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fromkk
知らないけれど、知っているような気がする、お米作り
お米づくりのこと、何も知らないけれど作業を手伝ってワンシーズンを終えて感じていること。
何もかも初めての作業だったのに、なぜか知っていたような感覚。
家庭菜園などで野菜作りに興味を持って、いろいろ学んだり経験するうちに、最終的に米づくりにたどり着く、みたいなことを複数の人から聞いたことがある。
米づくりって、単に食べ物を生産するだけの作業ではない。
私たちの文化など、精神的にも身体的にもすごく深いところに根ざしているものだと思う。それを、米づくりの作業を通して自分の身体で感じた。
たとえば、お米が実って稲刈りをした後のワラ。丈夫でなのに適度に柔らかくこれが立派な別の道具の材料になることがよくわかる。もみもワラも、何一つ無駄になるところがない。
一粒まけば、千倍に実ってくれる稲。実際に栽培してみると、なぜこの日本列島に住む人たちが執念とも言えるような情熱でこの植物を栽培してきたのかがわかるような気がする。
稲という植物の生態、水の管理、機械の使い方、できた米の保管。お米を育てることは、膨大な知識を一つ一つ覚えていくことなのだとは思う。
でも、お米とだけ向き合っていれば、向き合い続けていれば、私たちの心も含めた暮らしが成り立ってゆく。
この列島で暮らす人々の人生を支えてくれるもの。
野菜の栽培とは違ったどっしりと力強い心の支えであるような気がする。
