正義と悪 その世界観を越えていけ
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目次
第一章:ダメ出し教育の中で
現在の第一章を大幅に短縮
家庭・学校・メディアの「ダメ」教育に焦点
胎内記憶の話は削除または大幅短縮
第二章:創られた正義の正体
現在の第二章と第三章を統合・再編
歴史的変遷(簡潔に)
メディアによる正義の商業化
ヒーロー物の構造分析
第三章:3つの殺人事件が問いかけるもの
現在の第四章をそのまま活用
ケーススタディの部分を中心に
家族の物語の種明かしまで
第四章:正義の檻から抜け出すために
現在の第五章前半部分
正義と悪の相互依存の問題
給湯室の悪口の例など身近な事例
第五章:光と闇を統合した生き方
現在の第五章後半部分
自分軸の世界線
光と闇の統合論
自他力本願の提案
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世の中の
正義と悪
その世界観を超えて行け
正義は真理への通過点
~まえがき~
世の中には良い事も悪い事もある
ともすれば今の日本人は特に
この善悪について半ば強制的な教育の中で育つ
幼少期より家庭内では
コレはダメ あれはダメ
幼稚園 保育園 こども園でも
人の迷惑になる行為はダメ
小学校 中学校では
廻りの人がやってない事はダメ
廻りの人に迷惑かけちゃダメ
TVの報道でも
殺人、窃盗、人災そして
赤の他人の不倫を報じダメを強調
まさに『ダメ出し教育』の中で大人の階段を登っていく
この模様はある種の偏見で見た場合
社会的規範の内面化といっても過言ではないように思える
そんなバックグラウンドで育った我々が
これからの未来に向かってどのようにすれば
笑顔多き人生を過ごせるのかを
私という1つの角度からみた「あるべき世界線」について
本書で綴っていこうと思う。
第一章:ダメ出し教育の中で
「三つ子の魂百まで」
最近ではあまり耳にする機会が減った言葉かもしれない。
一般的には 幼い頃の性格は年をとっても変わらないことを意味する諺(ことわざ)
であるが
この言葉を多角的に拡大解釈していこうと思う
著者はかねてより 胎内記憶や過去生記憶の話が好きであったが
最近のそ研究の前線におられる 大門教授とお話させて頂く機会を頂戴し
また その体験を持っているお子さんについて特集した 大門教授が出演されている
TV番組を視聴することができた
そこでも紹介されていたが 多くの胎内記憶や過去生記憶を持つ子供たちの
「その」記憶は 8~9歳頃までにほぼ消失するとの事
おそらく言語を理解し自分の意思を言葉として発することが出来るようになる
3歳頃が 一番鮮度の高い(つまりは超純粋な)記憶のお話が聴けるのかもしれない
3歳というと我々の生きる世界線(三次元世界)を中心に考えた場合 シンプルにたった3年分の
知識や体験、経験した持っていないはずであるにも関わらず
知りえない情報や 見たことがない情景を語る事は 胎内記憶や過去生記憶の存在を
肯定するのに十分な材料だと私は考える
※胎内記憶や過去生記憶について述べだすと長くなるので詳細は別の機会にする
この3歳頃から記憶が薄れていく10歳に至るまでの間に何が起こっているのだろうか?
皆さんは 大型商業施設(イオン等)や近くのスーパーに行かれた時に遭遇したことが
あると思うが
駄々をこねる子供 と それを怒鳴り散らして怒る親
かくいう筆者も我が子に対して怒鳴ってはないものの似たような事していた記憶があり
冷静だったかは微妙だ
この光景を見るたびに心が痛む
そんな言い方しても子供には伝わらないのに・・・
もう少し言い方を変えて・・・
自分が子供であった頃を思い出せば・・・
なんて事を 過去の自分にも言いたい気持ちになる
近年になって子育て情報や知識など気軽にネットを通じて入手できるようになり
「子供は誉めて育てよう」なんてことも 見聞きするようになった
しかしながら 自分の経験も踏まえ
『大人』を基準として子育てをした場合 多くの方がその『大人基準』を
子供に押し付けてしまっているのではないだろうか?
