黒田彩菓茶房 その謎美味しくいただきます 序章:映る影、変わる時代(二)
東京や大きな街には、西洋文化の物が増えたという。
けれど、秩父の片田舎は違う。明治の風情を、まだ色濃く残していた。
山々が静かに佇む山間は、厳かな雰囲気が漂っている。木立の合間からは、雲が山を抱く様子が見えた。木々の枝では小鳥が囀っている。
麓には小さな集落が点在していた。木造の家々は、風景に調和して佇んでいる。建物は木の温もりが心地よく、古めかしくても暖かく迎えていた。
西洋文化に追いつかない商店街から、少し外れた住宅街に桐島駄菓子店はある。
住居の路面側を使った店内には、たくさんの駄菓子が並んでいた。
古い硝子瓶に詰められた色とりどりの飴玉や、昔ながらの紙で包まれた菓子――さまざまな商品が所狭しと陳列されている。
狭い店内に、小銭を握りしめた少年が駆け込んできた。短い丈の半纏と、西洋で主流だというズボン姿だ。
「薫子ねーちゃん! 餡団子ちょうだい!」
「はーい。いらっしゃい」
少年の元気な声を聞きつけ、薫子は少年を出迎えた。西洋文化が入っても、まだまだ庶民は着古した着物だ。けれど、明治から続く店の様相には相応しい。
「昨日も餡団子だったじゃない。たまにはお煎餅でもどう?」
「やだ。これが好きなんだ。おじさんが、俺のために作ってくれたんだから!」
「あら嬉しい。和菓子屋さんもあるのに、有難いわ。じゃあ十銭ね」
おじさんというのは、薫子の父親だ。祖父から引き継いだ桐島駄菓子店を、西洋文化から守り続けている。
薫子は餡団子を渡した。少年は嬉しそうに頬張り、にっこりと笑ってくれる。
「やっぱこれだよな! ケーキ、とかいうのは好かん!」
「ああ、あれ……」
ケーキは西洋の菓子で、薫子のみならず、誰も馴染みのない物だった。
西洋文化の眩さを話に聞いても、実際に触れたことはほとんどない。高いお金を出して、洋風の物を欲しいとも思わない。手ごろな駄菓子で、子どもたちと秩父で生きていけばそれで良いと思っていた。
――けれど、そうも言っていられない事態に、桐島駄菓子店は追い込まれている。
少年を見送ったあと、室内に戻り帳面を開く。帳面にはびっしりと数字が書き込まれ、半分以上が赤い鉛筆で綴られている。
「……粗利が既に赤字だわ。販管費でさらに赤字……」
桐島駄菓子店の経営は思わしくなかった。いままでも大繁盛ではなかったが、ほそぼそと、問題なくやっていた。これからも、そうであると思っていたのに。
「ずっと下がり調子だったけど、本格的にまずいわ。それもこれも、あれのせいよ」
薫子は窓を開け、通りの向こう側に見える建物を睨んだ。
外装はおとぎ話のような美しさで、秩父の古い建物から一線を画している。入口には真っ白な石膏のアーチが立ち、花や葉の繊細なモチーフが施されていた。
最も目を引くのは、アーチに掲げられている看板だ。
看板には洋風文字で《ミスミ洋菓子店》と書かれている。店内には硝子張りのショーケースがあり、洗練された西洋風のケーキが並ぶ。
「おお、おお、今日も大行列ですねぇ」
店前には大勢が集まっていた。ミスミ洋菓子店に見合う自分になりたいのか、山間部の日常には不釣り合いな、優雅な洋装を纏っている。
女性は、薫子のくたびれた着物とは正反対な、艶やかなワンピース。男性は洒落た帽子やスーツ姿だ。所狭しと並ぶ西洋菓子を指差し、笑顔で入店の順を待っている。
ミスミ洋菓子店ができた当初は、薫子も興味を引かれた。けれど、いまは真逆だ。
「赤字は、あれが開店してからなのよね……」
ちらほらと、買いに来てくれる子供はいる。けれど、馴染みがあって安いからだ。ミスミ洋菓子店の菓子と比較した結果、選び抜かれたわけではない。ミスミ洋菓子店が安い洋菓子を売り出せば、数か月もしないうちに子どもも来なくなるだろう。
「なにか手を打たないと駄目だわ。仕入れるのは、日持ちする商品だけに制限して……ああ、でもそれじゃあ売上は下がるし……」
帳簿を付けるたび、気持ちは落ち込んでいく。しかし、薫子以上に重い足音で床板をきしませながら、薫子の父親がやって来た。
「薫子。こっち来て座りなさい」
「ええ? 損益計算の途中なの。あとじゃ駄目?」
「駄目だ。お茶と、なにか茶菓子出してくれ。ちゃんとしたやつ」
父親は、やけに真剣な顔をしていた。赤字経営を憂うとき以上に表情は暗い。
「お茶菓子出すほどの来客予定は、なかったと思うんだけど。誰?」
「ミスミさんだ。今後のことで色々な」
「ミスミ? ミスミって、あの、ミスミ洋菓子店?」
「ああ。急いで」
ミスミ――その名前だけで怒りが込み上げてくる。
「なんでお菓子なんて。駄菓子だって勿体ないわ!」
「いいから、早く」
落胆顔の父親に急かされ、薫子は台所へ向かう。手元にある『ちゃんとした』お菓子とくれば、商店街にある老舗《古賀翠鶴堂》で大人気の羊羹しかない。
「洋菓子様にご納得いただけるか、わかりませんけどねぇ」
父親と食べようと思い買っておいた逸品だ。敵に出したくはないが、仕方ない。
