なぜ「意味」を外すと、測れるものが見えてくるのか
「了解」の二文字だけで、十分に伝わるときがあります。
逆に、長い文章をもらっても、結局何が言いたいのか分からないこともあります。
長さと、伝わる量は、同じではないのでしょうか。
1724年より前、「熱い」「冷たい」は、完全に人の感覚でした。
ある人にとっての「ぬるい」は、別の人にとっては「冷たい」かもしれません。
熱というものに、共通の数字はまだありませんでした。
ドイツの職人ダニエル・ファーレンハイトは、水と氷と塩を混ぜた、当時もっとも冷える組み合わせを基準点にして、目盛りを刻んだ温度計を作ります。
1724年のことです。
その目盛りには、「気持ちいい」も「不快だ」も、入っていません。
あるのは、ただの数字だけです。
熱という、感じ方によって人ごとに違っていたものから、感じ方を一度外してしまう。
そうして初めて、誰の感覚にも左右されない、共有できる量が立ち上がりました。
この数字のおかげで、後の人々は、熱を比べ、記録し、計算できるようになります。
蒸気機関も、冷蔵庫も、気象予報も、この「感じ方を外した熱」の上に成り立っています。
これと同じことを、1948年、クロード・シャノンが「情報」に対して行いました。
言葉の「意味」を一度外して、その言葉がどれだけ「不確かさを減らしたか」だけを数える。
シャノンはこれを「ビット」という単位で測れるようにしました。
意味を外すと、何も残らないように思えます。
ですが、ファーレンハイトが熱から感じ方を外したように、シャノンが情報から意味を外したことで、誰の感覚にも左右されない、共有できる量が生まれたのです。
今、AIが文章を読むとき、最初にしていることは、言葉を意味のまま受け取ることではありません。
言葉を、まず数字の並びに変換することから始まります。
人類は、温度を測るために感じ方を一度外し、情報を測るために意味を一度外しました。
次に外されるのは、何でしょうか。
「分かる」ということそのものは、いつか、感じ方を外して測れるようになるのでしょうか。
意味を外して数えることは、本当に何かを失っているのでしょうか、それとも、何かを初めて見えるようにしているのでしょうか。
温度計の前の人々が、自分の感覚の方を疑わなかったように、今、私たちが疑っていない感覚は、何でしょうか。
#AI源流 #AIの歴史 #クロードシャノン #情報理論 #ビット #ファーレンハイト #温度計の歴史 #測定の科学史 #ニューラルネットワーク #ディープラーニング #人工知能 #ChatGPT #生成AI #テクノロジー #科学史 #認知科学 #哲学 #思考実験 #知の歴史 #測ることの哲学 #エッセイ #考察 #読み物 #大人の学び #ハルとおじいさん #学びの地図 #ManabiMap #意味と数 #感覚の外在化 #知の積み重ね #問いの系譜
