少し驚くべき事実があります。

背筋を伸ばすと、自信を持ちやすくなる。
温かい飲み物を手に持つと、他者に親しみを感じやすくなる。
疲れているとき、空腹のとき、判断が変わる。

身体の姿勢や状態が、思考の内容を変える。

これを「具現化認知(embodied cognition)」と呼びます。

思考は、脳という臓器の中だけで完結していない。
体全体で、考えている。


「平均に当てはまらなかった」ことは、欠陥でしょうか、それとも固有性でしょうか。

「この身体で考える」ことと「この身体を持たない存在が考える」ことは、同じでしょうか。

「標準に合わせる設計」と「個別に対応する設計」、どちらが誰かのためになるでしょうか。


ハルとおじいさん 第9部|学びの地図


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