押しつけ・・・とはつまり 正しいという『価値観』を子供に伝えたいが
それが うまく子供に伝わらないが故に 苛立ち が発生し
苛立ちは 感情 となって 子供を【怒鳴る】というメカニズムだ
また 家の外で怒鳴らないまでも 家庭内にあってはどうだろう
ついつい 『大人価値観』で 子供に接していないだろうか?
学校生活では家庭内だけでは味わえない 集団生活の学びでもあり
今後の社会生活にとっても非常に重要環境であり
小中高合わせると 約半分またはそれ以上の人生時間が学校生活で消費される
学校とは1つの組織であり その中の秩序が継続的に維持されているべき環境であることは
改めて 定義されることではなくもはや「あたりまえ」の事ではあるが
この「あたりまえ」を継続・持続・安定 させる為に最も手っ取り早い方法が
規律・ルールいわゆる校則となっている
みなさんは学生時代の校則に何があったか覚えているだろうか?
もし生徒手帳なんかが残っていれば 是非 見返してみてほしい
当然 あるべき精神論や理念が最初に書かれてるものの
それには 具体例はなく その次のページから書かれてあるのは
これはダメ あればダメ この場合もダメ
髪の毛の色や服装、ファッション、身だしなみ 具体的なダメ が
多く書かれているように思う
我々はそのような環境下で大人への階段を登ってきたのである
第二章:創られた正義の正体
前章で述べたような育成経験(プログラム)を経て私たちは社会の中に在る
校則は社則になりまた 大きくは法律として
秩序維持の為に非常に重要な役割を果たしている
また法律は時代の流れと共に変化や発展し新しいモノが作られる事もある
(その速度感や内容の是非についてはあえて言及を避ける)
これらのルールの中に記載されている事も新しい事も 基本は『ダメ』が乱立している
一方で日本国憲法はどうであろうか?
筆者も改めてこの憲法を読み直してみた
以下抜粋
第四条
天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第二十四条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
第五十三条
内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。
第六十三条
内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。
第八十七条
予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
第九十四条
地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
ご承知の通り 憲法とは私達の権利や自由を守る為の【定義】的な内容となっており
~することができる
~しなければならない
という文言が多く使われている
勿論 ~してはならない という ダメ文も含まれるものの
その比率は 法律や社則、校則と比較すると圧倒的に少なく感じる
少々雑な区別ではあるが 憲法と法律の違いを述べる場合
・憲法 ⇒ Do(すること) を定義
・法律 ⇒ Do not(してはダメ) を定義 しているようにも思える
※この場合の法律とは我々が身近に接する<行動>に重きを置いたことを前提とする
故に憲法と法律どっちが大切 どっちが良い、悪いではなく
憲法という定義軸の中に 時代背景と共に法律という Don't が
積み上げられていると解釈して良さそうである。
次にこの積み上げられてきた『Don't=ダメ』について
かなり大雑把に 歴史を想像してみようと思う
(ただし著者の浅識による想像の為誤解があった場合はご容赦頂きたい)
解りやすく縄文時代や弥生時代を想像してほしい
この時代には記述できる【文化】があった為 現世にも語られ
教科書にも登場していると考えるが
この【文化】の発展・進歩には『ルール(決まり事)』なようなものも
が付随していただろうと推測する
それは 農業であったり土器の作成あったりの過程において
【最善】に導くためのものであり 生きていく為には
どのようにすれば多くの収穫が獲られるかを考えて
収穫量=豊かさ であった時代であったものと思われる
つまりこの時代のルールとは より良いものを創造していく為に
集団の中で 超自然的に創られていったものではないだろうか
当然ながら 失敗=ダメ にも遭遇しただろうが
さらにその先の成功の為のプロセスを見出し ダメを上書き(Overwrite)することで
進化していったのだと著者は考えている。
もしかすると 失敗は成功の基 という考え方も
この時代に存在していたのかもと思うと面白い
そう考えるとこのような縄文時代は著者の好む
マヤ暦(ツォルキン暦)の思考にある『良いかめっちゃ良いか』の世界感
に近いような時代である気さえする。
その後弥生時代には農業が拡大し収穫物を巡る争いが増え 日本各地で
紛争が起こっていたことが中国の古い歴史書にも記されている
より良い豊かさを得るための手段・行動(Do)として また
自分達の豊かさを守るたに争いが起ったわけだ
これは日本に限った話ではなく世界各地の先進国の歴史にほぼ存在する歴史でもある
それと同時期にその紛争を縮小化するために生まれたルール・規則の中で
~してはならない ~した場合には罰則を設ける
という 今でいう法律に近いものが生まれ
そしてその規則の中で Do(行動) の解り易い分類として
これは良い・これは悪い というつまりは 善悪 が 創られていったのではないだろうか。
この時 当初シンプルな善悪の生成であり適正に機能しており
むしろそうあるべき流れで 人間の進化にとっても必要不可欠なものでもある
筆者が問題として考えるのはこれらの思考の先に生まれた【正義】という価値観
これがかなりやっかいな存在として 現代社会に影響を与えているように思うのである
補足~AI定義~
前で 善悪の区別は必要であると述べました
しかしそれは 善をより良いものにするための 善ではないものを
解り易くするための 良くないもの=取り敢えず悪 とする
これを言語化したものが 正義なのか?
