「英語が変だ」と思うほうが、変なんです(笑)
三時間目。
窓から差し込む光が、
教室の後ろの席まで届く時間でした。
インドから来た学生が、
机に頬杖をついて、
こちらを見ていました。
日本語はまだ初級。
簡単な会話ならできる、
というくらいです。
でも、
コミュニケーション能力が高い。
間違っても、
あまり気にしない。
言いたいことがあれば、
とりあえず言ってみる。
伝わらなければ、
別の言い方をしてみる。
それでもダメなら、
身振り手振りまで使う(笑)。
その日、
私は何気なく聞いてみました。
「インドでは、英語を話す人が多いんだよね?」
「はい。たくさんいます」
ただ、
学校で習うような、
きれいな文法や発音の英語を
話す人ばかりではないそうです。
いわゆる、
「インド式英語」。
私は、
「やっぱり、英語の発音って難しいよね」
くらいの話をするつもりでした。
ところが。
彼が、
ちょっと面白いことを言いました。
「それがグローバルイングリッシュです」
今の世界には、
英語を母語とする人より、
第二言語、第三言語として
使っている人のほうが、
ずっと多い。
だから、
「ネイティブのような英語だけが正しい」
と考える必要はない。

そして彼は、
笑いながら、
こう言いました。
「あの人の英語は変だ、と思うほうが変です(笑)」
「なるほど!」
思わず、
納得してしまいました。
大切なのは、「きれい」より「伝わる」
その話を聞いて、
私は日本語のことを考えました。
日本人は、
外国語を話すとき、
間違えることを怖がりすぎるところが
あるんじゃないでしょうか。
文法を間違えたらどうしよう。
発音がおかしかったら恥ずかしい。
変な日本語だと思われたらどうしよう。
そんなことを考えているうちに、
結局、
何も話せなくなる。
……これ、
けっこう「あるある」ですよね(笑)。
もちろん、
文法も発音も大切です。
正確に伝えることも大切。
でも、
コミュニケーションの目的は、
「きれいに話すこと」ではなく、
「伝えること」。
そして、
「分かり合うこと」。
そこを、
彼の話から教えてもらいました。
「聞こえないなら、大きくする」
そういえば、
彼の日本語にも、
その考え方が表れています。
間違えて、
周りの学生が笑う。
すると、
本人も笑う。
そして、
また話す。

「どうしてそんなに大きな声で話すの?」
と聞くと、
インドでも、
英語が通じないときは、
だんだん声が大きくなるそうです。
「聞こえないなら、大きくする」
という、
ものすごくシンプルな発想(笑)。
「それで、伝わるの?」
「最後には分かってもらえます」
……強い(笑)。
noteも、同じかもしれない
正直に言うと、
私は今でも、
noteを書くとき、
「うまく書かなきゃ」
という気持ちに縛られています。
先週も、
一つの記事の書き出しに、
30分以上悩みました。
スキの数を数えて、
「今日は伸びなかったな」
とため息をつく。
そんな自分が、
彼の姿と重なりました。
完璧な文章を書こうとするより、
自分が本当に面白いと思ったことを、
ちゃんと伝えてみよう。
そのほうが、
自分らしい文章になるんじゃないか。
そんなふうに、
思うようになってきました。
「間違ってもいい」は、意外と難しい
「間違ってもいいよ」
と言われることがあります。
でも、
これが意外と難しい。
頭では分かっている。
でも、
間違えると恥ずかしい。
話す前に頭の中で文章を作る。
文法を確認する。
発音を確認する。
そして、
考えているうちに、
会話が終わる(笑)。
私自身も、
外国語を話すとき、
そうなります。
だから、
彼の姿を見ていると、
ちょっと羨ましくなるんです。
間違っても、
とりあえず話す。
伝わらなければ、
また話す。
笑われたら、
一緒に笑う。
そして、
また話す。
これって、
語学だけじゃなくて、
いろんなことに使える姿勢なのかもしれません。
「きれいに話す」ことより、
「伝えようとする」こと。
それが、
コミュニケーションの
最初の一歩なのかもしれません。
そして、
これはnoteでも同じ。
完璧な文章じゃなくてもいい。
少しくらい、
言葉につまずいてもいい。
その文章を書いた人が、
「これ、誰かに伝えたい」
と思って書いている。
その気持ちが残っていれば、
きっと、
誰かには届く。

今日の学生の大きな声が、
なんだか少し羨ましい。
……まあ、
noteやけん、
声はでませんけど。
せめて、
伝えたいことくらい、
大きく書いとこうと思います。
学生との会話から、また一つ気づかされたこと。

いいなと思ったら応援しよう!
応援ありがとうございます!嬉しいです。