誰しも自由に幸せに生きる権利がある
夫の妹のRちゃんは、本当にくったくなき爽やかで優しい子で、夫に言わせると「親にも兄たちにも愛されて育ったからな。だから強い」と。なるほどね、そうだなぁと思う。私より9歳も年下。結婚してから、あれもバブルの影響だったのか、経済的にきつくなり、早朝3時半くらいから6時まで、ある大きな公園の近くのお店でサンドイッチを作るアルバイトをして、それから9時には金融系の会社に行っていた。でも、悲惨さは微塵もなくて「サンドイッチのちょっと失敗作をくれるから、R やS(当時小学生の息子たち)と土日は公園で待ち合わせて、たのしく朝日の中でサンドイッチ食べてるねん」。泣ける話だけど(私なんかは最初に聞いた時グッと来てうるうるなってしまった💦)、Rちゃんはいつも前向きで明るくて、そして強かった。今も若々しくて可愛い。会うと元気をもらえる素敵な女性だ。
最近Rちゃんと話をしていた時、
「わたしインスタやってて、Aちゃん(うちの娘)もフォローして楽しませてもらってるねん。うちのお兄ちゃん(アリゾナ27年の生活から帰国した兄)が大好きな曲がのってて渋くて感動したわ」
と言う。
インスタをとっくにやめてしまった私が「へえ〜!なんて曲?」と聞くと
「なんやったかなあ〜___ああ、これこれ」
ニーナ・シモンの『I shall be released』という曲だった。
あの曲はたしか・・・
アメリカの公民権運動、つまり黒人が実質的に自由を勝ち取る闘いに自らも身を投じたがゆえに、当時のアメリカの音楽業界のメジャーシーンから追放されたニーナ・シモンが、人種差別からの解放、人生のあらゆる抑圧から自由になった喜びを謳った曲だと、これまで、よく言われてきたように思う。
聴けばわかるが、鎖から自由になり、自由の光を浴びている人間の喜びが満ちていて感動する。
写真家の吉田ルイ子(*1972年 ブラック・イズ・ビューティフル)の著作の中でニーナのことが書かれていたので、鮮明に覚えていたのだと思う。
あの本を読んだのは・・私が1年間のアメリカ留学から帰ってきた17歳のとき。アメリカに、ついぞ、真の意味では属せなかった自分のヒリヒリした感情が書かれている本を探していたときだった。
それからの年月を思うと音楽の普遍性はすごい。
心に鳥肌が立った。
ふと考えてみると、
Aや彼女の兄の周囲には、まだ20代〜30代でありながらも、自由に生きる権利、人間の尊厳の回復、あらゆる差別や束縛からの解放のために様々な活動をしている人たち、又、社会の枠組みからあえて外れて、あるいは自分のやり方で既成社会から距離をとって、アーティストとして活動をしている人が大勢いる。
とても自然に・・自分らしく・・・。
・・・と、ここまで書きながら、
ああ、そうだったなぁ。今、彼らが親しくしているのは、そういう人たちがほぼ9割・・いやそれ以上なのかもしれないなあーと、気づいた。
(そばに暮らしているわけではないので、すべて客観的な感想だけれど)
ニーナが闘った時代は、『白人が黒人を堂々と奴隷として”所有”していた時代』が終わり、次に、『黒人が完全な自由を手にするため血を流した時代』だ。
実は、人間愛の死火山だったアメリカ社会の底に眠らされていたマグマが、文字通り目覚め、真っ赤に燃える溶岩を、社会にあふれださせた熱い劇的変化の時だった。
そこから約50年後、アメリカ合衆国にオバマ大統領が誕生したことの意義は、もう言葉では言い表せない。
ニーナ・シモンは、
公民権運動に参加してアメリカの音楽業界から抹消された後、西アフリカのライベリアに移住した。
友人の家に隠遁し、音楽活動はほぼ停止。
精神的に不安定だったけれど、それでもピアノを弾き、私的なライブは時々していたという。
その後はスイスに移動。小さなクラブで演奏を再開し始め、徐々にヨーロッパで人気が復活するが、長年の混乱と疲労で双極性障害になった。
しかし、その後、フランスに移り、ツアー、フェスティバル参加など、活動を本格的に再開し、ニーナは大きなカムバックを果たした。
2003年に亡くなるまで欧州を中心に活動し、その間、人権活動も続けた。
最後は南フランスでその生涯を終えた。
人間が自由に生きるとはどういうことか?
人間の権利とはなにか?
生涯、身を持って闘い、そして、音楽という”霊と魂をつなぐ世界”で、一人の人間の命がどれほど尊く、どれほど自由が必要で、そして、本音で生きることがどれほど痛く、たくましく、美しいことかを、こんな私の陳腐な言葉では表せないほどに、一生懸命証明し続けた女性だと思う。
そして思う。
名を知られずとも、私たち一人一人の人生にどれほど自由と尊厳が必要か・・・って・・
ふつうの人の、ふつうの人生にも、抑圧がある。目に見えない束縛が存在するからだ。
でも、誰しも、自由に、自分の意思で、自分の人生を生きる権利がある。
それをお互いに、ごく当然のこととして認め合い、そしてどんな形であれ支え合える関係を、ゆっくりゆっくり、ひとつひとつ、生み出していきたい。生んでいこう、これからも・・と、切に思う。
