「大乗=トラップ説」⑤ーー『今夜はブギー・バック』から『Bling-Bang-Bang-Born』への日本ヒップホップ30年史
はじめに
前回私はCreepy Nutsの『Bling-Bang-Bang-Born』(2024,以下『BBBB』)が,外来文化であるヒップホップが,日本のアニソンの文脈で完成した例である.それは同じく外来宗教であった仏教が,日本の神道と融合した「神仏習合」と同型だ,と論じました.
J-POPやジャパニーズ・ヒップホップは,海外のオリジナルと違うことを揶揄される傾向がありますが,この視点を通すと日本固有の文脈が見えてくると思います.
今回は日本のヒップホップが独自の発展を遂げてきた歴史を,「日本仏教」の成立を参照しながら見ていこうと思います.
翻訳の成功としての『今夜はブギー・バック』
スチャダラパーと小沢健二の『今夜はブギー・バック』(1994)がはじめて日本語ラップとしてヒットした「クラシック」であることは,衆目の一致するところだと思います.
この曲が出たのは94年の春です.CDショップでキャッチーなヒップホップがかかっているな,ラップの調子から普通に英語かなと思って聞いていたら何と日本語!スチャダラパーの新曲だ!オザケンとコラボして,スチャダラパー名義とオザケン名義の2種類がある!慌ててCDシングルを両方とも購入して帰ったのを覚えています.
94年はEASTEND×YURIの『DA・YO・NE』の大ヒットもあり,こちらは当時ちょっとした社会現象になりました.
しかし後年への影響力という点では『ブギー・バック』が圧倒しています.この曲は何年かおきに異なるアーティストによって幾度となくカバーされていることからもわかります.
『ブギー・バック』については語り尽くされた感がありますが,以下を押さえておく必要があります.
まずヒップホップのクラブヒット曲であるNice & Smoothの『Cake & Eat It Too』(1992)を踏まえています.
ピアノやコーラスが入った曲の雰囲気と,パーティー・チューンである内容から,明らかに『Cake & Eat It Too』が参照元であるとわかります.
これにSkull Snapsの『It's a New Day』のビートをサンプリングして加えています.これはヒップホップの定番ビートであり,93年くらいをピークにすごく引用されました.
『ブギー・バック』は一見かなりポップですが,このキックが跳ねるような特徴的なビートが鳴り始めることで,当時の正当なヒップホップ・マナーで作られていることが明示されます.
そして,現代の日本では椎名林檎の『丸の内サディスティック』(1999)で有名になった通称「丸サ進行」です.
これはもともとは洋楽で『Just the Two of Us』進行として知られていたもので,当時すでに定番化していました.そしてこの頃からJ-POPでも取り入れられていたのです.
日本での具体例としてドリームズ・カム・トゥルーの『決戦は金曜日』(1992)があります.この曲の参照元のひとつであるCheryl Lynnの『Got to Be Real』(1978)が同じ進行で,日本でも洋楽ファンを中心に広く知られていました.
日本のリスナーにも『Just the Two of Us』進行が馴染んできたところに,『ブギー・バック』もこの進行を取り入れたのです.
以上の背景があって,『ブギー・バック』はヒップホップと洋楽の文脈を完全に抑えながら,J-Popとしてヒットしました.
日本で受け入れられる素地として,洋楽を日本に翻訳する運動としての「渋谷系」がありましたが,そこを出発点にさらに広い層にアピールしたと言えます.
ヒップホップの翻訳期
日本のヒップホップ受容史ではあまり特記されませんが,この時期の重要な出来事としてテイ・トウワの仕事があると私は思います.
テイ・トウワはDeee-Liteというアメリカのクラブミュージック系ポップグループのメンバーでした.
彼が坂本龍一にスカウトされた形で,日本のテレビ局の企画で作ったヒップホップが,ゲイシャ・ガールズの『Kick & Loud』.ダウンタウンによる別名義のユニットです.これも94年. フックでホーンが鳴り響き,アコースティックな重低音のベースラインがうねるという,ピートロック以降の東海岸のサウンドプロダクションを完全に再現していました.
