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何もない。それが、こんなにも贅沢だった。

富山って、何があるんだろう。
上野駅で新幹線を待つ間、
そんなことを考えていた。

東京のように、
有名なお店が沢山あるわけでもない。
大きなテーマパークがあるわけでもない。

街を歩けば
何時間でも遊べるような場所でもない。

だから正直、富山で何をするのかと聞かれても、うまく答えられなかった。
それなのに旅を終えた今、
なぜか、あの景色を何度も思い出す。

車を走らせて、雨晴海岸へ向かった。
窓の外に広がっていたのは、海と空だった。

聞こえてくるのは波の音。
特別な演出なんてない。

ただ海があって、空があって、風が吹いている。

東京にいると、
何もしない時間を少し怖く感じることがある。
電車に乗ればスマートフォンを開く。
何もしていないと、
時間を無駄にしているような気さえする。

でも、富山の海の前では違った。
何もしないことが、
こんなにも贅沢なのだと知った。

そのまま車を走らせて、石川県の千里浜へ。
砂浜の上を車で走る。
窓のすぐ向こうには、日本海。
海を横目に、ただ真っすぐ走っていく。

何か大きな出来事が起きるわけではない。

でも、窓を開けて入ってくる潮風や、
どこまでも続いていく水平線を見ていると、
「この時間が終わらなければいいのに」と思った。

目的地へ急ぐ必要もない。
少しくらい寄り道してもいい。
そんな時間が、とても心地よかった。

東京には、何でもある。
欲しいものはすぐに買える。
食べたいものはすぐに見つかる。

電車は数分おきに来て、
スマートフォンを開けば、
世界中の情報が流れてくる。

便利で、楽しくて、刺激にあふれている。
私もそんな東京が好きだ。

でも
「何でもある」ということと、
「満たされている」ということは
同じではないのかもしれない。

富山には、東京ほど「何か」があるわけではない。

でも、空を見る時間があった。
海の音を聞く時間があった。
知らない道を走る時間があった。

そして、
隣にいる大切な人と、
何でもないことで笑う時間があった。

それはもしかすると、
普段の私たちが「何か」を追いかけるうちに、
忘れてしまったものだったのかもしれない。

旅の最後に、富山のお寿司を食べた。
海の近くで食べる魚はおいしくて、
「おいしいね」と言いながら、一日を振り返った。

海を見た。
ドライブをした。
道の駅に寄った。
お寿司を食べた。

それだけと言えば、それだけだ。
だけど、不思議なくらい幸せだった。

そこで初めて気づいた。

旅を特別にするのは、
どれだけ有名な場所へ行ったかでも、
どれだけたくさんの場所を回ったかでもない。

その瞬間を、誰と、どんな気持ちで過ごしたか。
きっと、それだけなのだと思う。

大人になると、
「何をしたか」で一日を評価するようになる。

仕事で成果を出した。
勉強した。
運動した。

もちろん、それは大切なことだ。

でも人生には、
何も生み出さなくてもいい時間があっていい。

海を眺めるだけの日があっていい。
知らない道を走るだけの時間があっていい。

好きな人とくだらない話をして、
一日が終わってもいい。

むしろ何年後かに思い出すのは、
そんな時間なのかもしれない。

「富山には何があった?」
そう聞かれたら、今でも少し答えに困る。

海があった。
山があった。
おいしい魚があった。

でも、それだけでは説明できない。

きっと富山にあったのは、
何かをしなくても満たされる時間だった。

何でもある東京から、
何もないと思っていた場所へ行って、
初めて気づいた。

何もないのではなかった。
余白があったのだ。

空を見るための余白。
誰かと話すための余白。
寄り道するための余白。
そして、自分がちゃんと今を生きていると
感じるための余白。

便利になるほど、
私たちの生活から、
その余白は少しずつ消えていく。

だからこそ、
あの夏の富山が、
こんなにも忘れられないのだと思う。

人生には、
何かを手に入れた日だけではなく、
何も手に入れなかったのに、
なぜか心だけが満たされた日がある。

そんな一日は、
写真を見返さなくても、
何年経っても心のどこかに残っている。

あなたにも、きっとあると思う。
「何をしたの?」と聞かれたら、
うまく説明できない。

でも、
「あの日、よかったな」と思える一日。

人生を豊かにしているのは、
案外、そんな時間なのかもしれない。

「何もない」って、こんなにも豊かだった。
そんなことを教えてくれた、

ある夏の、富山でのひとコマ。


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