「……今後、か」
とても良い話とは思えなかった。
薫子は、しぶしぶ羊羹とお茶を持ち客間へ行く。座っていたのは、和室に似合わないスーツ姿の男性二人だ。いかにも、ミスミ洋菓子店の雰囲気に相応しい。
苛立ちを押さえ、膝を突きお茶と羊羹を出してやった。すると、爽やか微笑みを返してくる。
「有難うございます。古賀翠鶴堂さんですか。四季の表現が優美で、素晴らしい名店ですね。弊社も、季節のケーキには力を入れているんです。よろしければどうぞ」
男が慣れた手つきで出してきたのは、直線的で温かみのない白い箱だった。
中身は開けずともわかる。ミスミ洋菓子店のケーキだろう。きっと、町の人々なら喜んで飛びつくに違いない。
けれど、ここはミスミ洋菓子店のせいで経営難に陥っている桐島駄菓子店だ。そんな店の商品を贈るなんて、神経が知れない。
父も白い箱には手を付けず、深く息を吐いた。薫子の淹れた茶を一口飲むと、ようやく口を開く。
「それで、ご用件は?」
「はい。実は、来年の春に新店舗を出すんです。そこで、桐島さんにもご参加いただきたいと思いまして」
男は、光沢のある用紙で作られたパンフレットを取り出した。表題には『完成予想図』と書かれていて、描かれた景色には桐島駄菓子店の周辺も含められている。
けれど、桐島駄菓子店があるはずの場所には――白い洋館が描かれていた。
一目見て、男たちの用件がわかった。
「……店を畳めということですか」
「いいえ。双方の良いところを活かしたいんです。弊社は、桐島さんのような、子どもにも手頃なお菓子が不得手なんです。ぜひ、お力添えを頂きたい」
「ですが、ミスミさんの店で、ミスミさんの商品になるんですよね」
「銘柄は桐島さんの名を付けて良いですよ。御社にも、心機一転となるでしょう?」
薫子の拳が強く震えた。
男は自分のことしか考えていない。そのうえ『付けて良い』なんて、随分な上から目線だ。自分たちの姓を使うことに、なぜ他人の許可が必要なのか。
穏やかにつくしていた父親も、これには怒りを隠せないようだった。
「看板がなくなるなら閉店と同じです! 私たちに行き倒れろと!?」
「とんでもない。ご主人には、商品企画や卸に参画いただきたいんです。もちろん、社員として給与をお支払いします」
腹が立つほど爽やかな男の笑顔に、薫子は思わず膝立ちになる。
「父の経験と縁を、お金で奪おうっていうの!?」
薫子は思わず叫んだ。父の足を引っ張る物言いは駄目だとわかっている。けれど、古い店を守り続けた父親の人生を、ミスミ洋菓子店の拡大に利用されるのは我慢ならない。
「さっきから聞いてりゃ、なにさまよ! 小さい店だからって、馬鹿にしてるの!?」
「まさか! ご主人の経験は、なにものにも代えられない、素晴らしい財産です。ご経歴を活かせる環境をご用意します。お嬢様には、カフェーのウェイトレスをお願いできれば有難い。土地のかたがいらっしゃるのは、店としても安心感があります」
「なにが安心よ! うちも賛同したって見えるからでしょ! 楽に客を集められるって!」
「薫子、止めなさい」
「でも!」
「いいから。それで、これはいつ頃の予定ですか」
「一年はかかりません。桐島さんの新しいご住居は、私どもがご用意いたします」
それはつまり、店どころか家ごと消えろということだ。
「あんたらねぇ!」
薫子は拳を振り上げそうになった。けれど、父親は薫子を制して肩を抱いた。
「少し考えさせてくれませんか。今すぐ答えは出せません」
「もちろんです。またお伺いさせて頂きますので、お目通しください」
男はパンフレットと、手つかずの白い箱を父に差し出した。
礼儀正しくお辞儀をして帰って行ったが、姿が見えなくなったところで、薫子は思い切り机を叩いた。
「なによ、あいつら! 信じられない!」
薫子は怒りをあらわに叫んだ。当然、父親もそうだろうと思ったけれど、父から出てきた言葉は思っていたものとは違っていた。
「悪い話じゃないよ」
「……は?」
「うちは倒産が見えてる。給料を貰えて新時代へ再出発は……悪くない」
「なに言ってるの! 悪いわよ! 大義名分を付けた立ち退きじゃない!」
「わかってるよ。だがな、根性だけでは生きていけない。お前は嫁ぎ先を探して良い年だし、引き際なのかもしれん」
父親は諦めているようだった。薫子も、わかってはいる。客を取り返す算段がない以上、ミスミ洋菓子店の中で生きていくのも一つの選択だ。
けれど、やはり薫子は頷けなかった。拳を握りしめ立ち上がる。
「諦めるのは早いわ! ようは黒字になればいいのよ!」
「けど、お前が嫁に行ったらどのみち終わりだ。良い機会かもな」
「よし分かった! ついでに婿も探そう!」
「……正気か?」
「正気よ! 黒字にできるお菓子職人見つけりゃいいんでしょ!」
薫子は、窓の外に見えるミスミ洋菓子店を睨んで拳を振り上げる。
「見てなさい! 一年以内に潰してやるわ!」
父は呆然としていた。けれど、やめなさいとも言わなかった。