正義の定義について最近流行のAIに問い合わせてみた
その結果が以下である
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①Copilot(Microsoft)
「正義」とは、一般的に「正しい道理」や「人が従うべき正しい道義」を指します。
具体的には、他者や人々の権利を尊重し、各人に権利や義務、報奨や制裁を正当に割り当てることを意味します1。
正義の種類
配分的正義: 名誉や財貨を各人の価値に比例して分配すること。
矯正的正義: 相互交渉において損害額と賠償額を等しくすること。
現代の視点
現代では、正義は法や倫理、合理性、公正などに基づく道徳的な正しさを意味します。
社会的正義の概念もあり、基本的人権を中心とした諸権利の保障が求められます3。
正義の概念は時代や文化によって異なるため、普遍的な定義は難しいですが、基本的には「公平さ」や「公正さ」を追求するものです。
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②Gemini(Google)
正義の定義には、次のようなものがあります。
正しい道義や正しいすじみち、
人を導くべき正しい道理
人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範
対立する権利要求間の折り合いの原理、利益の適切な分割を定める諸原理
正義の概念は、広く普遍的なものから狭く具体的なものへと分類することができます。
最広義の正義概念は「形式的正義」と呼ばれ、その内部に「実質的正義」「手続的正義」などの
正義の下位概念があります。
実質的正義の下位には「分配的正義」「矯正的正義」があり、
さらにその内部には自由主義・民主主義・功利主義・平等主義などの正義の構想があります。
正義の概念は、その言葉を使う人の自由であり、多様であるため、その都度注意する必要があります。
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③ChatGPT
正義の定義は、哲学的、倫理的、社会的に多様な視点から解釈され、時代や文化によって異なる概念です。
一般的に、「正義」とは「公平さ」や「倫理的に正しい行動」と以下に、正義のいくつかの主要な定義と解釈を紹介します
1.分配の正義(配分の正義)
配分の正義は、資源や報酬、機会などをどのように公平に配分するか正義の概念です。この分野では、
誰がどれだけのものを得るべきか、平等と公平のバランスをどう取るかが重要なテーマとなります。
2.矯正的正義
是正の正義は、間違いや不正を是正し、損害を受けた者に対して補償や修正を行う正義です。
これは主に法律の禁止で使用され、不正行為に対する対応や罰則が中心となります。犯罪者への処罰や被害者への賠償等
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善とはある程度 普遍的であるが 正義になると普遍的な定義は難しく 時代や文化によって異なるとあります
つまりは 正義 を扱う【人(human)】によって 変わるものであると言えそうである。
ここで少し話題を変えよう
あなたは正義のヒーローと言えば何を思い浮かべますか?
日本で言えばアニメの中ではよく題材として使われますし
幼少期のテレビにはヒーローモノは どんな年代でも新しいキャラクターを半ば強引?に創りあげても
人気のベースとなっています。
○○戦隊 ○○レンジャー ○○ライダー等は世代が変わっても継がれていますね
女子向けのキャラクターも ○○ムーン ○○キュア ○○少女 たくさんあります。
そして海外でもこの風潮は大凡同じです。
これらに共通しているモノ 何かわかりますでしょうか?
