世間から袋叩きにあい、社会から冷たく拒否された“アーチャリー”の今。
朝イチで映画『それでも私は Though I’m His Daughter』を観た。

オウム真理教の教祖だった麻原彰晃こと松本智津夫の三女、松本麗華さんを2018年から6年間に渡って追ったドキュメンタリー。アーチャリーというホーリーネームのほうが有名かもしれない。
地下鉄サリン事件が起きた1995年、彼女は12歳の子どもだった。それからずーーーっと、いまも変わらずネット上では剥き出しの悪意による誹謗中傷に晒され、さらに信じ難いことに企業や国からも理不尽な介入を受けている。
映画のなかである人が口にする「子どもは自分の意思で親を選んで生まれてきたわけじゃない。事件を起こした加害者の子どもも被害者」という言葉に納得しない人はいないだろう。
そんなことは建前だとでもいうように、社会、世間は彼女を冷たく拒否する。大人になった彼女が、松本智津夫の娘というだけで銀行口座の開設を拒否されるシーンは、目を疑った(銀行側は理由を開示していない)。
正直にいえば、もし彼女が「事件を乗り越えて明るく楽しく生きてます!」という内容だったら、僕もモヤモヤしたかもしれない。酷い言葉が浮かんだかもしれない。
でも、この映画を観ていたら、さすがにそれは嫌がらせが過ぎるだろう、もう勘弁してあげてよと憤りすら感じる酷いいじめレベルの出来事が次々と起こる。
12歳の時に親が起こした事件で、ここまでひとりの人生を蹂躙し、袋叩きにすることがまかり通る日本社会がむしろ怖い。
監督はそれを糾弾するでもなく、麗華さんと一定の距離を保ちながらたんたんと質問し、撮影する。その姿勢によって、残酷な現実がより際立つ。
だからこそ、目標を見つけてからの彼女が放つ輝きには目を見張った。「初めて」を体験した彼女の笑顔は掛け値なしに美しかった。
この映画を観て、1998年に起きた和歌山毒物カレー事件を検証したドキュメンタリー『マミー』との共通点を感じた。


それは、国家や警察といった権力の判断を歪めるほどの影響力を持つ「世論」の得体の知れない怖さ。はたから見たら、それは違うだろう、それはないだろうと思うことでも、権力は世論に忖度する。その世論と権力は、ひとりの人生をアリのように踏み潰す。
この映画を観ながら、統合失調症を発症した姉と家族を20年に渡って記録した『どうすればよかったか?』のことも思いだした。長期にわたって密着しているからこそ見える表情や言葉、景色は確実にあるし、それを映画にして世に広く伝えることの価値は高い。