そして今田耕司をボーカルに96年に作ったのが『Blow Ya Mind』.これも『ブギー・バック』と同じ『Just the Two of Us』進行.作りは完全に90年代のR&Bで,ビートはニュージャックスウィングみたい.
両者とも当時のアメリカの最先端のサウンドを日本に忠実に移植する試み.お笑いタレントを使った完全なネタものではありますが,音楽は本格的なつくりでした.
けれども,両者とも楽曲として秀逸な出来ではありますが,微妙に当時の最先端からズレていたことが今ならわかります.
この時期すでに次の潮流が西海岸やサウスから出ていました.
そして,J-POPの文脈には乗らない完全な「翻訳モノ」であったためか,このようなサウンドが日本のポップシーンに根付いたり,そこからさらに派生することは基本的にありませんでした.
日本オリジナルの「ヒップホップ」としての『Grateful Days』
日本でヒップホップが本格的にJ-POPとして受容されるきっかけがドラゴン・アッシュの『Grateful Days』(1999)であることもご同意いただけると思います.
Zeebraのバース,「俺は東京生まれヒップホップ育ち」というあれです.今でも日本のヒップホップの代名詞的なパンチラインですよね.
ただ当時,日本でヒップホップがここまでメジャーになる前からこのジャンルにどっぷり浸かっていた者からしたら,『Grateful Days』のヒットは何とも複雑でした.
Zeebraが出ているからいいものの,ヒップホップはこんな「歌謡曲」ではないぞと.ヒップホップ以外の要素が多いのです.
そしてドラゴン・アッシュもロックとヒップホップのミクスチャーから始まりましたが,その後Zeebraの模倣に入ってしまい,Zeebraと確執が生まれたのは周知の通り.
しかも,日本初のメジャーなビーフになりかかったのが,ドラゴン・アッシュの不応答により腰砕けになったのもご存知の通りです.
日本にはまだヒップホップの「ゲーム」が成り立つ土壌がなかったと言えます.
けれどもその後,日本ではリップ・スライムやキック・ザ・カン・クルーなどのヒットにより,J-POPの文脈でそれなりにしっかりしたヒップホップが根付いていきます.
ただ,この日本のシーンは,サウスのサウンドが席巻しつつあったアメリカのシーンとはシンクロしていませんでした.
ヒップホップの「土着化」としての『水星』
tofubeatsの『水星』(2012)は「テン年代」の『ブギー・バック』と位置づけられる有名曲.私は正直リアルタイムでは把握していませんでしたが,配信と動画でヒットした今どきの曲です.
この曲はオートチューンを大々的に使用していますが,アメリカのカニエ・ウェストやサウス系とは全然違います.
サンプル元は上に挙げたテイ・トウワの『Blow Ya Mind』.
トラックをそのままサンプリングしているので,当然『ブギー・バック』と同じ『Just the Two of Us』進行.これが椎名林檎以降のこの頃には「丸サ進行」として受容されます.
つまり元は90年代R&Bのつくりですが,テイが翻訳したJ-POPの文脈での二重の引用になっていると言えます.
なので独特の懐かしい感じがただよう名曲となっています.
オートチューンを使うところなど意匠は似ていますが,当時のアメリカのヒップホップとは全く違う世界です.
ここに至って,外来文化であるヒップホップを,日本独自の文脈で再構築して提案する段階に至りました.
ただし,この段階では日本ローカルの受容にとどまり,海外でヒットするところまでは行きません.
日本独自のコアなシーンと,Kohhのトラップ
上に述べたように,『Grateful Days』から『水星』までの間,J-POPではないヒップホップを追求してみんな一生懸命でしたが,アメリカとはあまりシンクロしない日本独自のシーンがありました.
この流れで出てきたのが『高校生RAP選手権』(BSスカパー!で第1回の放送が2012年),このヒットを受けてテレビ朝日系の地上波で放送された『フリースタイルダンジョン』(第1回放送が2015年)です.日本独自のコアなシーンがお茶の間に出てきた瞬間です.
現場で地道に重ねられてきたラップバトルのシーンが,アメリカからは20年くらい遅れて日本のお茶の間に認知されました.
