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「見た」が「わかった」にならないのはなぜか

写真を見ます。
「これは本当だ」と思います。

動画を見ます。
「だからこういうことだ」と思います。

「見た」のに、なぜ人によって全然違う理解になるのでしょうか。


1610年、イタリアのガリレオ・ガリレイは一冊の小さな本を出版しました。
「星界の報告」と呼ばれるその本に、彼は望遠鏡で見たものを丁寧に記録していました。

月の表面には山と谷があった。
木星の周りには4つの衛星が公転していた。
金星には満ち欠けがあった。

これらはどれも、「地球だけが宇宙の中心だ」という1000年以上続いた考えに、反する証拠でした。

ガリレオは当時の著名な学者たちを招きました。
「では一緒に覗いてみてください」と。


一部の学者は、覗くことを拒否しました。

「望遠鏡は地上の物体には有効だが、天上には使えない」と言いました。
「見えたとしても、それは目の錯覚か悪魔の仕業かもしれない」と言った人もいました。

現代の私たちから見ると不思議に思えます。
見ればわかるのに、なぜ見ないのか。

でも彼らには、理由がありました。

「見てしまったら、1000年信じてきたことが崩れる」からです。


これを「確証バイアス」と呼びます。

人は自分がすでに信じていることを支持する情報を集め、それに反する情報は「信用できない」「例外だ」と判断する傾向があります。

望遠鏡を覗いた学者の中にも、「これはアリストテレスの教えとは矛盾している。だから錯視に違いない」と解釈した人がいたとされています。

同じものを見ても、すでに持っているフィルターが違えば、見えるものが変わる。

「見る」ことは、すでに解釈が始まっています。


今、私たちはSNSで毎日「証拠」を目にします。

写真、動画、スクリーンショット。

でも同じ映像を見て、まったく逆の結論に至る人がいます。
それはどちらかが間違っているからではなく、持っているフィルターが違うからかもしれません。

AIに画像を見せると、答えを返してくれます。
「AIが見たから正確だ」と思いたくなります。

でもAIも、学習データというフィルターを持っています。
そのデータが偏っていれば、「見た」の中に偏りが入ります。

人も、AIも、「見る」ことはすでに主観を持っています。


「証拠を見た」は、「正しく見えた」と同じでしょうか。

「見たくないから見ない」は、今も私たちの中にあるのでしょうか。

「どんなフィルターで見ているか」を問える人と問えない人では、何が違うのでしょうか。


ハルとおじいさん 第15部|学びの地図



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