原価率60%でも儲かる価格設定の心理学
原価率、60%。飲食店の教科書が『30%まで』と教える数字の、2倍です。ところが、この無謀な数字を看板にした店は、潰れるどころか、連日行列になりました。
なぜ、儲かるのでしょうか。
この記事では、値下げをしないのに選ばれる、価格設定の心理学を、1つの実話からひもといていきます。主役は、原価率60%で行列を作った俺のイタリアン、俺のフレンチ。ミシュラン級の料理人の皿を、高級店のおよそ3分の1の価格で出し続けた店です。
読み終える頃には、『安くするか、高くするか』ではない、3つ目の道が見えているはずです。その前に、1つだけ問いを置いておきます。原価率60%の店は、なぜ儲かるのか。その答えは、読み進めるうちに見えてきます。
舞台は2011年の東京、新橋です。仕掛け人は、坂本孝さん。中古本のブックオフを全国チェーンに育てた創業者です。70歳を過ぎて、彼はまったくの畑違い、外食の世界に挑戦しました。
目をつけたのは、高級レストランの不思議な構造でした。ミシュランに載るような一流の料理人が、最高の食材で作る皿は、1万円を超える世界。おいしいのは当たり前。しかし、その味を知る人は、ほんのひと握りでした。
坂本さんの狙いは、単純でした。一流の料理人が作る本物の味を、誰もが気軽に払える価格で出す。しかし、飲食業には動かせない常識があります。原価率、つまり売値に占める食材費の割合は、30%前後に抑える。これが教科書の鉄則です。
一流の食材を使って値段を3分の1にすれば、原価率は60%を超えます。ひと皿売るたびに、利益はほとんど残らない。家賃と人件費を払えば、計算のうえでは、確実に潰れる店です。
そこで坂本さんは、発想を逆転させます。ひと皿の利ざやで儲けられないなら、儲けの場所をずらせばいい。答えが、立ち飲みでした。
2011年9月、新橋に開いた1号店、俺のイタリアンは、わずか16坪。椅子をなくして立ち飲みにすると、客席の回転が劇的に速くなります。ゆっくり座る高級店が一晩に1回転なら、この店は1日3回転以上。ひと皿で稼がず、回転数で稼ぐ構造です。
結果は、想像を超えました。ミシュラン店で腕を磨いた料理人の皿が、居酒屋並みの価格で並ぶ。『この値段で、この料理が出てくるのか』。客は驚き、口コミが広がり、予約の取れない行列店になりました。
翌2012年には俺のフレンチも生まれ、銀座や恵比寿へと店は増えていきます。値下げで客を集めたのではありません。それなのに、誰もが『安い』とざわついた。この違和感に、価格設定の心理学のすべてが詰まっています。
ここで、意外な事実をお伝えします。この店は、ひと皿では、ほとんど儲けていません。原価率60%の皿に、家賃と人件費を足せば、利益は紙のように薄い。それでも会社として儲かるのは、儲けの場所を、皿から回転数へ動かしたからです。
つまりこの安さは、無理な値下げではなく、そう売れるように設計された価格なんです。だとすると、残る謎は客の頭の中です。なぜ客は、この店をここまで『安い』と感じたのでしょうか。
価格は比較で決まる:アンカリング
答えは、人が価格を感じる仕組みにあります。人は、価格を絶対値では判断できません。必ず、何かと比べた相対値で感じます。心理学者のトベルスキーとカーネマンは、最初に見た数字が基準になって判断を引っ張る現象を、アンカリングと名付けました。船の錨、アンカーです。
俺のフレンチの客の頭の中には、『この料理なら高級店で1万円』という基準がありました。だから、その3分の1の価格が、破格に見えたんです。もし比べる相手が居酒屋のつまみだったら、同じ皿でも、むしろ高いと感じたかもしれません。
価値の天秤(エピソード固有図解)
これを1枚の絵にしたのが、価値の天秤です。左の皿に、払う価格。右の皿に、感じる価値。右が重く傾いたときだけ、人は買います。
大事なのは、この天秤に載るのが、実際の品質ではなく、感じられた価値、専門用語で言う知覚価値だということです。値下げは、左の皿を軽くする一手しかありません。しかし俺のフレンチは、ミシュラン級という物語で右の皿を重くしながら、比べる基準まで自分で設計しました。あなたの商品は今、お客さんの頭の中で、何と比べられているでしょうか。
選択肢が基準を作る:松竹梅とおとり