勘の良い方なら 既にお気付きかもしれませんが
そうなんです。 必ず【悪役】が存在します。
当然ながら商業目的としてのアニメやキャラクターであるため
そのヒーローやヒロインを 好きになってもらい 視聴率の獲得や関連グッツの販売に繋げるには
とても有効な手段です。
しかしこれが精神性の世界観で見た場合
ヒーローやヒロインを際立たせる事を目的として『悪役』という存在が 必須になっているという点
つまりは 正義のヒーロー 正義のヒロイン を 正義とする為の比較対象として『悪』を生成させている
言い換えるならば
正義の為の悪であり 悪によって より正義が輝くという構図にしたいわけですね。
ただし昔からそうだったかどうかは解りません
想像の域を超える訳ではありませんが 一昔前の純粋なアニメ等をみていると
『悪い事』をしてはダメですよ というシンプルな教訓として創られたモノもたくさんあったと思います。
その場合の一般的なストーリーとしては
悪い行いをする人 が 痛い目に会うことで 良くない事が起こったり 自分が【損】をする
展開とすることで その目的は達成します。
つまりは『意図的な正義』を創らなくてもそれは成立するのですが
メディアとしてはその展開(ネタ)だけでは限界があり
多彩なバリエーションを持たせることが難しいのです。
昨今のテレビや映画、アニメの中の『正義』は前述のように商業目的
つまりは『お金』というエネルギーを生み出す1つの手法・手段として
単調なストーリーを回避した 意図的に創り出された『正義』
とも言えそうな気がするのです
そしていつの日かそのようなメディア戦略が『あたりまえ』の世の中となり
創られた正義 であってもそこに違和感を持つことない
重ねると問題なのが そのメディアに遭遇するタイミングである
我々はこの『創られた正義』を体験・体感として刷り込まれるのは主に幼少期である
当然大人社会の善悪知識がない世代にコレをお手本として与える事になる
お手本とはつまり『悪い事しちゃダメよ』という教本的な役割であり
子供が親の言う事をきかない場合には「あの悪者が来るよ!」っと
ある種の脅迫観念まで 植え付けてしまう場合でさえある
もしこれを読んでおられる方が 親の場合このような言葉を子供に使った記憶
あるのではないでしょうか
若かりし頃の筆者を思い出すとこれを書きながら少し胸が痛む・・・
その頃の筆者は自分でも意識があるくらい『正義感』が強いほうであったと思う
それ故に 曲がった事が嫌い 大人目線で創られた校則が嫌い 弱者目線を無視した政治が嫌い
そんな自分であった為 社会人になって会社に属してからも その会社に不平不満を抱き
挙句の果てに当時は存在すらなかった 労働組合の結成にも自ら喜んで参画していた
つまり『正義』こそ『善』という幼少期からの洗脳的社会にまんまとハマり
それを貫く行動こそが 自分らしさであるという言い聞かせを行い
【正義感】を振り回していた時代もあった。
第三章:3つの殺人事件が問いかけるもの
冒頭でも述べたように 正義や善 という存在は
今の集団生活・社会生活の中にあっては 非常に重要な価値観であり
それは秩序を守る為には必要不可欠なモノである
ここで一つ読者の皆さんにケーススタディをして頂きたい
昨今日本でも、テレビのニュースや新聞、またはネットニュース等でも目にする機会が増えた
<殺人事件> これについて皆さんはどう思われるだろうか?
人の生命(いのち)に関しては世界でも尊重されるべきとし
日本国憲法の中でも
〔基本的人権〕
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
このように記述されている
殺人の定義は、殺意をもって他人の生命を断絶すること。である
それを踏まえ 2秒で以下の質問に即答するイメージで想像してほしい。
・殺人は悪である Yes or No?
今、回答した自分の答えと回答に要した時間を記憶し 以下の事件ケースについて考えてほしい
ケース①
被害者Aさん 17歳女性
容疑者Xさん 55歳男性
報道内容:
Aさんは体育会系のクラブに所属しており県大会での上位の成績を残すほどでこの日も1週間後の大会に向け練習を終え19時頃学校を後にし友人と帰宅していた。
家が近くなった為 違う方向の友人と別れて1人で暗い夜道を歩いていた所
前から歩いてきた黒ずくめの男に突然腹部をナイフのような物で刺され
その後近所の人の通報で病院に運ばれたが間もなく死亡が確認された。
警察は通り魔的殺人事件として黒い服装の男の行方を捜査している。
・殺人は絶対悪である Yes or No? 回答までの時間は?