日本ではヒップホップが「土着化」した後に,オリジナルで「コア」な部分が認知された,という逆転現象が重要です.
エミネム主演の映画『8マイル』(2003)は,95年のデトロイトでのラップバトルを舞台にしていました.アメリカでは2003年の時点で「懐かしい」感じだった「リアル」なラップバトルが,2010年代になって日本でマスに対してのリアリティをようやく獲得したわけです.
日本のヒップホップの真のパイオニアであるいとうせいこうを審査員に置きつつ,『フリースタイルダンジョン』を回していたのはZeebraや般若,漢など,2000年前後に出てきた人たちが中心でした.
彼らのこれまでの活動が実を結んだと言ってよいでしょう.
しかし,これまで何度もお話してきましたが,この頃からアメリカではトラップの時代が始まっています.
2000年前後にデビューしてきた世代はトラップのビートに完全に乗ることはしていません.これはアメリカでも基本的に同様.
日本ではKohh(現・千葉雄喜)がいきなりトラップに日本語を違和感なく乗せて海外でも受けました.
これは直輸入型の珍しいスタイルで,本当にすごいと思います.
彼が認知されだしたのが2012年前後.
ちなみに『フリースタイルダンジョン』で「2代目モンスター」を務めたR-指定も同じ頃からバトル大会で優勝し注目を集め始めています.
「神仏習合」としての『BBBB』
このR-指定がラップする『BBBB』は純粋なアニソンの作りですが,Jersey Clubのビートを使用することで,ヒップホップの文脈に乗り世界でもヒットしたことは前回論じました.
完全にJ-POPの作りであるにも関わらず,ついに日本のヒップホップが海外に受容されたのです.
これまでの流れを総括します.まず日本仏教史の概略.
日本仏教でも出発点が外来文化の翻訳でした.これは構造上やむを得ない.
お釈迦さまの仏教が成り立つ背景がないのに,初期仏教が入る余地はないのです.
日本では奈良時代にいきなり大乗仏教が丸ごと入ってきます.
そして平安時代に,大乗仏教の中では最後に出てきた密教という形で,天台宗と真言宗がそれまでの日本の仏教を上書きします.
しかしあらゆる宗派を総合した天台宗の内部にいると,それぞれの宗派に矛盾があることに気づかざるをえません.
そして苦しむ一般大衆を救うために教義をシンプルにするところから,鎌倉仏教が出てきます.
仏教の歴史とは逆に,天台宗から分かれて後から禅宗や浄土教が分かれて出てくるのです.
また同時に,外来宗教である仏教は日本に土着する過程で日本のアミニズムと合体し,「神仏習合」が進んでいきました.
日本のヒップホップは,大多数のリスナーにとってスチャダラパーから始まりました.アメリカでいうと,Boogie Down ProductionsやRun-DMC,Public Enemyのようなストリートからの発信なしに,いきなりDe La Soulから始まったようなものです.
つまり,ヒップホップをメタ的に見る立場からシーンが始まっている.そもそも日本で初めてラップしたであろう,いとうせいこうの『東京ブロンクス』(1986)などからして,同じ地点です.
でも,繰り返しますが,外来文化を取り入れているのだから仕方がありません.むしろスチャダラパーのスマートさが特筆に値します.
そして『ブギー・バック』に代表される「翻訳期」を経て,『Grateful Days』から「土着化」が始まります.『水星』に至って「土着化」は完成しますが,この間日本のシーンはアメリカを代表する海外と「非同期」でした.
アメリカと「非同期」の象徴として『フリースタイルダンジョン』などの日本独自の「コア」なシーンがありましたが,同時期にKohhがトラップを「直輸入」して海外でも成功します.
このような流れを経て,現在は『BBBB』が海外のヒップホップの最先端をキャッチアップしつつアニソンとして完全に「神仏習合」した完成形を作り上げました.
『ブギー・バック』も『BBBB』も,ヒップホップの文脈ではやりのビートを使っていたことは示唆的です.
現代の日本のヒップホップはCreepy NutsやAdoのように,「盛り」の美学優位の「神仏習合」形態ですが,今後はどこに向かうのでしょうか?