比べる基準は、価格表の中にも作れます。行動経済学者のアリエリーが紹介した、雑誌エコノミストの実験が有名です。ウェブ版59ドル、紙版125ドル、紙とウェブのセットも同じ125ドル。この3択では、84%がセットを選びました。ところが、誰も選ばない紙版だけを消して2択にすると、セットを選ぶ人は32%まで急落したんです。
うなぎ屋の松竹梅で、真ん中の竹が選ばれやすいのも同じ原理です。選択肢の並べかたそのものが、比較の基準を作ります。あなたの価格表は、選択肢が1つだけになっていませんか。
価格は品質を語る:シグナル効果
価格には、品質を語る力もあります。脳科学者のプラスマンらの実験では、同じワインを、5ドルと伝えたときより45ドルと伝えたときのほうが、おいしさの評価も、快楽に関わる脳の反応も強くなりました。価格そのものが、品質のシグナルなんです。
だから、理由のない安さは、『何か裏があるのでは』という疑いを生みます。俺のフレンチが疑われなかったのは、立ち飲みだから安い、原価率60%だから安い、と理由を堂々と語ったからです。安くするなら理由を、高くするなら物語を添えてください。
ここで、冒頭の問いに半分だけ答えておきます。原価率60%の店が儲かるのは、根性でも奇跡でもなく、儲けの場所を、ひと皿の利ざやから回転数へ動かしたからでした。
だから、この話は『マネして原価率を上げよう』ではありません。学ぶべきは、価格と、原価と、儲けどころを、バラバラに決めずに1つの設計図として描いたことです。しかも、これはレストランだけの話ではありません。あなたの価格表にも、同じ設計図がそのまま使えます。
では、あなたの商品に当てはめましょう。値付けに悩んだとき、多くの人がやるのは、競合の価格を見て、少しだけ安くすることです。実は、これがいちばん危険な一手です。
比べる基準を競合に預けているので、相手が下げれば、こちらも下げるしかない。選択肢が1つしかないので、高いか安いかを判断してもらえない。安さの理由を語らないので、品質まで疑われる。値下げしたのに売れないときは、だいたいこの3つが同時に起きています。
書き換えるのは、3か所です。1つ、比べる基準を自分で用意する。高級店の相場でも、これまでの実績ある定価でも、根拠のある基準を先に見せてください。2つ、選択肢を3段にする。本命を真ん中に置いた松竹梅は、それだけで比較の物差しになります。3つ、価格の理由を語る。安さには仕組みの説明を、高さには物語を添える。
商品そのものは、何ひとつ変えなくて構いません。変えるのは、価格の見えかたです。
俺のイタリアンの設計図を、数字でおさらいします。原価率は、常識の30%に対して60%超。回転数は、高級店の一晩1回転に対して、1日3回転以上。価格は、高級店のおよそ3分の1。
1つ1つは無謀な数字です。しかし、全部をセットで設計したから、16坪の立ち飲み屋が、予約の取れない行列店になりました。数字は、単独ではなく、組み合わせで意味を持つんです。
これで、冒頭の問いに完全に答えられます。原価率60%の店が儲かるのは、値下げをしたからではなく、価格を設計したからです。設計図は3つ。何と比べさせるか、という基準。なぜその値段なのか、という理由。そして、どこで儲けるか、という構造。
価格設定の心理学とは、お客さんをだます技術ではありません。商品の価値が正しく伝わるように、比較と理由を整える技術です。
まとめ
ここまでを整理します。人は価格を、比較でしか感じられません。だから、値下げの前に、基準、選択肢、理由の3つを設計する。これが、安売りせずに選ばれる価格設定でした。
明日やることは、1つだけです。あなたの価格表に、比べる基準をひとつ書き足してください。相場でも、松竹梅の上の段でも構いません。俺のイタリアンの行列も、『この料理なら高級店で1万円』という、たった1つの基準から始まりました。
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この記事は「AI時代のマーケティング・ラボ 第6回」の内容を、読み物として再構成したものです。図解つきの動画版もあります👇
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