ケース②
被害者Bさん 88歳男性
容疑者Yさん 50歳女性
報道内容:Bさんは有名ピアニストで若い頃は作曲なども手掛け誰もが知る歌手へ楽曲の提供もされていましたが60代になって
パーキンソン病を患い業界から引退し自宅療養していた
その後アルツハイマー型認知症も併発し先に他界した妻に変わって
娘のYさんが一人で介護していたが Bさんから「今の自分には自ら生命を絶つ事すらできない。
感情のコントロールも難しくなってきている。
このまま迷惑をかけ続ける訳にはいかないから
どうかこのまま永遠に眠りたい」との意思を受け娘のYさんは睡眠薬を複数回に分けてBさんに飲ませ次の日Bさんが目を覚まさない事を確認して自ら警察に届けた。
当局は嘱託殺人を視野に入れ捜査を進めている。
・殺人は絶対悪である Yes or No? 回答までの時間は?
ケース③
被害者Cさん 45歳女性
容疑者Zさん 14歳女性
報道内容:20代の頃アイドルとしてテレビ等にも出演し、今ではYouTubeを活動の基点していてCさんが自宅で長女のZさんに包丁で刺される事件がありました。
事件直後同じ自宅にいた夫のHさんの通報により 駆け付けた警察官がその場で娘のZさんを逮捕。
Zさんの供述によると 幼少期から親の言う事は絶対で 反抗すればその場で殴る蹴るの暴行を受けていた
この日も自分のやりたいことを告げたら 母親の顔が急変し 暴行を受けそうなった為近くにあった包丁を手に取り殺意をもって母親を刺したと話しているそうです。
なお、Cさんは現在意識不明の重体で
警察は殺人未遂事件として捜査を進めています。
・殺人は絶対悪である Yes or No? 回答までの時間は?
さて皆さんの回答はどうであっただろうか?
このケースはどれも著者のフィクションであり できるだけ現在の報道に近いイメージにしてみた
リアルに感じて頂ければ幸いである
このケースの何れも 殺人または殺人未遂事件である。
本来尊重されるべき【生命】に関わる案件の為 如何なる理由があれ それは守られるべきもの
その為 ケース①、②、③ それぞれ 皆さんの 最終的な回答は【Yes】であったと想像するがどうであろうか?
もし【No】を選択したケースがあるなら その理由をいつかの機会に
筆者に教えて欲しい。非常に面白い話が聴けそうである。
そしてこれらの回答時間。 これには個人差があったように思うがどうであろうか
その『差』とは
報道。とくにテレビにあっては それを伝える尺 つまり時間が限定されている
その限られた制約の中で 得た情報(この場合は警察発表)を元に 原稿を作成し発表している
その報じられた部分『以外の世界線』は 視聴者や読者個々の想像力や価値観によって変化する
つまりこの報道の感想として
1・殺人なんてけしからん! 許せん!
2・犯人は即死刑!
3・被害者が可哀想すぎる
4・殺すのは良くないけど 気持ちは解らなくもない
5・被害者の方も悪い!
6・こういう事件になる前に何か手助けできたのだろうか?
7・可哀そうだけど 自分の世界線にはあまり関係がないよね
8・自分の周りではこういう事が起こらないようにしよう。
このような感想が思い浮かぶが 今回のそれぞれのケースについて皆さんの感情はどれに近いだろうか?
