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一生ボロアパートでよかった㉖

あらすじ
自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。

 野口くんの1人後に自己紹介したのが、アオイちゃんでした。

「橋本アオイです。吹奏楽部に入ってます。今年は吹奏楽部のみんなでコンクール優勝を目指したいと思ってます。高校受験もあるので、勉強も頑張りたいです」

 その正面に向かって突き刺すような明瞭な声は、アオイちゃんの性格を表しているようでした。正々堂々としていて、周囲に流されない強さがありました。さっぱりとした性格だから浅く広く友達も多い。吹奏楽部の部長をしていて周囲からの信頼も厚い。成績優秀、勉強熱心で絵に書いたような優等生。そんな彼女が、私の自慢の友達でした。この日までは。

「先生、」

 アオイちゃんは自己紹介に続けて坂ティーに呼び掛けました。この時のアオイちゃんの声にはたぶん怒りがこもっていました。正面に向かって突き刺すような明瞭な声は自己紹介した時よりもやや低くなって、鋭利さが増していました。

「金井さん、ずっと体調悪そうなので、保健室に連れて行ってもいいですか」

 それは質問しているようで、まるで質問の体をなしていない言い方でした。決定事項を宣告する時みたいな、有無を言わせない声のトーンでした。その抑揚のない怒りを孕んだ言い方だけでは、アオイちゃんがいったい誰に怒っているのかはわかりませんでした。

 アオイちゃんの質問に対して坂ティーはすぐに返事はせず、ただ「うーん」と唸っていました。クラスメイト達は坂ティーの言葉を待っているようでした。教室内は再び静寂に包まれていました。せっかく野口くんが自己紹介で教室を明るい雰囲気にしてくれたのに、すっかり台無しになっていました。

「金井、保健室、行くか?」

 坂ティーは少し考えた後、私に問いかけました。私は返事をしませんでした。降参の姿勢のまま身動きがとれませんでした。そんなこと私に聞かないでほしいと思いました。

「始業式までもうちょっとだけど、始業式は出られそうか?」

 坂ティーの問いかけに私はまたも返事をしませんでした。ひたすら私は受け身で自らの意思で動くことをせず、あまつさえ自分がどうしたいのかもわかりませんでした。もういっそ、私の意見は勝手に決めてもらいたかったし、私の身体も勝手に運んでもらっていいとさえ思いました。

 この日、始業式が10時半から予定されていました。午後には新入生の入学式の予定でした。私はとてもじゃないけど始業式で校歌を歌う気にはなれませんでした。そもそも顔を上げて、体育館まで談笑しながらみんなと歩いて行くことも想像出来ませんでした。始業式にはとても参加出来る状態ではないと、たぶん、私も思っていたと思います。それでも私はずっと降参の姿勢のまま何の意思表示もしなかったんですよね。その時は、何で今日学校に来ちゃったんだろうっていう気持ちが、心を支配していたと思います。

「返事も出来ないくらい辛いみたいだし、私、やっぱり保健室に連れて行きます」

 アオイちゃんがそう言い切ると、勢い良く擦られた椅子と床が悲鳴を上げるのが聞こえました。そしてアオイちゃんの椅子が後ろの席の机に思い切り当たって、ガシャン、と音が鳴りました。

 私の席に近寄る足音も何故か怒っているように聞こえました。アオイちゃんの手が私の肩に触れて上半身を起こされると、その力が強くてやっぱり怒っているんだと思いました。ちょっと怖いと思いました。そしてナヨナヨになった袖ごと、私の手首をアオイちゃんがギュッと握りました。

「じゃ、保健室、行ってきます」

 アオイちゃんはそう言って、私を連れて教室を出ました。アオイちゃんに強く引っ張られた手首が痛かったのをよく覚えています。アオイちゃんは怒りと勢いで手首を握っているようでした。状況だけ見たら、私は無理矢理連れ出されたと言っても過言ではありませんでした。

 教室を出て、廊下を歩き、階段を降りた頃になって、ようやくアオイちゃんが私の方に振り返りました。

「私、坂ティー嫌いなんだよね」

 その日初めてアオイちゃんに話しかけられました。私は嬉しかったです。アオイちゃんが私を気にかけてくれたことや、身動きがとれなくなった私を教室から連れ出してくれたこと、あと、私と同じように坂ティーが嫌いだと思っていたことも。アオイちゃんとは以心伝心しているんだと感じました。そしてやっぱりアオイちゃんは私と友達でいてくれたんだと思いました。

「ああいう人気者演じてる感じとか、良い教師ヅラして中途半端な態度取るのも嫌い」

 アオイちゃんのこういうところを尊敬していました。嫌いなものは嫌いと言える、そういう勇気みたいな、強い心ががあるところがかっこいいと思っていました。

「あ、アオイちゃん、ありがとう」

 私は勇気付けられた気がして、勇気を振り絞ってアオイちゃんに言いました。

「本当に、ありがとう」

 アオイちゃんは黙って私を見つめながら聞いてくれていました。私はそれも嬉しくて、続けて「アオイちゃん、久しぶりだね、久しぶりにお話できて嬉しい、去年クラス別になっちゃって寂しかった、今年は同じクラスで嬉しい、アオイちゃん部活も頑張っててすごいね、高校はどこに行くの」と溢れ出す気持ちを話そうとしました。

 でも、私が「アオイちゃん、久しぶり」まで話すと、それを遮るようにアオイちゃんが大きめの声で私に言ったんです。

「私さぁ、

一番ムカつくのは、

自分で何も行動しないやつなんだよね」


つづく

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