なぜ旅に出るのか?人生の有限性と向き合う生き方
ここ数年で、私の周りから大切な人たちがひとり、またひとりと旅立っていく。起業した頃に可愛がってくれたお兄さん、お姉さんたちは、もう還暦を過ぎた人もいる。20年という年月は、人の人生を変えるのに十分すぎるほど長いのだと、改めて実感している。
結婚を手厚くお祝いくださった、夫が勤める会社の取引先の方が、今年突然亡くなったのは衝撃的だった。働き盛りの52歳。さすがに夫も堪えたようで、そのくらいの頃から「行こうと思ったら行こう」「やろうと思ったらやろう」が私たちの合言葉になった。
つまり、いつ自分の人生が終わっても良いように、後悔しない生き方をしようということだ。
会社を手放して見えてきたもの
私自身、会社を手放して自分の興味のあること、心の赴くままに過ごそうと決めてから数年が経つ。それでもやりきっているかと言うと、そういうことでもない時もある。
ただ、「ここを逃したら絶対に後悔する!」とか「この人と一緒に仕事をしていたら、私は将来絶対に心身を壊す」という直感に対する切り替えは、かなり早くなったと思う。失敗も成功も全て経験値になるとはいえ、将来が分かりながら「時間の無駄」と感じるモノに使う時間は、私には無いのだ。
タイムイズマネー。価値あることに時間を使いたい。
約束も、会いたい時に会える人としか会わない。一ヶ月後まで予定が分からないから、という人と会う回数は、どうしても減ってしまう。結果、タイミングよく会える人、そういう時間軸で生きている人と波長が合うということになるのだと思う。
忘れられない、大好きだったデザイナーさん
その中でも、私がとても後悔しているエピソードがある。
コロナ渦中のある日、SNSのDMに懐かしい人から連絡が来た。私が起業した頃にお世話になった人を通じて知り合ったデザイナーさん。高田純次レベルに適当な発言を連発しては、周りにいる人たちを一瞬のうちに笑いの渦に包むおじさん。
誰もがその人を大好きだったし、「早く面白いことを言ってくれ」という期待値がめちゃくちゃ高かった。バブル期からデザイナーとして一線を走っているので、もちろん仕事も早いし、いろいろと抜かりがなかった。
起業した頃はデザイン会社一本でやっていたこともあったので、とてもとても可愛がってもらった(いじってもらった、が正しい笑)。
そのデザイナーさんが、コロナ禍中にガンになったことを知る。まだ60歳になったばかりなのに、まだ若いのに……なぜ?とショックだった。既にかなり進んでいて、都内の家を売り払い、故郷に移り住んだことを知ったのと同じ頃、連絡が来た。
「久々に会おうよ!!」と、普通に元気なDM。でも意気地なしの私は「どんな顔して会ったらいいのか?」「何を話せばいいのか……」と自分のことばかり考えて断ってしまった。
優しい人だから、しつこく何度も会おうと言ってこない。おそらく私の性格をわかって、スッと引いてくれたんだと思う。そういう人だから。めっちゃ面白いけど、人の心に人一倍敏感な人だから。
それから、1年ほどが経った時に「どうしてるかな?元気かな?」とふと思い出し、彼のSNSを改めて見たら、
……亡くなっていた。
頭が殴られたような気持ちだった。
そして瞬間、自分を責めた。
「どうしてあの時、会いにいかなかったのか」。
きっとその人は自分が生い先短いことをわかった上で、私に声をかけてきてくれたはずだった。残り少ない人生の中で、会いたい人リストに私を加えてくださっていた。
その気持ちまで読めず、自分の気持ちばかりを考えてしまった自分を心から悔いた。
今だからこそ、旅に出る理由
あのデザイナーさんとの別れから学んだことは、人生には「タイミング」というものがあるということだった。そして、そのタイミングは自分で作るものだということ。
旅をする理由は、思い立ったらすぐに行動に移せる年齢だから。でもそれは単なる衝動ではない。私たちが今している旅の仕方は、実は60代、定年を過ぎてからゆっくり夫婦で旅行をしようという、一般的な人生設計の一つに似ているだろうが、私自身は、その歳では遅すぎると思っているのだ。
まず、圧倒的に体力が違うから。そのためにトレーニングをしてるかもしれないが、足腰が弱った状態で、長谷寺の急な回廊を登るのに一苦労するし、洞窟の中を這うような岩窟巡りは到底無理だ。富士山を登頂するのだって、選択肢に入らないと思う。
そして、知らない土地での冒険に対する好奇心も年を重ねるごとに確実に減っていくかもしれない。
旅先で偶然出会う人との会話、古着屋さんで店主から聞く昔話、地元の人しか知らない隠れた名所への案内。こうした「予期しない出会い」を心から楽しめるのは、今この年齢だからこそなのかもしれない。
若すぎても人生経験が足りず、年を取りすぎても新しいものを受け入れる柔軟性が失われてしまう。40代って社会の酸いも甘いも分かって、不惑になる分、ちょうどいい気がする。
そして何より、夫と二人で「あそこに行ってみたいね」と話している今この瞬間が、実は一番贅沢な時間なのかもしれない。
健康で、時間があって、お互いに同じ方向を向いて歩ける今。これが永遠に続くわけではないことを、私たちは身近な人の死を通して学んだのだから。
とはいえ、じゃあ60代、70代になったら何をしているのか?ということになると思う。おそらく、今の旅の延長線上で、その時の自分たちに合った旅の形を見つけているだろうし、もしかしたら旅では無い違うものを見つけているかも。
私が今生きている時間は、
誰かが生きたかった未来なのだ。
あのデザイナーさんも、もっとたくさんの場所を見たかったかもしれない。もっとたくさんの人と会いたかったかもしれない。もっとたくさんの美味しいものを食べたかったかもしれない。お酒が大好きだったからもっと飲みたかったかも。
だから私は、今この瞬間を大切にしたい。夫と一緒に歩ける今を、友人とたわいのない話をしてのんびり過ごせる今を、古着を探してワクワクできる今を、新しい場所で新しい発見をできる今を。
旅は、私たちにとって人生そのもの。限りある時間だからこそ、心の赴くままに歩き続けていこうと思う。
この記事は、人生の有限性と向き合いながら、今この瞬間を大切に生きることについて考えた内省日記です。同じような想いを持つ方々と、この気持ちを共有できたら嬉しいです。
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