1や2を迷いなく選ぶ人は 恐らく非常に強い正義感をお持ちなのであろう
何がどうであれ 殺人 は 悪 という確固たる信念・価値会をお持ちであるが故
それを 自分の意志として明確に表現できることは素晴らしいと思う
ただ これは その選択意思が多くの人が生活する価値観が異なる現代社会にあっては
必ずしも 唯一無二の正解 ではないという事を付け加えたい。
というのも
じつは先に挙げたケース①②③の事件について
少しの伏線を仕込んである
この時点で気付いていた方は 是非お逢いして話し込んでみたいものだが
この3つのケースは類似世界線(パラレルワールド)を含んだある1つの家族のストーリーに
仕立て上げている
ケース③の事件が報道としては最初であり
Aさん Yさん Zさん は同一人物
最初の容疑者Xさんの妻がCさんであり XさんはBさんでもある
(時系列を変えている為年齢が違う。年齢差は同じ)
作曲家であるXさんと アイドルのCさんの間に生まれたAさんは
幼少期より超英才教育を受けており 将来芸能会で輝けるように
厳しく厳しく育てられた
しかしAさん本人は天真爛漫に身体を動かす事が好きで
運動系クラブ活動で優秀な成績を残すほどで 自分の将来の夢もオリンピック選手だった
オリンピック選手だけでは 将来食べていけない!と強く思い込んでいた両親は
運動に僅かに支障が出る程度のケガをさせれば その夢を諦めてくれるだろうと考え
手を出していたが 自分達の思い通りに行かない為 徐々に虐待となりエスカレートしていく
その背景の中 ケース③ が発生
夫のXさんは妻Cさんをすさまじく愛していた為 このままでは妻が殺されてしまうと判断し
情状酌量された娘を手にかけてしまう・・・(ケース①)
ケース②はケース①の世界線で娘Aさんが亡くならなかった世界線であり
ケース③で重い後遺症を持った 母Cさんを見送った後
父のXさんと 娘Aさんは過去にあった親子間の傷をお互いに癒しながら愛の生活をしていた
もう1つの世界線(パラレルワールド)の話である。
第四章:正義の檻から抜け出すために
重ねて申し上げると 正義や善 という存在は
今の地球集団生活・社会生活の中にあっては 非常に重要な価値観であり
それは秩序を守る為には必要不可欠なモノである
しかしながら・・・
その個別意識が強くなればなるほど その反対のエネルギーも同様に比例して生まれる事は
宇宙の真理でもある。 (=陰陽一対)
正義や善は悪があるから存在し 悪があるから正義や善を必要とする
では 正義と悪 どちらが先に生まれたのであろう?
これを考えると 卵が先かニワトリが先かの論争に近くなる
つまりは『答えが無い』のである もう一段階話を進めるならば
『答えを創らない』というのが ある意味一番良いのではないかと筆者は考える
ただしこれは
『答えを曖昧にする』事とは大きく違う
もう一度くどいようであるが
正義や善 という存在は
今の地球集団生活・社会生活の中にあっては 非常に重要な価値観であり
それは秩序を守る為には必要不可欠なモノである
ならば。
『秩序』が当たり前に守られる世界線であれば 正義はカタチを成さなくてよいのではないだろうか。
正義がカタチを持たない世界には当然 【悪】は存在しえない
そんな世界線 パラレルワールドがどこに在るだろうか?
1つ解り易い世界を挙げるならば あの世(霊界) かもしれない
これも科学的根拠難しく 人が創造する世界であるため その世界の価値観は様々であり異なるが
神道や仏教に慣れ親しい多くの日本人の方には 受け入れやすい考え方であると思う。
真言密教に触れ得度を頂いている筆者としては一番ピンとくる世界観である
それでは現世社会には存在し得ないのだろうか?
この先を読み進める前に 皆さん自身で その世界線が存在し得る場所を考えてほしい。
・・・・・・
・・・・・・
秩序が守られ 正義が不要な世界線は たった1つだけ存在する
それは 自分自身の中にある 世界に1つの世界線
他の誰の世界線の影響を受ける訳でもなく
他の世界線を優先させ自分を滅する必要もない世界線である
自分という世界線の中にもし嘘を創ったなら
それは必ず自分自身にエネルギーとして跳ね返ってくる
自分が『悪い』と解っていてとった行動も同じである
自分自身が笑顔で過ごすというたった1つの『秩序』があれば
その世界線は 維持することができる
よく「正義を振りかざす」という言葉があるが
イメージ出来るのは 正義 と書かれた看板や旗を大きく掲げて
自分以外の誰か(の世界線)にアピールす為の行為である
つまりこれも自分自身の世界線の中にあっては本来 不要な無意味な行為とも言えよう
そしてもう一つ その無意味な行動をしている他人の世界線に対して
自分の感情を動かす行為も 同じく 無意味であると言える。
この本来『無意味』行動、衝動こそが
現代社会にある世界の戦争という無秩序な世界線の創造を加速されているのかもしれない。
話のスケールを身近なモノにして例を考えてみよう
とある会社の給湯室で AさんがBさんの悪口を言っているをCさんが聞いている
これの心理としては 悪口はそのまま=悪
誰かを悪にすることで自分を=善・正義 としている事になる
悪を創る事で 正義(自分)を際立たせるという ヒーローものと同じ構図がここにある
自分をさらに立たせたいからCさんに同意を求める
この同意を断るとCさんも【悪】認定されると考えた場合
自分を守る正義として同調するが 自分自身の世界線の中に【罪悪感】という悪が生まれる
逆に正義感をもってCさんが そのAさんを【悪】認定した場合
Aさんは他に自分と同調してくれる Dさんを探し Cさんを攻撃
CさんはAさんから受けた攻撃の悪口をEさんに自分が正義だよね?と話す・・・
戦争の始まりとは 得てしてこのような感じに近いのではないだろうか。
そしてこのケースでは誰が一番悪いのだろうか?
・・・・・・
・・・・・・
ここまで読んでくださったあなたなら
もう答えは解って頂けていると信じたいが
答えは Aさん
ではありませんよね。
もしかすると Bさんという人が とんでもなく自分中心で廻りからも
好かれていない・・・かもしれません。
正解は 誰も悪くない つまり 自分以外の何かを【悪】とする必要がない。
これが答えです。
第五章:光と闇を統合した生き方
仮に 善悪に色を付けた場合
善=白世界
悪=黒世界
だと考えましょう
陰陽一対です どちらかが生まれれば 同時に反するエネルギーも生まれます
では善悪のない自分の中の秩序だけの世界は何の世界でしょう?
決して 灰色(グレー)ではありません。
それが『光』の世界であり 本来の自分軸の世界なんだと筆者は考えます。
当然ながら 光にも一対の【闇】は付随します。
しかし【闇=悪】ではありません。
人間として現世で生きている以上は 悩み・苦しみ・悲しみ・落ち込む時はあります
それが『闇』であり 我々は 光と闇 を均等に持っています。
その闇があるからこそ 光が映え 喜び・愉しみ・そして笑顔が輝くのです
闇を恐れていては 光は生れません 光ばかりに囚われていては 闇のエネルギーは
陰で大きくなります
この光と闇のループの存在を肯定し それが共に自分自身なんだと気付けた時
いわゆる『あの世(宇宙)』という場所で 無 に成る事ができ
この波乱の世に輪廻転生する必要が『無い』状態に至るのではないだろうか
大事なのは自分自身の世界線である。と本書で綴っておりますが
自分独りだけでは 生きられないのもこの世の中です。
自分のチカラを信じて発揮する 自力本願が大切であり
他人のチカラのみを利用する 他力本願※ は 良くないとされますが
どちらか・・・ ではなく両方大切なのです
※本来 他力本願とは阿弥陀様の力をさし 決して悪い意味ではないのですが
ここでは一般的な 他人のちから、努力、成果も含めることを前提として
つまり<自他力本願>
自分の事を信じる 廻りの助けを借りる 神仏を祈る
Or ではなく And の世界こそ 正義も悪も超越した光の世界
笑顔の世界に一歩近づくことができるのではないだろうか。
~あとがき~
ここまで読んでくださった事 本当に心から御礼申し上げます。
記載した内容については あくまでも個人的な1つの思考 考え方であり
それを強要するわけでもなく 当然これが『正義』なんて言うことはありません(笑)
みなさんが漠然としたこの世の中を過ごされている中で
何か僅かでもこの書の内容とシンクロする部分があり それをご自身の世界線の中で
自分という輝きを見つける為の切っ掛けとなったならば 筆者にとって
最幸の喜びです。
また本書を書き上げる思考に至ったこれまでの私の人生に関わってくださった
全ての方に感謝申し上げます。
そしてこれからの未来に出逢う方々との最幸のご縁を楽しみにしております。
~ 完 ~
